第13話 現場をよく知らない偉い人がいちいち会議の内容に口を出すと話がややこしくなるのは全世界共通
西暦時代には地球の全てを覆いつくし、人類が生み出した中で最も巨大なインフラであった「情報通信技術」は、無限の広がりを内包する宇宙空間ではあまりに無力な存在であった。
かつて「情報のルネッサンス」を標榜し、公有化された情報通信技術を権力の源泉とした「太陽系情報政府」の時代において、情報の触媒として用いられる「光」があまりに遅すぎることは既に明らかになっていた。大統一理論の完成と燭子制御技術の発展にともなって誕生した超光速航行技術の副産物として、光速度以上の伝達能力をもつ通信技術自体の開発には成功していたものの、莫大な投資を必要とする通信インフラの構築はペルセウス連邦期においてついぞ手を付けられることがなく、現在の帝国においてもいまだ西暦時代の地球で実現されていたような高度に同時的な通信網は限定的にしか構築されていない。
そして今回、超光速航路に付属して限定的に構築され、銀河全体に広がるその構造上の見た目が枝を広げる木に似ていることから「黄金樹」と通称される汎銀河通信ネットワークが作動することで、帝国支配層のさらに上層部に位置する人物らが今回のような緊急の事態に対応できることも、帝国500年の歴史を支えた領邦貴族、特にアウステルリッツ公爵の功績によるところが大きい。
では実際に、帝国皇帝であるスチュアート三世を始めとした帝国のトップたちが、我らが主人公であるアウステルリッツ公爵家のアルバート公世子救援のために集合したのかというと実はそういうわけではない。それどころか、帝国有数の地位を誇る貴族の長男に現在進行形で及んでいる身の危険を差し置いてまで対応すべき「別件」が発生していた。
ペルセウス連邦の建国以来、ジン=ヴィータは人類社会の政治的中枢の地位を譲らずに存続し続けている。しかしそれはあくまで惑星規模のスケールで物事を見た場合の話であり、もう少し一般的で実用的な量的センスを持つ人間であれば、現代における政治の中枢がペルセウス連邦閣僚評議会議長官邸から「新美景宮」へと推移している認識を有していることだろう。
そして現在。新美景宮という優雅かつ風刺的な名称のイメージからはややかけ離れた殺風景な一室にて、帝国の命運そのものを決するだけの権限を持つ超重要人物たちが揃いも揃って景気の悪い表情を浮かべつつ、現状の確認作業を行っていた。
「で、新しい情報はまだ入ってこないのか?」
会議室の中央に設置され、それ自体が映像端末として機能する長テーブルに肘を置いたカスティーヨ厚生大臣が、部屋の壁際に設置されたテーブルを囲みつつ情報収集に当たる役人の集団に向けて声をかける。
「はい…。情報収集のため、現地の所管部局と帝国国土航路省深部オリオン腕統括管理局との間で連絡室が設置されましたが、以前として現地では混乱している模様でして…」
集団の中の一人が、上司に対する官僚特有の腰の低さで答えた。
「こうならない為の国土危機管理センターなんですけどねぇ。これじゃ初動対応の立案どころじゃない」
「まぁ、想定外が起きるのは世の常というものです」
厚生大臣と同じ長テーブルを囲むダルウィシュ文部大臣が思わずため息をつきながら愚痴を吐き、ペトロヴィカ軍務大臣が苦笑ながらその発言に応じた。
新美景宮は単なる宮殿ではない。確かに、広大な敷地面積と延床面積を擁するこの建造物は銀河帝国において至尊の地位にある人物の公邸としての機能も持ち合わせてはいるが、帝国における行政の中枢としての機能を果たすことがこの場合より重視されていた。
「とにかく、現地の沿岸警備隊の…、ええと、名前なんて言ったっけ?」
自身の所管内におけるトラブルに頭を悩まているヴァン国土航路大臣は、役人たちに向けて焦りの言葉を投げかけようとするが、咄嗟に自身の記憶力の限界を糊塗するかのように、そばに控えている自身の秘書官に顔を向ける。
「アウステルリッツ公国にて国境警備や航路保全を実施するのは航路防衛隊です」
「そう、それそれ。その、公国の航路防衛隊はなんか言ってきてないのか?」
「それが、現地の航路防衛隊でも情報が混乱しているらしく、状況の把握が難しいとのことです」
「じゃあ、手っ取り早く帝国の沿岸警備隊でも出せばいいんじゃないか?巡視艦の分隊くらいすぐ用意できるだろ」
錯綜する現状に業を煮やしたカスティーヨ厚生大臣がやや険のある言い方で口を挟む。
「大臣。お言葉ですが、国土航路省の現地部局が公国の頭越しに手を出すのは、政治的リスクを考えますと難しいかと…」
現状発生している情報の錯綜について当面の責任を有する羽目になっているバタジェフス国土危機管理監が、帝国と公国の微妙な政治的バランスを考慮した発言を行う。
「しかし難しいも何も、第一報でもたらされた情報からして、この問題への対応が急務なのは間違いないでしょう」
痺れを切らした大臣たちを見かね、それまで黙っていたリ・ユン帝国宰相がようやく口を開いた。
「4000m級の所属不明航宙艦船によるワープドライブが実施されたのです。二次災害を防がなければ、甚大な被害が発生することは間違いないでしょう」
印象的な切れ長な目元を鋭く光らせながら、年齢に似合わない張りのある声で帝国宰相は現状における錯綜そのものを両断する。そしてそれは、自身たちによる事態への対応が限界を迎えたことを周囲に理解させるための合図でもあった。
「なるほどな。それは厄介だ」
「力及ばず、申し訳ございません陛下」
クラシカルでありながらも重厚な雰囲気は感じられず、ともすれば質素ともとれる執務室の中央で、帝国国民の代表たる「衆民院議員」らからの指名選挙の洗礼を経てその地位にある帝国宰相は、悄悄たる態度で頭を下げ、自らの不明を詫びた。
「頭を上げろ宰相。卿の言う通り、事態は一刻を争うはずだ。堅苦しいことはこの際抜きにしよう」
銀河帝国皇帝スチュアート三世は、堅物気味な帝国宰相に対して鷹揚な態度を示した。
銀河帝国皇帝がいかなる温度感で政務に取り組み、またコミットメントするか。これは侃々諤々の議論を必要とする大変な難題ではあるのだが、現皇帝であるところのスチュアート三世を含む歴代の皇帝たちは、帝国宰相および国務大臣から構成される内閣に行政権限の大半を委ねる方針を採用してきた。しかし、内閣をはじめとした行政各部における内部対立の調停や、領邦貴族ないし議会貴族による政治への過度な干渉を防ぐ意図から、皇帝が帝国の統治機構に果たす役割は依然として大きい。
「…して、事態の予測不可能性もさることながら、どうやら問題は公国側の少々非協力的な態度にもあるようだな」
側に控える皇帝政務秘書官が作成した資料をディスプレイで眺めながら、皇帝は事態の整理を試みる。
「ご指摘の通りです。現地の情報や受け入れ態勢が不透明な以上、我々としても初動対応の立案が出来ない状況です。…確かに、4000m級の艦船など存在自体が前代未聞です。事態について、公国が対応を決めかねているもの理解が出来なくはないのですが…」
「しかしだな。ベルンハルトの公国が、このような椿事で手いっぱいになるほど器が小さいわけでもあるまい」
ディスプレイから顔を上げた皇帝は、堅苦しい表現をしつつも奥歯にものが挟まったような言い方する宰相に対して、その格式ばった態度を窘めるような柔らかい笑みを浮かべつつ言葉を繋ぐ。
「なにか別の事情がおそらくあるのだろう。卿も、見当がついているのではないか?」
「…ご賢察、痛み入ります。情報長官に問い合わせたところ、報告すべき事柄がございまして」
宰相は、敬意の上から保っていた皇帝との距離を詰めるとともに、懐から蝋付けされた封筒を取り出して皇帝に差し出す。「ペーパーレス」という概念が完全に一般化した宇宙時代であっても、緊急かつ秘匿性が求められる文書には紙を使用するのが一般的であった。
「…なるほど」
封筒を開けたペーパーナイフを片手に持ちながら、中に入っていた文書に目を通した皇帝は一言漏らした。
「宰相、閣僚たちはそろっているな」
「問題ございません」
「予が臨席したうえで緊急の内国安全保障会議を開く。その方が話が早いだろう」
「承知いたしました。ご随意に」
立場に似合わないカジュアルな態度が目立ちながらも、どこか勘が鋭くコミュニケーションの先読み能力に優れた皇帝と、堅物ながら大臣と役人に対する統制に秀でた宰相とのコンビは、多少の紆余曲折がありながらも実務の上では相性が良いものであった。
「今回の事態で発生した、管制外航路における超光速航行…、いわゆる『ワープ』の危険性は、本来改めて述べるまでもありませんが、今回発生した事案における当該艦船の特異性を鑑みたうえで、本省の担当部局によって作成されたシミュレーションをご覧いただきたく存じます」
役人が特急作業で作成した台本を読み上げながら、ヴァン国土航路大臣は手元のスクリーンを操作し、これまた特急作業で作成されたシミュレーション映像を呼び出した。内国安全保障会議に参加する皇帝以下十数名の要人たちが見下ろすテーブル上のスクリーンにて、模式化された星系の3Dモデルが浮かび上がる。
「現在スクリーンに映されているのは、事案の中心となっている4000m級の所属不明艦がワープアウトしたユーライヒ星系を簡略化して描写したものです。同星系はアウステルリッツ公国の統治下にありますが、同時に複数星系へと続く星系間航路の結節点でもあり、帝国の内国安全保障環境を考慮したうえでその戦略価値は非常に大きなものと言えます」
大臣らが視線を落とすなか、宰相の操作によって鮮明に映し出されたテーブル上の画面には漆黒の宇宙が広がっていた。それだけを切り取ってみれば、まるでテーブル自身が先鋭的なインテリアと化したようさえ思える。
「当該宙域において統計上あり得る大きさの星間浮遊物が存在していた場合、当然その被害は緊急の避難勧告を以てしても防ぎようのない範囲で発生していたはずです。実際に、50m相当の星間浮遊物が、マクファーレンの空間排他原理の解消による、完全な割合での対消滅反応を起こした場合の想定を、100倍の速度で再現してみましょう」
3Dモデルとして描写された星系のごく小さい一部分に白い点が現れて消えた。その直後、同じ場所から可視化されたエネルギーが凄まじい勢いで流れ出した。赤く彩られたエネルギーの波は、黒い宇宙を背景に同心球状で広がり、やがて居住地域である惑星にまで到達する寸前のところでその広がりを止めた。
「辛うじて惑星、および非大気圏居住区域までは到達しませんが、同時間帯における星系内航路には大きく重なっています。赤く示されているこのエネルギーの範囲内に所在する艦船は、80%以上の損壊を受けるものと推定されます。当然、座乗する人員の生存は絶望的です」
饒舌な喋り方とは裏腹に、ヴァン国土大臣の眉はひそめられ、またその視線も険しく厳しいものであった。
「…『議会』が口を挟んでくるでしょうな」
シミュレーション上の出来事とはいえ、あまりの事態を前に周囲が口をつぐむなか、列席者の中では最高齢のミヤモト国務大臣が冷ややかな一言を漏らした。その発言を聞いて、顔をしかめずにいられた参加者はおそらくいなかったことだろう。権力の監視者と自由の守護者を自任してやまない『議会主義者共』が繰り出す正義の炎の苛烈さは、徹底した現実主義者である帝国の政治家をして、逃避への誘惑をもたらすものであった。
「また、今後の詳報次第ではありますが、今回の事態が原因と思われる人的、ないし物的損害は今のところ、報告されていません。えー、続きまして。今回発生した事態について、その要因として考えられるものについての説明ですが…」
「その件については結構だ、国土大臣」
立場が上になればなるほど、決断に伴って行使される権限は大きくなるが、同時に共有される情報は冗長化する。皇帝は機先を制することで、会議特有の通弊が発生するのを防いだ。
「既に、聞き及んでいる。公国から提供される情報が不十分な以上、帝国政府としてはあらゆる手段を前提とした対応を準備しなければならない。取るべき態度としてはそんなところだろう」
「おっしゃる通りでございます」
不可抗力の部分もなくはないが、ひとまずヴァン国土大臣は皇帝に対し頭を下げ、職責に対する自身の不甲斐なさを謝した。
「頭を下げる必要はない。卿らに無理を言って内国安全保障会議を実施したのは事態が事態だからだ。…宰相、もういいだろう。例の資料を」
「承知いたしました」
皇帝から合図を受けたリ宰相が指示し、テーブルを囲む会議の列席者に対して、後ろに控える内国安全保障局の職員らから紙の資料が手渡される。
「今、皆さんの手元に渡った情報は、公的には存在しないものとして理解してください。情報長官、説明をお願いします」
「はい、宰相閣下」
閣僚たちと並び内国安全保障会議に参加する帝国国家情報長官は、銀河帝国政府に存在する複数の情報機関を統括する存在であり、当然そこから提供される情報にはあらゆる手段を通じて得たものが含まれていた。
「報告すべき内容は2点です。まず第一に、今回ユーライヒ星系で発生した事態――管制外航路における所属不明航宙艦船による超光速航行ですが、おそらくこれと同様の事態がルフェール星系でも発生しているとの情報が入ってまいりました」
「なっ…!!」
寝耳に水そのものの情報に対して、列席者の多くから驚きの声が上がった。
「幸いにも、ユーライヒ星系で発生したワープアウトによる被害は確認されていませんが、ルフェール星系で発生した事態については『擾乱勢力』の関与が推測されています」
「…ッ!航路での被害が!?」
『擾乱勢力』という情報長官の発言に対して、帝国の軍政を担うペトロヴィカ大臣が反応を示す。
「はい。公国政府は、同星系にて反物質の護送任務に当たっていた航宙部隊との連絡を喪失している模様です。また、同部隊にはアウステルリッツ公爵家当主の長男であるアルバート氏が訓練座乗しているとの情報も入ってきております。公国の各部局の対応が遅れているのも、おそらくこれが原因かと」
「ええと、つまりあれか。公国軍がルフェール星系にて展開している航宙部隊との連絡を喪失していることを根拠に、『擾乱勢力』がそこにワープアウトして、その航宙部隊と戦闘状態に入っているんじゃないかと推測しているわけか。ちょっとこじつけが過ぎるんじゃないか?」
「国土航路大臣の疑問はごもっともです。しかしながら、ルフェール星系近傍における近年の擾乱勢力の動向や、現地における航路の状況などから総合的に判断した結果でもあります。詳細についてはお手元の資料もご確認ください」
「…しかし、被害にあっているのが公国の航宙部隊であったのは、不幸中の幸いと言えましょう」
手元の資料をぱらぱらとめくりながら、ミヤモト国務大臣が言葉を挟んだ。
「現代においてなお貴族趣味的な態度が目立つものの、『擾乱勢力』に後れを取るくらいであれば、刺し違えてでも家の名誉を守る極めて教条的…。失礼、誇り高い一族です。…それにしても公世子が座上しているとは、これはこれで厄介になりそうですなぁ」
「その点に関してはご心配なく。公世子閣下の遭難などという体面に関わるよう事態を、公爵家がわざわざ公にすることは無いでしょう」
公国側が公にすることはないはずの情報を会議で見事に大公開した情報長官は、そこで一旦言葉を区切り、改めて言葉を継いだ。
「もう一点、ご報告する内容があります。資料の16ページをご覧ください。ユーライヒ星系にワープアウトした当該艦船を、遠距離から撮影した画像です」
列席者の手元の資料の16ページには、荒かったはずの元データをどうにかこうにかして鑑賞に耐えるレベルまで復元された航宙艦船の画像が載っていた。直線を中心としたその艦船の造形は、造船の専門家が観察すれば極度の生産合理性が発揮された軍用艦船であることに気づいたかもしれない。
しかし、列席者たちはむしろ航宙艦船の側面に描かれた、自身の所属を示す外部標識に対して意識を向けた。
「これは、紋章か…?」
銀河帝国に存在する領邦貴族家は200あまり。そのアイデンティティの象徴たる紋章、あるいは国章は、各々が好き勝手に作ってはいるものの、帝国の大臣ともなれば、各貴族家が掲げるそれらのデザインのほとんどは頭に叩き込んでいる。…はずであった。
「念のためお伺いしますが、みなさま。画像の外部標識にお心当たりはございますか」
「…無いようですね。構いません情報長官。説明を続けてください」
リ宰相が、嘆息とともに背中を椅子に預け、手元の資料をテーブルに放り出す。周囲の大臣らに先んじて詳細を知っている彼女のその行為は「もうお手上げ」というニュアンスを言外に示していた。
「…情報機関の調査の結果、画像の資料に示された外部標識は、旧ペルセウス連邦加盟国である『グリーゼ王国』のものと判明しました。銀河帝国の最外延部であるトランスオリオン宙域のさらに向こう側のオリオン暗礁宙域から、同航宙艦船がワープアウトしてきたものと推測されます」
情報長官の述べる内容に対して、驚きの声を上げる人物はいなかった。むしろ、あまりに常識外れなその発言が右耳から左耳に通り抜けてしまわぬよう、何とか噛み砕くことに努めるのが精いっぱいであった。