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第9話 精神世界での対話というのは内省の側面もあったりするわけでして

 波打ち際に立っていた。

 夏を思わせる入道雲が浮かぶ、抜けるような青い空の向こうで、海の水平線とまじりあっていた。

 白く、薄く泡立った波が、浜辺に立つ素足を濡らし、そして引いていった。


 「冷えるな」


 ショートパンツに白いシャツを羽織っただけだ。海辺からそよぐ冷たい空気が、私の身体を優しく吹き抜ける。

 いや、『私』というにはやや不正確、…なのかもしれない。というか、これは夢だ。

 ゆるいウェーブのかかった美しい金髪に、スラリとした鼻すじ。三白眼ぎみの視線はやや険を含んでいるが、穏やかな光景を眼前にして、少しの温かみを感じさせる。

 私…、アルバート・フォン・アウステルリッツが、その浜辺に立っていた。


「シロサキ、ヨシキと呼んだほうが良いかな。『転生者』とやらよ」


 窓から入ってきた明るい陽光が、レースのカーテンを透過して柔らかな影を机に映し出していた。

 その机を挟んで向こう側、木で出来た簡素な椅子に座りながら、私はそういった。


「すまないが…。疲れててね。寝てた方がいいと思うんだ」


 ベッドに横になりながら私は答えた。心地よい低反発が全身を包み込んではいるが、不思議と頭は冴えており、寝ることが出来るような気分ではなかった。


「ひとまず聞け。大事な話だ」


 くるりと振り返った私は、古びた渡り廊下にこつ、こつ、と乾いた音を立てながら歩いていた。威厳とよぶには少々発酵不足な立ち振る舞いであったが、私が――やや未熟ながらも――貴族然とした存在であることを示していた。

 私の視線が、上下左右で囲われた空間をすり抜けて、誰もいない廃校舎の全景をとともに、渡り廊下の中をゆっくりと歩く私をとらえていた。 


「常人には理解できない状態だ。だが、識ってもらう必要がある」

「だから何を」


 もったいぶった話し方が気になった私は、畳に手をついて少し強めに問い詰める。まだ固い感触が指先に触れるとともに、まだ新しいい草の匂いが私の鼻腔をくすぐった。

 そういえば、交換したばかりだったんだ。父が子どもの頃から住んでた家で、私の部屋にあった畳ももうだいぶ古くなっていたから。


「あ…」


 さみしさ、寂寥感。背中を突かれるような感覚に襲われるその直前、背中と尻によく慣れた感覚が戻った。


「父と母は…、少し過保護すぎる」


 やや呆れながらも、私は昔を懐かしむような態度で言葉を紡いだ。

 本邸の食堂に置いてあった長テーブルと椅子を、幼少の私はやけに気に入っていた。首都惑星の別邸に移り住むにあたって、家族の団らんの思い出が刻まれたこれらを、両親はわざわざ別邸に持ち込ませた。

 

「数万光年の距離を超えて、か」


 記憶を辿るかのように、長テーブルの感触を確かめる。つるりとした表面に、丸みをおびたやや厚い縁。冷ややかなさわり心地は、私の手のひらに良くなじんだ。


「ようやく落ち着いた」


 その言葉と共に、私の両肩にとん、と手が置かれた。


「正直、何のことだか」

「分かっているはずだ。すっとぼけるな」


 両手でテーブルの縁をつかんでいる様は、周りから見たら多少滑稽に映るはずだ。しかし、私の表情はひどく強張っていた。…どちらにしろ滑稽なのは変わりなかった。


「覚えているだろう。これは私の記憶だ」

「そうだ。これは私の記憶だ…。だから…」


 頭では理解していた。がしかし、あまり口にしようとは思えなかった言葉が、不意に口から洩れる。


「君は、誰なんだ?」

 

 両手が両肩に置かれている感触がある。しかし、首と両目は固まったまま、その影をとらえようとは動かなかった。


「気にすることか?」

「そりゃあ…」


 そう言いかけて、私は不意に両肩から手を離した。


「なんだ。そういうことか」


 別邸の食堂、いや、屋敷全体に、人の気配を感じられなかった。これはこれで珍しい状況だ。両足から感じる床の固い質感を覚えつつ、私は長テーブルに沿うようにその場を歩く。


「自我が記憶から構成されたものであるとき、私は、私なのだが…」


 頭では即興で理解できても、言語化するのに困難を覚えることがある。今がそうだ。


「難しく考えるな。こういう時はシンプルに表現するのが一番だ」


 突然も突然の出来事に対して、どこに出しても恥ずかしいであろうマヌケ面をさらした私であったが、一方で私は淡々と話をつづける。


「要するに。私はアルバート・フォン・アウステルリッツであり、君は転生者、シロサキ・ヨシキであるということだ」


 完全に正確な表現とはいい難かったが、少なくとも現状を最大公約数的な的確さで示した表現なのは確かだった。


「記憶が、まだ完全に混ざり合ってない…?」

「混ざり合うのが『記憶』なのか、それとも『自我』なのかまでは皆目わからん。まぁ、そうだな。君の日本における愉快な記憶で例えるとすれば、」


 私はいったん言葉を区切り、手をあごに添えて若干考えたのち、再び口を継ぐ。


「生卵、というものがあるだろう。あれをかき混ぜたとき、どれだけ頑張っても黄色い部分と透明な部分が別れてしまう。私と君は、ようするにそういう状態にあるんだ」

「ひょっとしてそれって…」


 あまりにも、あまりにも数奇な運命に対して、思わず口角を軽く吊り上げながら、私は返す。


「結構マズい状態?つまり、君は、自分としての感覚が薄らいでいるってことなのか?怖くはないのか?」

「怖い…。怖いか」


 青年貴族は少々考え込む態度を見せると、再び私のほうを向いていった。


「『自分としての感覚』などというものは貴族として産まれて以来、あったようでいて、無かったようなものだ。さすがこんな状況を目の当たりにするとは思わなかったが、怖いということはない」


 嘘や強がりを言っている風には見えない、堂々とした話しぶりで私は答えた。


「まぁ…、まぁね。ここまで来てビビられるより、そうやってあっさりしていてくれたほうが私としても気が楽だけども。やっぱり貴族ってキツい?」

「当然だろう」


 一言で即答した私は、ハァ。と一拍ため息をついて話をつづけた。


「君も感じたはずだ。貴族が生まれながらにして背負わねばならない責任と重圧。ちょっとした一言や何気ない仕草ですら他に与える影響が著しいあの感覚。君が単なる平民の生まれだったとしても、…いや、平民の生まれであるからこそ、そういった部分に何か思うところはないのかね」

「まぁ確かに面倒だと思う部分はあるが…。ただ、別に一人で何でもこなそうとする必要はないじゃないか。ソレリアだって、いつも私の側にいてサポートに回ってくれる。そうだろ?」

「ソレリアか。あやつも可哀そうな女性だ」


 私は悲しいことを思い出したかのように表情を曇らせた。


「彼女らに比べたら、確かに貴族としての私は、恵まれたほうであったことだろう。何しろあの者らは生まれながらにして自分以外の誰かに忠誠を誓わねばならないからな。いったい何という不条理だろうか」

「それはまぁ…。確かにそうだな」


 私はなかなかリベラルな考え方をお持ちのようだ。私が心の奥底で、実は気にしていた部分を正確についてきた。


「生きていくうえで、誰かと知り合い、誰かと親睦を深め、誰かと別れて、誰かと愛し合う。それが、人が人に人として認められた権利であり、また自然な生き方であるはずだ。なぜ我々はそのような生き方が許されない。なぜ自由があってはならないのだ」


 私は悲嘆な台詞を声高に発し、長テーブルに置かれた手の平を握りしめることで、怒りの所在を明らかに。持ち前の美貌もさることながら、生まれながらに備わった気品がその動作に加わることで、そのシーンは一層悲劇的な様相を帯びていた。気の利いた芸術家がこの場面を見ていたら、何かしらインスピレーションが刺激されたかもしれない。


「私だけであれば、まだ運命として受け入れる道もあっただろう。しかし、ソレリアもテオドラもリーゼも、貴族として生まれたものには自由という生き方が許されない。あぁなんという、なんという悲劇であろうか。なんという血の呪縛、宿命のファルスであろうか」


 実に真に迫った悲しみと絶望の表現は、多くの舞台俳優がうらやむほどの臨場感を醸し出していた。…演出がやや過剰気味だという指摘はひとまず置いておいて。


「ま、まぁ。貴族もそんなに悪いもんじゃ無いんじゃないか。実際にちょっとだけやってみて、の意見ではあるけど」


 さすがに辟易した私は、私による独り舞台に対してやや無粋な一言を挟む。もっとも、多少の本心もそこには含まれてはいた。


「…そういえば君の世界では、なにやら貴族がよきもののように扱われているそうだな。豪奢な暮らし。様々な特権。大きな栄誉…。確かにその部分だけを見ればうらやむこともあろう。しかしだ、自由なくして、豪奢な暮らしはただの鳥かごにしか過ぎない。自由なくして、様々な特権は無味乾燥な形骸にしか過ぎない。自由なくして、大きな栄誉はただの虚像にしか過ぎない。…そうは思わないかね」

「…確かに」

 発言の内容はいささか青臭いものであったが、むしろそれに伴った気迫に圧倒され、私は思わず同意の一言で応じる。さすが、年季の差とでもいうのだろうか。しかし、ただ言い負かされるだけなのが癪なのも事実。私は咄嗟に言葉を継ぐ。


「ただ、…あー、そうだな。自由を引き換えに色々手にできる貴族っていう立場も、言うほど悪いもんじゃないとは思うよ。そりゃ…、私よりもずっと長いこと貴族をやってきた君にいうのも、ちょっとおかしいことではあるけど…」


 立て板に水を流すような私の話し方に比べて、ずいぶん歯切れの悪い言い方になってしまった。ただ、それでも私なりの言い分があるにはある。貴族という生き方が面倒なのは、確かにそうだ。実体験としてそういえる。貴族に叙された星系国家の「開拓者たち(エスタブ)」が絶望を覚えたのも、開祖であるジークフリートが公爵号を与えられてブチ切れたのも、当然といえば当然のことだったのだろう。


「だけど、まぁ聞いてくれ。私はまだ『貴族』という生き方に希望を持っているんだ。あぁ貴族でいられて良かった。っていうような、言葉にすると少し変だけど、そういう風に感じられる瞬間もくるとは思うんだ。…なんていうかな、もっと良い表現の仕方があるとは思うんだけど…」


 単純な説得力で劣っているのは、火を見るよりも明らかだ。だが、そうであっても、目の前の私が声高に主張するほど、私は貴族としての生き方を悲観していなかった。生まれてきてしまったから、転生してしまったからしょうがない、といったような諦念からの感情ともまた違う。「何か」が貴族としての生き方にあるはずだ。という、根拠のない確信めいたものが私の中にはあった。


「ふむ…。まぁ君の意見は意見として」


 自身にまとわせていた悲観的雰囲気をひとまず振り払った私は、腰かけていた椅子から立ち上がり、私の元に歩を向けながら言葉を続ける。


「ひとまずこの状況についてだ。記憶が混濁しているのは確かだが、だからといって周りに相談できるわけでもあるまい。生活に必要な諸々は殆ど問題ない程度に思い出したはずだ。…まさかこの世界が文明世界であることすら忘れていたとは滑稽だったが、それももう問題あるまい」


 やや自嘲的な笑みを口元に浮かべながら、私に向き合った私は最後に言った。


「そろそろ目覚めの時間だ。まぁ、やっていく自信があるのならそれはそれで結構。万が一何かあれば…………」


 十数年に及ぶ習慣から、ベッドの中の私はいつも通りの時間に目を開いた。


「…はぁ」


 内容が内容だったこともあって、さすがに薄気味悪さを感じた私は即座に上半身を持ち上げると、左手をぺたぺたと自分の顔に当てて、その質感を確かめる。


「…」


 眼球から取り入れた単なる光学的な情報を、現実感を受け入れ始めた脳みそが処理することで、その場所が惑星ジン・ヴィータに所在する公爵家別邸の私の部屋であることを理解した。始めから終わりまでにかかったその時間は、コンマ以下の僅かな瞬間にすぎなかった。


次から新章入ります。


やったね主人公君!!貴族として活躍できるチャンスが待ってるよ!!!

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