第0話 防衛戦
それは実に奇妙な戦いであった。楽な戦になるだろうと、彼女の直属の上官はのんきにそう言っていた。実際のところ、祖国が誇る上陸船団が、まるで昆虫が卵を産み落とすかのように自分たちの所属する突撃部隊を次々と揚陸させてしばらくするまでは、彼女自身もそうなるだろうと素直に考えていた。
「前進だ!!おい止まるな!!早く進め!!」
絶望と激痛の悲鳴が鳴り響く戦場の中で、上官の命令はむなしいものであった。それまでの予想に反して、現地住民たちは意外にも抵抗の姿勢を示していた。いや、自軍の損害から見ても、抵抗すべき立場はむしろ自分たちの方であったことは、その場にいる全員が、嫌がおうにでも認識せねばならない事実だった。
「ザニャーチャ!!ここの陣地はもう無理だ、撤退しよう!!」
頭蓋骨が吹っ飛んだ上官だったモノの残骸を横目にしつつ、仲間内では負けず嫌いで有名なその兵士は、たまらない様子でザニャーチャと呼ばれたもう片方の兵士の首を引っ張る。雨あられのように光の玉が降り注ぐ状況の中で、それは最大限冷静な判断でもあった。
「トブルク、わかったわかった!!騎兵に注意しつつ後退しよう!!導爆杖はなくさないでおいてくれよ!!」
「当然だ!!奴らの軍団に一撃でも食らわせてやらなきゃ、死んでも死にきれない!!こんなことをしてくれた報いさ!!」
敵へのいら立ちと、周囲の爆音に掻き消されないために、トブルクと呼ばれた兵士とザニャーチャと呼ばれた兵士は、お互いに大声で会話しながら塹壕の中を突き進む。ただ塹壕といっても、地面をほじくり返しただけの即席仕様であったし、周囲には焼けたり焦げたり引き裂かれたりした肉の塊と、どす黒く固まった血の跡であふれていた。カラ元気でも出さなければ、そこに充満する生臭い匂いに吐き気を催さずにはいられなかった。
「だいいち、敵の艦隊とやらが出てこなかったのがそもそも気に食わないね!!ここの土地の防備を任されていた貴族どもは卑怯者だ!!軍人の風上にも置けやしない!!」
「まったくだよトブルク!!どうせ上陸されてる時点で半分負けたようなもんさ!!人民らのやってることは無駄な抵抗でしかないはずだ!!」
「その通りだよザニャーチャ!!どうせ戦うなら、強い敵と正面から戦いたいもんさ!!そりゃ地上の奴らだって強いことには変わりない!!けど、どうせ終わりは見えているんだから、さっさと降伏するのが利口ってもんだ!!」
ザニャーチャの前を進みながら、ヒートアップしたトブルクが「導爆杖」と呼ばれた装備を持つ両の手に力を込める。
「じきに本隊が来る!!僕たちの総指揮官はあの『魔導士』タオだそうじゃないか!!そうすれば逆転は確実さ!!」
あきれたことといえばそれまでだが、祖国に忠実な軍人たるトブルクはこの状況においてなお、自分たちの勝利を疑っていなかったのである。
「君の勇敢さが健在で安心したよトブルク!!おかげで…」
ザニャーチャが言いかけたところで、突如、黄色く輝く火の柱が二人の目に映った。奇跡のように美しいその攻撃は、当然崩れかけた即席の塹壕では防ぎきれず、地獄のような灼熱がトブルクに襲いかかった。この瞬間をもって、冷静かつ勇敢であった模範的兵士トブルクは、全身の表面を急激に炭化させることで、自身が果たすべき義務を強制的に完遂させたのである。
「………!!!!」
二人が一緒にいた時間と比べれば、あまりにも一瞬としか言いようがない出来事を前に、ザニャーチャはただただ圧倒されるしかなかった。声にならない叫びが、ただ一人を除いて無人となってしまった塹壕の中を駆け巡る。
「ハァッ!ハァッ!ハァッ!」
悲嘆に暮れている時間は、残念ながらこの場合あまりにも無益であった。いまだ熱気の残る酸素を口から取り入れながら、無我夢中の状態で、ザニャーチャは憎らしいほどに無傷であった導爆杖を手に取った。
「クソ…っ、クソ!!」
孤児出身で、卑屈な性格から周りにも見下されてきた自分が、まさかこれを手に取るとは思ってもいなかったし、使いこなす自信もなかった。しかし、それでもザニャーチャはとっさの判断で敵の陣地に向けて導爆杖を振るった。
刹那、まばゆい光が雲を突き破り、敵の軍団めがけて落ちていく。これが導爆杖の威力だ。使用のタイミングさえ見計らえば、あらゆる敵を一層出来る。優秀な兵士でなければ本来は持つことを許されない魔法の武器だ。しかし、ザニャーチャはその光景を見届けることなく、導爆杖を抱えながら再び塹壕の中を走りだす。
「トブルク…!トブルク…!」
荒い呼吸をついていた口は、やがて戦友の名前を呼び始めた。この時ザニャーチャは純粋に恐怖していたのである。止むことのない絶叫と地響き。血と泥が渦巻く戦場。平等に死を振りまく火炎の渦。そして、手首だけになってもなお、導爆杖にしがみ続ける、生真面目だった戦友の執念に。