三十話 ネズミのくせに……
5月7日
朝、目覚めてリビングに降りてきた瞬間、窓の外を大きな何かが横切ったのに気がついた。
とっさにソファーの陰に身を隠す。
家の裏庭に何かいる。
……というか、正体はすぐに分かった。
この四年間、こいつの姿はネットの動画やニュースで頻繁にお目にかかっている。
デカネズミだ。
日本なら、警察や自衛隊に通報して射殺してもらうことになるのだが……。
異世界まで警察も自衛隊も駆けつける術は無いだろう。
そもそも圏外だし……。
どうする?
数十年前に流行ったコンシューマーRPGでは、初期装備でも勝てる。
いわゆる最底辺モンスターだが、地球で丸腰の人間がこれを倒した前例はない。
地球でもこいつの出現事例はかなり多い。
多いということは、それだけこいつに襲われ命を落とす人も多かったはず。
ライフル銃数発で倒せるようだが、そんな気の利いたものはここにはない。
家に入り込んでこられたり、棲みつかれたりしたら俺の命は無い。
何とかして倒すしかなさそうだ。
たとえ倒せなくても、最低でも追い払う必要がある。
幸いデカネズミがいるのは家の裏庭だ。
70坪ほどの広さがある。
リーチのある棒術で戦うこともできそうだ。
玄関に立てかけてある棒術用の棒を手にする。
そっと勝手口から外に出て、気付かれないように慎重に…… デカネズミの背後に回る。
この四年間、地球でも魔物は珍しくなくなっている。
それでもこんなに至近距離で魔物を見たのは初めてだ。
ピリカはきっと魔物ではない何かなのでノーカンで良いだろう。
背後からデカネズミを視界にとらえる。
全長は2mを少し超えているか……。
大きさ的には殆どヒグマである。
これでネズミとか…… 何の冗談だって話だ。
とにかく、最初の奇襲で倒すか追い払うかするしない。
まともに対峙したら勝算は極めて低い。
気付かれないように出来る限り接近する。
狙うのは頭しかない。
他の部位は、体毛と脂肪・筋肉に阻まれて打撃は通じないだろう。
地球でも野生動物は痛みに対する耐性が高いからな。
でなければ生きていけないから……。
地球上では、人間が最も痛みに対する耐性が低い。
……なんて話を聞いたことがあったな。
呼吸を整えて、俺は背後から少し左斜め後方へ歩を進める。
あと、半歩踏み込めばデカネズミを間合いに入れることができそうだ。
さすがにここまで接近されれば、デカネズミも俺に気付く。
頭を左に回して振り返り、接近してきた者を確認しようとする。
俺はこの瞬間を待っていた。
全身の瞬発力を一気に全開にして、半歩踏み込みデカネズミの頭を射程に入れる。
「せいっ!」
短い気合と共に、棒による渾身の中段突きをデカネズミの頭に叩き込んだ。
これでデカネズミの頭蓋が砕けて、昏倒でもしてくれれば俺の勝ちが決まる。
中段付きは、デカネズミの側頭部にクリーンヒットして「ゴッ!」と鈍い音と、確かな手応えが感覚として伝わってくる。
間髪入れずに、上段からデカネズミの脳天に第二撃を振り下ろす。
たまらずデカネズミは数歩よろめいたが、それ以上の効果は見られない。
「ギシャーッ!」
倒せなかった以上、恐怖と痛みでこのまま逃げてくれることを期待した。
……が、それは甘い期待でしかなかった。
デカネズミは、襲ってきたのが自分より小さい存在であることを確認すると、怒りに任せて突進してきた。
自惚れではないが、人間だったら即死しているような二連撃だったぞ。
俺が思っていた以上に、人間と魔物では耐久力と身体能力に差がありすぎた。
ものすごい瞬発力だ。
もはや回避は間に合わない。
とっさに棒で防御の姿勢を取る。
武術の心得がない素人だったら、防御も間に合わなかっただろう。
デカネズミは容赦なく俺に体当たりを見舞う。
凄まじい衝撃に、棒は容易く二つに折れてしまった。
衝撃で俺は後方に吹き飛ばされる。
背中をブロック塀に打ち付け、そのまま倒れ伏してしまう。
「ぐっ……がっ!」
衝撃と痛みで息が詰まる。
全身がガクガクと震えてうまく動けない。
なんとなく感覚で肋骨が何本か折れただろうと感じる。
それでも起き上がらなければ……。
すぐに追撃が来る!
震える足で何とか起き上がるも、デカネズミはもう眼前に迫っている。
デカネズミはすでに、自分が圧倒的優位を取れていることを理解しているのだろう。
右前足で俺を無造作に薙ぎ払う。
俺は右外受けの構えで。デカネズミの攻撃を防ぐことを試みる。
しかし、デカネズミの爪が腕の皮膚を深く切り裂いた。
それと同時に払い飛ばされ、そのまま裏庭の天然芝の上をコロコロと転がる羽目になる。
「ぐあっ! やっべぇ! やっちまった」
腕から血が絶え間なく流れ出る。
外傷でこんなに出血したことは生まれてこの方無い。
これ、大丈夫なのか?
出血多量で死んだりしないのか?
その前に、このままでは確実にデカネズミの餌だ。
デカネズミは完全に獲物を嬲り殺しモードに入っている。
さながら弱ったネズミをいたぶる猫のように……。
ネズミのくせに…… くそう。
余裕綽々とデカネズミは俺に接近してくる。
もはや俺は身動きを取るのも難しい。
どうやらここまでのようだ。
まずは絶対に逃げられないようにするためだろうか……。
デカネズミは俺の足首を噛み千切ろうと、前歯を俺の右足に突き立てようとする。
俺は麻酔なしで利き足を失う激痛を覚悟した。
しかし、デカネズミは俺に触れようとしたその時……。
突如、俺とデカネズミの間に光の壁が現れた。
光の壁に阻まれたデカネズミは、これ以上、俺に触れることはできなかった。
本日の投稿は以上です。
次回、三十一話の投下は明日、4月11日の21:30ぐらいを見込んでいます。
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