二十一話 だが、人生にやり直しは無い
俺は時折、警察に事情を聴かれたりしながら校長室で時を過ごす。
日も落ちて、外が真っ暗になった頃。
病院から連絡が入った。
江名の緊急手術が終わったらしい。
手術は無事に終わり、失明の危機も含め、後遺症もなく治りそうだとのことだ。
学校関係者はほっと胸をなでおろしていた。
やがて、江名の病院に行っていた両親も学校に姿を見せた。
母親は、さめざめと泣いていた。
親父は何も言わず、ただ黙って俺を見下ろしている。
当時、テレビでやっていたいたずらっ子のホームドラマの父親の様に
「この馬鹿野郎! てめぇの馬鹿さ加減にゃ、父ちゃん情けなくて鼻血出てくらぁ!」
……とか言われてぶっ飛ばされるかとも思ったが……。
そんなこともなかった。
そのまま、学校や警察関係者に向き直ると
「うちの息子がご迷惑をおかけいたしまして……」
と、頭を下げた。
俺は警察・学校関係者・両親を含めて、全員がそろったところで、改めて事の経緯を包み隠さず、ありのまま話した。
両親は黙って俺の話を聞いていた。
俺が小学校に入ってからずっと、いじめられ続けていたことに衝撃を受けていたようだった。
俺の訴えに対して、拳法道場に放り込んだだけ。
その後の事を確認しなかった結果を、どんなふうに受け止めていたのだろう。
すでに他界した両親の心中を知る術はない。
「……わかった、あとは父さんと母さんに任せなさい」
それだけ言うと親父は自分の名刺を校長と稲川先生に渡して、今後の話を始めたようだった。
俺は母親と家に帰るように言われ、校長室から出る。
校長室から出る直前に
「どうか、教育委員会だけは」とか
「何卒穏便に……」とか……
稲川先生と校長のかなり上ずった声が聞こえていた。
数日後、俺は学校に登校した。
その時には、俺に対するいじめはぴたりと止んでいた。
俺が古流拳法の有段者であることが広まっているようだった。
俺に対して暴力をふるってくるものはいなくなったが、関わって来るものも誰もいなくなっていた。
完全に狂犬扱いである。
数週間後、江名が退院してきたらしく、俺は両親に連れられて江名の家に行くことになった。
江名の家はみすぼらしいアパートの一室だった。
扉をノックすると、開かれた扉の向こうから出てきたのは……。
見るからに、チンピラじみた大人の男女である。
こう言っては何だが、どこから見ても教養のかけらも無さそうな感じだった。
親父は静かにかつ、はっきりと男に話しかける。
「江名さん、夜分に失礼します。大山と申します。この度は、息子が広和君に大変なお怪我をさせてしまいまして、誠に申し訳ございませんでした」
親父が江名の両親に頭を下げる。
「ん? あぁ。警察とか弁護士から聞いてるよ。元通り治るらしいし、病院代もそっち持ちだろ? 大体、ガキの喧嘩で親がしゃしゃり出るようなだせぇまねしねぇよ」
江名の父親がヘラヘラと答える。
「あいつに気合と根性が足らんのが悪りぃんだからさ。俺のガキにはよぉ、人間、嘗められたら負けって教えてるからよぉ」
なんか、小学生なのに江名があんなやさぐれた人間である理由を見た気がした。
今でいうところのネグレクトの一歩手前のようにみえた。
江名は包帯がぐるぐる巻きの顔をして、部屋の隅で膝を抱えてこちらを見ていた。
学校最凶の二つ名は見る影もない。
「寛大な対応、ありがとうございます。こちらは心ばかりではありますが……」
親父が鞄から中身がぎっしり入っていそうな封筒を取り出した。
それを江名の父親に手渡す。
封筒を受け取った江名両親の口角が上がる。
「へへっ、わかってるって。弁護士先生から聞いてる通りにしておくからよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします。この度はまことに申し訳ございませんでした」
両親は改めて江名両親に深く頭を下げる。
俺も習って頭を下げる。
俺が短絡的に江名に拳を振るってしまったがために、両親がこんなチンピラもどきたちに頭を下げる事態になってしまった。
これ以降、江名とその取り巻き達も俺に絡むどころか、関わり合いになってくることすらなくなった。
翌月には、担任の稲川先生は急に実家に帰ることになったとかで、学校から居なくなった。
校長先生も、教育委員会に移ることになったとかで居なくなった。
当時の俺は親父の仕事は市役所に努めている公務員としか知らなかった。
だが、中学生になる頃にはもう少し詳しく知ることになる。
市役所に勤めている公務員には違いなかったが、市役所内の幹部職員だった。
人口30万人程度の政令指定都市ほどではないが、それなりに大きい自治体の市長の右腕。
側近中の側近と目される地位にいたのだ。
親父は自分の権力・人脈を総動員して市長、更にその上の知事、つてのある弁護士にも今回の火消しを依頼していた。
教育委員会をも動かして、今回の事件を封じ込めた。
その上で、全ての責任を校長と稲川先生に負わせて、トカゲの尻尾にして切り落としていたのだ。
江名の両親とも弁護士を通じて示談にして、金を握らせて話をつけていた。
あの時、江名の両親に渡していた封筒はそういうことだろう。
親父はその後、すぐに市長派閥から身を引いた。
以降は定年まで閑職に追いやられることになる。
俺の経歴に傷害事件を起こしたことで傷がつかないように……。
俺の幸せな人生のため……。
そんなもののために、今まで積み上げてきた実績も経歴も、つかんだ権力も全て躊躇なくかなぐり捨てて見せたのだ。
市長や知事にスキャンダルになりかねない事案で手を煩わせたのだ。
その地位を失ってしまうほどの大きな借りを作ったに違いない。
親父が定年した時に、母親の口からこのことを知ったとき、俺は自分の浅はかさを後悔した。
やり直せるなら、もっと上手くやれたはず。
古流拳法の有段者であることを江名達やクラスメイトに、親父が市の有力者であることを学校に伝えてひけらかすだけで、いじめに対する抑止力として十分に機能したはずだ。
使えるものはすべて使う。
これ自体は、何も卑怯なことでは無いと思っている。
大人になれば当たり前のことだ。
正々堂々、小細工なしでなんてのは子供の間と、スポーツ競技だけの精神論だと思う。
俺が受けていたいじめを抑止することができれば、親父は最後まで幹部職員として辣腕を振るえていたはずだ。
江名だって、病院送りになって痛い目を見ずに済んだ。
稲川先生も失職せずに済んだし、校長先生も左遷されなかっただろう。
俺のたった一発の正拳突きは、本当に多くの人の人生を狂わせてしまった。
だが、人生にやり直しは無い。
俺がどんなに後悔し、人生のやり直しを望んでもタイムスリップやタイムリープなんてものが起こりうることは無い。
こんな超常現象をもってしても、巻き戻ったのは俺の肉体的年齢だけだ。
全く、詮無いことだ。
なんとか丸一週間、三話ずつ投下を続けることができました。
本日はここまでにします。
二十二話の投下は明日4月8日、21:30ぐらいを目標にします。
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