百九十八話 泣くほどのこと…… なんだろうな……
川の大きさ的には緑の泥を流れているものに比べれば可愛いものだ。
問題は地脈がこの川を横切って走っている。
この一点だけなんだけどな。
「さすがに僕でさえ、先週ぐらいからこんなことになる気はしていたけど…… どうするんだい?」
ヴィノンだけなく、地脈のルート的にこの結果は前から予想はしていたわけだが……。
「そうだなぁ…… ここで調査を諦めるのは簡単だけど」
俺の言葉を聞いてアルがピクっと肩を震わせた。
もうすでにその両目一杯に涙を貯めていて、決壊寸前だ。
ここで俺とピリカが調査の中止を決断すれば、それは俺達がエーレを去ることと同義だ。
エーレとこの森がピリカの快適な暮らしに適さない以上、俺達がここに戻ってくることはおそらくない。
そして、アルはもうすぐこの森どころかモルス山脈でしか暮らせなくなってしまう。
事実上、アルとは今生の別れになる。
アルとは知り合ってまだ四ヶ月弱ほどだ。
まだ短い付き合いだといえる範疇だろう。
だというのに、泣くほどのこと…… なんだろうな……。
この娘にとっては……。
「諦めるのは簡単だが、せっかくここまで続けてきたんだ。継続できる可能性を模索はするべきだろう」
俺がそう言葉を続けると、ぱあぁっとアルの表情が晴れる。
わかりやすすぎる。
この娘に駆け引きを求めてはいけないことだけは間違いないな。
「そうは言ってもどうするつもりだ? 何か作戦でもあるのか?」
アルドの言うことはもっともだ。
そもそも俺達には地脈の存在も穢れも、全く認識できていない。
まずはそれを見分けられる者に意見を聞かないとな……。
「ピリカ、どうなんだ? 川の下にある地脈を追うことは出来るのか?」
「できるできないで言えばできるよ。でも、空中からはちょっと無理だね。ピリカが一人で川の底を歩いても調べてもいいんだけど…… ちょっとやりたくないな」
俺も出来る事ならピリカにそれはやらせたくない。
俺が知る限り、ラライエにおいてピリカはほぼ無敵だ。
おそらく大丈夫だとは思うが、水の底にいるピリカに何かあっても俺がピリカを助けに行くことは出来ない。
水中や水辺に出現する魔物は、地上に出現する物とはまた別物だ。
地球でも海や川に出現する魔物はその殆どが別次元の凶悪さだった。
こいつらと戦うには潜水艦や護衛艦のような戦力が必要になる。
水中でこいつらと馬鹿正直に戦っても、人間に勝ち目など万に一つもない。
ラライエワニなどはその最たる例だ。
だから緑の泥を進むときも、川からは一定の距離を取ることを心掛けていた。
「水の中にいたら、ハルトに何かあってもピリカがすぐに助けに行けないじゃない!」
俺と同じことを考えていたか……。
立場は真逆だけど……。
「なら、川の底を行かずに地脈を調べる方法はあるか?」
「水面を歩けば何とかいけると思うよ。流水はピリカの探知を阻害するけど、空中よりもいくらかマシなはずだから。ただ……」
「ただ…… なんだ?」
「水面から地下にある地脈を追いかける間は集中したいから、魔物に邪魔されたくないな」
それは俺も同じだ。
きっと大丈夫なんだろうが、ピリカが単身で水面を進んでいる状態で水棲の魔物にピリカが襲われるシチュエーションは俺の精神衛生にも良くない。
「ピリカがそう言うということは…… いるんだな? 邪魔してきそうな魔物が川の中に……」
「あの辺にうじゃうじゃとね。あれだけいると魔物の魂が持つ穢れが邪魔で地脈の穢れを見失うかも」
ピリカが今いる場所からやや下流の川の真ん中あたりを指さした。
もちろん俺には何も見えない。
日光を反射して水面がキラキラと反射しているだけだ。
オペラグラスを取り出してよく見てみるが結果は同じだ。
「すまん、全然わからん。ヴィノンはどうだ?」
「僕にも分からないね。水の中にいる魔物を見つけるのは難しいんだ」
リコも似たような事を言っていたな。
ピリカが調査の邪魔になりそうな魔物がいると言っている以上、放置はできない。
ここは素直にピリカに答えを聞いてしまおう。
「ピリカは川底にうじゃうじゃいる奴の正体までわかっているのか?」
「うん、デカいカニだよ。この前、緑の泥でスライムのエサになってたやつ」
あれか……。
「カルキノスか……。できれば放置しておきたいところだが……」
アルドがそう漏らす。
そう、そんな名前のデカいサワガニだ。
「そうだね。不用意に水辺に近寄らなければ、そこまで危険な魔物じゃないけど……。空腹時のあれに見つかると厄介な相手だね」
アルドとヴィノン、二人共、カニの危険度はそれなりに高いと評価しているのか。
そんなのがうじゃうじゃはキツいかもしれない。
「わかった。それじゃそのカニを釣りだして始末しよう。ピリカの調査の邪魔になりそうな奴らを排除した上で、調査を続けよう」
俺達は一度川岸から離れて、ボル車を止めてある街道まで引き返し、ここで作戦を検討する。
……。
……。
焚火を囲み、スープをすすりながら作戦会議に入る。
「さて、二人はあのデカいカニのことを良く知ってるみたいだし、特徴を教えてもらっていいかな」
「緑の泥で育ったハルトが、カルキノスのことを良く知らないとはな」
「水辺は危ないからあまり近づくなって教わってきたんだよ」
「私が教えてあげる! ピリカが言っていたようにとても大きいカニなの! 私と同じぐらいの大きさだけど、大きいのはその倍ぐらいのがいる事もあるわ」
アルエットがここぞとばかりに、カルキノスの外観について語ってくれるが……。
うん、それは知ってる。
現物を緑の泥で見ているからな。
俺が知りたいのはそこから先の情報だ。
初遭遇時はものの数秒でスライムに襲われてドロドロに溶かされてしまったからな。
「それで、そのデカいカニを相手に戦うにあたって何が危険なのか、弱点とか…… その辺はどうなんだ?」
「まずあいつらは空腹時とそうで無い時で脅威度がまるで違う。空腹時は目についた動くものには見境なく襲ってくる。逆にそう出ない時はこちらから手を出さない限り、積極的に襲ってこないんだが……」
今回、カルキノスは全て排除するつもりだ。
空腹かどうかは関係ないな。
戦うことが前提になる。
脳内PCにアルドが言ったことは情報として記録するだけにとどめておく。
「そして、水中でも地上でも変わらず活動できる。見た目以上に動きは速い。横歩きしかできないが、地上でもコボルトの最高速度並みの早さは出ると思ってくれ」
この情報は重要だな。
なら、水中で戦うのは自殺行為だ。
最低でも陸に引っ張り出さないと、戦いの土俵にすら上がれないな。
「あと、あいつらは悪食でね。肉食だけど肉なら何でも食べるよ。地上ではそれほどじゃないけど、水中に漂ってくる血や肉の匂いにはものすごく敏感だね。でも地上では嗅覚は殆ど役に立たなくなるみたいで、視覚だけで獲物を識別しているんじゃないかってのが定説だよ」
このヴィノンの情報も貴重だ。
「それで、奴らの攻撃手段は? やっぱりハサミか?」
「そうだね。ハサミと足の爪による攻撃だよ。力はとても強いから、捕まったら一巻の終わりだと思った方がいいね」
やはりそうか。
地球でも全ての生物が同じ大きさだったら……。
なんて考察はよく見かけたけど、その場合人間の身体能力は相当低い。
人類とほぼ同じ大きさのカニだと、そういうことになるのも納得だ。
「飛び道具はどうだ? 魔法とか、口から泡のブレスなんか出すとかは?」
「さすがにそれは無い。カルキノスと戦うときは捕まらない事。これが一番大事な事になる」
アルドがカルキノスと戦う場合のキモをそうまとめた。
「わかった。俺がカルキノスと戦う場合、俺の攻撃はアレに通用するのか?」
「難しいな。カルキノスの甲殻は硬い。奴の甲殻を単純な武器攻撃で破るのは厳しい。だから俺がカルキノスと戦うときは【ペネトレイション】で甲殻の内側を直接攻撃する」
「僕はアルド以上に苦戦することになるよ。ブーメランじゃカルキノスの甲殻は抜けないから…… 甲殻の無い関節を狙うしかないんだけどね。奴らは手足の一本二本もげたところで、全く怯まないからね」
それはそうだろ。
異世界のカニ(しかも魔物)と地球のカニを同じ物差しで判断するのは危険かもしれないが……。
カルキノスの生態が地球の淡水棲のカニに近いものだとすれば……。
やつらは自ら手足を切り離すことが出来る。
自切とか言ったかな?
最近の研究でカニにも痛覚はある ……というのがわかってきた。
そんな記事をネットで見た事がある。
それでも、手足がもげても痛みは大したことは無いらしいけど……。
切り離した手足の痛みが、動けないほどの激痛だったら敵から逃げられない。
生物として当然と言えば当然だが……。
そして、カニには脳にあたる器官がない。
虫と同じだ。
だから、感情というものを持ち合わせていない。
恐怖を感じないのだから、攻勢に出ているカニが手足の一本もげたところで怯む理由はない。
カニと同じということは……。
「アルド…… カルキノスを倒すには目と目のちょうど真ん中…… 口の辺りの甲殻をぶち抜くがいいのか?」
「その通りだ。そこに決まれば一撃で倒せる。だが、ハサミの攻撃に晒される最も危険な場所だ。あまりお勧めはできない」
そんな気はしたけどな。
カニはそこに神経細胞が集約している神経節があって、脳にあたる役割を担っていると図鑑で見た事がある。
そこまで攻撃を届かせることが出来れば、一発で決められそうだ。
ただ、【フルメタルジャケット】は通用しない。
打撃メインの棒術は効果が期待できない。
近接戦闘のサイで戦うのはもはや死にに行くようなものだ。
カルキノスに接近されれば、俺は足手まといでしかないな。
接近戦で戦えるのはアルドとアルのアルアルコンビになるか……。
ダメそうならピリカに無双してもらうとして……。
「よし! それじゃ、これらの情報を踏まえて作戦を立てよう」
夕食の干し肉と微妙なパンを齧りながら、作戦会議を始めることにする。
本当は土日で二話、投稿したかったのですが
土曜日にお出かけしないといけない用事が出来てしまって……。
ちょっと投稿無理でした。
来週もちょっと投稿ペース鈍るかもですが、
今後ともよろしくお願いいたします。
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モチベが全然変わってきます。




