プロローグ 超常のモラル
超能力が科学的に解明され、人口の約9割が超能力者となった超人社会。求められたのは能力バトルでも異能ヒーローでもない。モラルだ。
能力バトルというものをこの社会は忌避する。なぜなら超常の力を行使した喧嘩はもはや戦争だからだ。
「リヴァイアサン」の著者、政治学の父とも言われるトマス・ホッブスは人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」であると述べた。この闘争を回避するために、人類は暴力を集権化し国をつくる。そうして生まれた政府の警察機構は、旧約聖書にでてくる海の怪物であるリヴァイアサンに例えられた。
本能的に利己のための闘争を望む人間は、巨大な怪物によって監視・管理されることではじめて秩序を成し得る。個人が暴力を振るえば、リヴァイアサンという巨大な暴力によってその報復が代行される。こうした確信こそが個人の暴力を抑制する。
暴力を否定するための暴力装置こそが、闘争という自然状態から脱した不自然な共同体、すなわち国家なのだ。
しかしながら、その万人がリヴァイアサンになったとしたら何が起こるだろうか。個人が個人の枠組みを超えた暴力を手にした時、国家という組織化された暴力は機能を失い、再び闘争という自然状態に突入する。
そんな闘争をもたらす個人を超えた個人の能力が超能力であった。些細な喧嘩でさえ辺りが焼け野原となり、個人間の戦争規模の闘争に脅かされる日々は過度なストレスを生み、そのストレスがさらに闘争をもたらす。
そんなディストピアには絶対に人を傷つけないという高度なモラルが必要だ。だからこそ人々は失われた秩序の中で、超常社会における超常のモラルを育んだという。
そのたゆまぬ努力の末、今日では超能力と平和の共存が実現した。この社会では誰もが超能力を持つと同時に、他者を傷つけることを極度に忌避する。仮に他者を能力で攻撃したならばその罪悪感から精神疾患に陥り、良くて廃人、悪くて死人となる。
「万人の万人に対する道徳」
そんな超常のモラルを誰しもが持ち合わせることで、闘争をかろうじて回避した不自然な共同体、それが我が国、ニホンだ。
この国では誰もが超能力という個性を存分に尊重されながらも、それによって誰も誰かを傷つけることはできない。
そのはずだった。ある子供達を除いて⋯⋯。