六・バイヤーの思惑は海の底
「前にも説明したと思うけど、呪詛には生業としてる『呪詛師』に依頼するのと、人の感情に波長が合ってしまった妖が共鳴しているものがあるって言ったよね」
夕顔さんの言葉に、私は頷いた。
この浅井堂に掛かっているうっすら呪詛は、おそらく妖が共鳴しているものだろうと言われていた。
「妖が共鳴している場合、その当人が無意識なことが殆どなんだ。例えばだけどこの店が大きくて羨ましい、と思っただけで共鳴することもある。妖は人の理が通用しないからね。だからわざわざ隠形の巫女が来て解呪したという話が表沙汰になったら、自覚もしてなかった人物が罪人として挙げられる恐れがある」
「それは…大事にはしたくないですね」
「…そう説明したんだけどね」
夕顔さんは苦々しい表情で呟いた。その横で加奈さんがこれ以上ない程悲しそうな顔で俯いている。
「とは言え、もう大事になってる訳だし、オレ達は依頼をさっさと片付けて帰るのが一番だよ」
「え?いいんですか?」
「浅井堂の思惑とオレ達は関係ないよ。呪詛の罪人探しはこっちの仕事じゃないからね」
加奈さんに向かって夕顔さんは「ね?」と笑顔を向けた。その笑顔は綺麗だけどとてもコワイ。やっぱり怒ってますね。
「それに、あの様子だと本当に呪詛した人間じゃなくてもいいんじゃない?」
「え?夕顔さん、それって…」
「ほらーここのご主人が相手を炙り出すって加奈さん言ったでしょ。これだけの大店だし、色々恨みを買ってる自覚はあるんだろうねー」
夕顔さんの推測では、この呪詛を利用してどこかのライバルを犯人に仕立てると見ているらしい。呪詛の元である人物がライバルであればそれでいいし、もし違っていて冤罪だったとしてもその疑いの目を世間が向けるだけでも相手には大打撃なのだとか。呪詛を受けたという事実を周辺に知らせて、更に巫女が呪詛を解いたという実績さえあれば世論は有利に働くというのだ。
「巫女が正式な依頼で出て来るのはお上に取って重要な案件って世間は見るからね。だから巫女が動いたということは、この店が幕府の重要な店、と思われる、と」
「お墨付き的な?」
「うん、そう。勿論鈴華ちゃんはただ一個人として困ってるから協力したいって動機でここに来ているんだけどね。ま、世間的な暗黙の了解ってことかな」
「申し訳ありません!」
…もう加奈さんが土下座芸人状態になってますよ。
この話は止めにしておいた方が良さそうだ。加奈さんはお店の赤字をどうにかしたくて、赤字の元である在庫の知識があるかもしれない私を頼っただけなのだから。巫女とか呪詛とかは関係なかった筈なんだ。ただ私が巫女で、たまたまお店が呪詛られてただけなのだ。なまじ私が特殊な地位の能力者だから色々面倒なことになってるんだよねえ…最初から依頼を受けなきゃ良かったのかな。
内心、ちょっと後悔がよぎったけれど、帯刀さんが私にやりたいことを選ばせてくれたことだ。やはり出来る限りのことはしよう。
私は落ち込みかけた気持ちを強引に上に向けさせると、取りあえず蔵の奥の棚から鑑定に取りかかることにしたのだった。
☆★☆
しばらくの間、全員無言の中で蔵の荷を確認していた。いくつか眺めてみて、どうも書いてあるのはアルファベットの様だ。けど海から引き上げられただけに、ラベルは滲んでいて大半が読めなかった。これは語学力とか関係なく、そもそも何が書いてあるのか分からない。瓶詰めのようなものは中身は無事っぽいけど、開けて確認するわけにはいかない。ただ幾つか読める単語と中を透かしてみるとピクルスとオリーブの油漬けなのは確認出来たので、辛うじて成果ゼロにはならずに済んだ。
「これは中身は無事みたいですけど…」
箱の中に小さなビニール袋に小分けにされた白い粉が入っていた。確認すると、その箱の中身は全てこの粉のようだ。小分けにしてるって事は、この小さな袋が一つ分の量ということだろう。大体5グラムとかくらいだろうか。
「砂糖でもなさそうだし…薬、ですかね?」
「それが全く分からないのです。毒味した者がいるのですが、無味無臭で特に体に変化もなかったと」
「何だろうなー?」
加奈さんの話では、これが起死回生の新商品の一つだったらしく、今までに取引したことのないものだそうだ。なんでも浅井堂の語学に長けた従業員が異国に赴いて、直接取引をしたそうなのだけど、沈没に巻き込まれて亡くなってしまったらしい。その為、この謎の粉が一体なんなのか見当もつかないのだ。
「何かの調味料ではないかと思ったのですが…」
「無味無臭だったと。となると、薬とかですかねぇ…漢方みたいに体質改善が目的だとすぐに効果は分からないから長期服用じゃないと分かりませんね」
「おそらく長期的なものではないと思います」
商売が思わしくない現在の状況では、即儲けが出る商品を中心に選んでいるはず、と加奈さんは言った。特にここ数年は気候に恵まれて農作物がどこも潤沢であるため生活に余裕のある庶民も多く、少々値の張る異国の輸入品でも興味を持つ人が増えているのだそう。
「それでもまだ高価な食器や宝飾品は手は出ませんが、珍しい異国の食べ物なら普通の家庭でも手に入りやすいのです」
確かにマヨネーズとかソースとかには割とお世話になっております。
この謎の粉は、買い付けた人が相当自信を持って売れると判断したのか、複数の箱の中にぎっちりと詰め込まれていた。一応海から引き揚げられた後に検疫を受けて問題無しと寄越された品なので、さすがに毒物とかヤバい薬物とかではないのだろうけれど、絵面が完全に麻薬捜査班みたいになってる。
「取りあえず、これは置いといて、他の商品見ましょうか」
「そうですね」
粉袋コーナーを通過すると、今度は瓶詰めコーナーだった。ボトルの形からワインぽいんだけど、ラベルに描いてある果物の絵柄が葡萄ではないものも結構含まれている。果実酒みたいなものなのかな?しかしこれも確信はないので、お店の人に試飲とかしてもらった方がいいだろう。
ん?ジャムっぽいのも結構な数がある。パンも店先で並ぶこともあるけれど、まだまだ日ノ国は米食中心。しかもどれも業務用かってくらい大きな瓶の物が多い。仕入れ担当の人は一体何の目的で仕入れたんだろう?
仕入れた人の考えを推測しながら品物を見て行ったが、少なくとも私の目からは店を立て直すプランがさっぱり見えて来なかった。もしかしたら、引き揚げられなかった商品が揃えば分かったのかもしれないけれど、そこまでは分からない。収穫があったとすれば、この世界の異国には英語圏の国があると言うことだけだった。簡単な商品名くらいなら、私のへっぽこ英語力でも何とかなったよ!
「?」
不意に、足元にひんやりとした空気が流れて来て、私は思わず動きを止めていた。この蔵に入った当初はかなり空気が冷えていたが、しばらくするうちに気にならなくなっていた。それが呪詛を祓ったからなのか、ただ単に動き回っていたからなのかは分からない。けれど、この冷たい空気は明らかに異質なものだった。
私がそれに気付くのと同時に夕顔さんも察したらしく、すぐさま私の手を掴んで自分の傍に引き寄せた。
「あら、光二郎さん」
加奈さんが戸口の方に目を向けてそう呼んだ。開け放たれたままの蔵の入口には、中肉中背の、あまり特徴のない男性が立っていた。いや、私が特徴がないとか言えた義理ではないけどさ!
「お嬢様、何かお手伝い出来ることがありましたらと思いまして」
「ああ、そうねえ…あ、あの、こちらは第二番頭の…」
「木屋光二郎と申します」
その男性は、そう名乗って丁寧に頭を下げた。一分の隙もない程きちんと後ろで束ねた髪の色は、最初は白かと思ったけれど、束ねられている根元を見るとごく薄い水色をしていた。多分夕顔さんと並ぶと色がついているのはハッキリと分かるのだろう。そして目の色は深い青。その色の組み合わせのせいか、表情は穏やかなのに少し冷たい印象を与える。いやそれだけでなく、その光二郎さんから流れて来る空気が妙に冷えている。
「お気遣いありがとうございます。今のところはお手を煩わせなくとも問題ありません」
「然様でございますか。何かございましたら、何なりとお申し付けください」
「恐れ入ります」
夕顔さんが無表情を越えた笑顔、としか言いようのない顔で断りの旨を告げると、光二郎さんはまた丁寧な物腰で頭を下げると去って行った。
私は無意識に緊張していたのか、光二郎さんの姿が見えなくなるとゆっくりと溜息を吐いた。そこで初めて自分の体がひどく強張っていたことに気付いた。何だったのだろう、あの冷えた空気は。
「ずっと蔵にいたせいか少し冷えちゃってるねー。加奈さん、少し休憩しましょう」
「はい。ただ今温かいお茶を準備します」
私の手を握ったまま夕顔さんが提案すると、加奈さんは先に蔵を出て行った。私は手を繋がれたまま夕顔さんと共に蔵を出た。薄暗いところに目が慣れていたせいか、外に出ると陽射しが目に染みる。
蔵を出てすぐの縁側のある場所に腰を落ち着けると、夕顔さんは周囲を気にしてからそっと私に顔を近づけて呟いた。
「あの男、一人だけ桁違いに呪詛が濃いのに、当人は全く気付いてない」
「あの人が呪詛を掛けてる訳ではないんですよね?」
「うん。むしろ掛けられまくってる感じだね」
確かに光二郎さんから発せられる冷気のようなものは異様だった。この店に漂う少しひんやりとした空気、つまりはうっすら呪詛とは形質は同じようなのに、一人濃度が違う感じだった。
何故一人だけそうなったのか…と考えようとしたのだけど、周囲に聞こえないように顔を近づけた夕顔さんが、一向に顔を離そうとしないので私の思考が全くまとまらない。
その美しすぎる顔は私の30センチ以内は接近禁止していただけませんかね?




