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二・庶民派なので扱いは普通でお願いします


「取りあえず、寺に行こっか」

「え?ええ?!」


着替えを持って来てくれた夕顔さんが、私とその足元で土下座する女性とを交互に眺めて何とも言えない表情になって言った。あまりに説明が少な過ぎる展開に戸惑っている私に、夕顔さんは着替えの入った風呂敷包みをグイと私に押し付けると、土下座している女性を強引に立ち上がらせてさっさと外に出てしまった。


「一人で着替えられるよね?何ならオレ、手伝うけど」

「大丈夫です!」


戸口から顔を覗かせてニンマリと笑う夕顔さんの鼻先で、私は勢いよく戸を閉めた。閉めた戸の向こうから、楽しそうな笑い声が聞こえる。おのれ。


なるべく急いで着替えて、濡れてしまったものを風呂敷で包む。墨汁を掛けられてしまった被布も、濡れているだけで染みは残っていない。ふじの水洗いだけで落ちているとは、滝行方式だったのはさておきありがたいことだ。


「夕顔さん、お待たせしました」

「じゃ、一旦帰ろう」

「あの…でも…」

「大丈ー夫、大丈ー夫」


私が着替えている間に何の話をしていたんだろう。夕顔さんは「ちょっとばーちゃんにお礼言って来る」と言って、表の方に行ってしまった。二人で取り残されてしまって、何と言うか…気まずい沈黙が流れる。


「あの…本当に…」

「いえ!全然!大丈夫ですから!」


またしても土下座でもしそうな勢いの女性を慌てて制する。


「追われてる…とかですか?」


ここから立ち去るべきか逡巡しているらしく、彼女はソワソワと落ち着きなく周囲を見回している。私がそう声を掛けると、ハッとしたように顔をこちらに向けて、遠慮がちに頷く。改めてじっくり見るとなかなかの可愛らしい顔立ちであるが、今は困ったように眉をハの字にしている。笑ったらさぞ可愛いだろうに。


「お待たせー。さ、帰ろっか。あ、君はこっちね」

「は?」


小走りに夕顔さんが戻って来ると、彼女の手を取って私の被布の中に引き込んだ。え?何ですか、この二人羽織りは。


「はい、これで見つからずに寺まで行けるよ」

「あの、夕顔さん?」


待って待って待って。おかしいですよね?どう見ても私の後ろに人が入り込んだフォルムですよね?足だって四本あるの丸見えですし。これ、芝居小屋の馬役みたいなものですよね。


「大丈夫!鈴華ちゃんなら目立たない!」


ツッコミどころが多すぎて言葉を失っている私に、夕顔さんは大変綺麗なドヤ顔で笑ったのだった。




☆★☆




無事、赤華寺に到着してしまい、私は被布を外すと上がり框に腰を下ろした。


「嘘やろ…」


結構な人通りもある道を不自然な二人羽織り状態で歩いて来たのに、誰もそれを指摘して来なかった。もしかしたら、皆分かっていて敢えてスルーしてくれているのかとも思ったのだけど、誰かを探しているらしい男の人達とすれ違ったが誰一人としてこちらに目を向けなかった。いいのか、それで。いや、私の背後に隠れた女性がすれ違う瞬間、緊張して身体を強張らせたのが分かるくらいだったから、見つかると厄介なことになったのだろうとは思うけど。解せぬ。


「さすが鈴華ちゃん」

「…ありがとうございます…」


何だろう、この素直に喜べない感じは。


「ここ、尼寺だから安心していいよ。オレ、ちょっと姐さんに知らせて来るから、後よろしくね」

「はぁい」


いつまでもここで立たせておく訳には行かないので、戸惑っている彼女を促して奥の座敷に案内する。男性も立ち入れるいつもの座敷だけど、知らない人はお寺の敷地内に入るのも躊躇する筈だから、追いかけていた人達も此処までは来ないだろう。


「どうぞ、そちらへ。あ、今お茶淹れますね」

「あの…!そんな畏れ多い…」

「へ?いやいや、そんな畏まらないでください」


出会った時は、ぶつかりそうになったから恐縮しているのかとも思ったけど、何だか違う気がする。私、生まれも育ちもただの一般市民ですから!何なら今はただの居候ですから!


「お待たせしました」


お湯が沸くのを待っていると、夕顔さんに呼ばれたらしいつばきさんが顔を出した。


「浅井堂の娘、加奈と申します。この度は危ないところをありがとうございました」

「浅井堂…と言うと、あの唐物屋の?」

「はい」


唐物屋というと、いわゆる輸入品を取り扱うお店だ。この世界は江戸時代に似てるけど別段鎖国をしている訳ではないので各国からの輸入品もそれなりにあって、何度かマヨネーズとかパン粉とかを買いに行ったことがある。でもまだ流通がそこまで発達してないのでそこそこお高い。浅井堂の名前は聞いたことはあるけど、ここからだと買い物圏内にはちょっと遠いので行ったことはなかった。


「追われてたみたいだった、って聞いたけど、心当たりはある?」

「いいえ」


彼女、加奈さんは首を振った。

加奈さんは、最近体調があまり良くない店の者が何人かいて、その人達の薬を買いに出掛けたのだと言う。その時に、見知らぬ男達に囲まれ、どこかへ連れて行かれそうになったそうだ。


「心当たりはあるの?」

「いいえ全く。普段滅多に行かない場所でしたし、顔見知りはいない筈なので…」

「あの辺りは妙な破落戸(ごろつき)はいないと思ってたんだけど…夕顔は聞いている?」

「オレも知らないなー。第一鈴華ちゃん連れて行くのにオレがそんなとこ選ぶと思う?」

「そうよね…」

「あ、あの、巫女様にもご迷惑をおかけしてしまって…!」

「ああ、大丈夫よ。この子は事情があって後見は赤華寺(ココ)だから」


つばきさんの言葉に、明らかに加奈さんは安堵した様子だった。ん?どういうことだろ。さっきからやたらと隙あらば土下座しそうなのは関係あるのかな。


その後、他愛無い世間話をしている内に落ち着いて来たのか、出会った時よりも顔色も良くなって笑顔も見せるようになって来た。うん、やっぱりこの人は笑うと格段に可愛さが増す。

それから頃合いを見計らって、夕顔さんが一緒に浅井堂まで付き添うと言って加奈さんを送って行った。


「何だか私に随分遠慮してたみたいだったんですけど…そんなに私胡散臭かったですかね」

「そりゃ鈴華ちゃんが隠形の巫女だからよ」


隠形の巫女は、貴重な能力者で幕府によって手厚く管理下に置かれているのだけれど、その恩恵にあずかろうと身分の高い武家や富豪が後見として生まれながらに付いている者が大半なんだとか。なので、巫女と言いながらもお姫様的な扱いをされているそうで、無礼があった場合罰せられることもあるそうだ。それであんなに遠慮されていたのか。


「皆さん普通に接してくれるので、ああいう反応だとどうしていいやら」

「この辺りの人間は鈴華ちゃんが普通の子と変わらないのを知ってるからね。昔はちょっと触れただけで手打ちにされた、って話もあったからね」

「それは怖すぎますね…」


さすがに今はそこまでのことはないようだ。とは言え、私のように庶民感覚な巫女というのも珍しいらしい。さすがに異世界出身とは言えないので、異国生まれの異国育ちな帰国子女という設定で周囲には言っている。


「あ、そうだ。今日はお買い物の途中で帰って来ちゃったんで、夕飯が適当なものになっちゃいますけど…」

「いいわよ、気にしなくて。この埋め合わせは夕顔にきっちりとさせるから」


そう言って笑ったつばきさんの顔は、いつもの通り綺麗だったけどちょっぴり怖かった。夕顔さん、御愁傷様です…。




☆★☆




「あのお嬢さん、大森屋の方に寄ってから帰ったんだけど…何かちょっと引っかかるね」


加奈さんを送って帰って来た夕顔さんは、少々怪訝な顔をしていた。


「確かに妙だけど…そこまで気にしなくても大丈夫じゃない?何かあれば『表』に任せる案件でしょ」

「何かヘンなんですか?」

「大森屋って薬種問屋なんだけどね…」


薬種問屋は薬全般を扱っているお店だそうだ。加奈さんは薬を買いに来たと言っていたから別に不自然なことじゃないけど、夕顔さん曰く、加奈さんの家の浅井堂の向かいには駒方堂という薬種問屋があるというのだ。


「わざわざ遠くの店まで行くのはそんなに珍しいことじゃない気がしますけど」


値段が安かったり、特定の商品が欲しかったりしたらわざわざ遠回りすることだってあると思うし。


「そうなんだけどね、薬種問屋は駒方堂の方が品揃えも豊富なんだよね。大森屋はちょっと…その、眉唾モノの取り扱いが多くてさ」

「まあ、お(たな)の娘だし、店同士の付き合いとか、そういうのもあるんじゃないのかしら」

「だね」

「……まあ、それよりも」


急につばきさんが低い声で「ちょっとこっちへ来なさい」と夕顔さんを引っ張って行ってしまった。あれは多分、私が墨汁を掛けられたりずぶ濡れになったり買い物が出来なかったりしたことについてのお説教だな。頑張れ、夕顔さん。


そもそもの原因は夕顔さんにあるのだけれど、私はそれでも夕顔さんに同情を禁じえないのだった。



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