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閑話・後日


鈴華と挨拶を交わし部屋の障子が閉じられるのを確認すると、止水は足音を立てないように庭を突っ切り、裏江戸の皆が集まっているであろういつもの客間替わりの座敷へと足を向けた。


『良いのか』

「…何がだよ」

『あの娘に全部話さぬで、良いのか』

「話したところでなあ…」


ふじの言葉に、止水は自嘲気味に笑った。その内心を察してか、ふじはそれ以上言わずに静かに気配を消した。


「お疲れ様ー」

「ああ…」


いつもの調子で夕顔が出迎える。止水は言葉少なにドカリと腰を下ろすと、懐の煙管を取り出した。そしてそれに火を入れうとして一旦動きを止める。


「こいつ、いいですか?」

「構わんよ」


帯刀に向かって少し持ち上げるように示すと、すぐに返事が戻って来た。そして火鉢から種火を貰うとゆっくりと煙管を燻らせた。深く吸い込んでから庭の方に向かって煙を吐き出す。


「すみません、全部は話せませんでした。俺がやるって言ったんですけど」

「お前がそう判断したのだから、私達もそれに合わせるさ」

「ありがとうございます…」


サクラ誘拐から始まった事件は、色々と苦いものを残して幕を閉じた。


この世界に来た当初の鈴華には、あまり深入りはさせずに安全な場所で隠形の巫女としての役目を果たしつつ、元の世界に送り返すまで保護するというのが方針であった。しかし予想以上に能力値が高く、そのことに無頓着な鈴華を囲い込もうとする動きは日々活発になって行った。そこで仕方なく、ある程度情報を開示して中枢に引っ張り込み、将軍家の庇護下に置く方向にしたのだった。

その中で、無知故にちなつが妖の言葉に乗せられて契約を交わしてしまった事件は、鈴華にこの世界や裏江戸に付いてもっと詳しい知識を与えておかねば危険だということが分かった。鈴華の能力はあのちなつよりも優れている。もし同じように気付かれないまま妖と契約を結んでいたらと思うと、改めて幸運であったと思い知らされていた。


「あの子…いつまで保つかしら…」

「猩々に較べれば弱いと言われるけど、狒々だってそれなりに強い奴だからね。それを五体…」


つばきの呟きに夕顔が軽い口調で答えたが、その表情は苦々しいものが浮かんでいた。


幕府が契約を認定した妖が退治されないように、間違って退治してしまわないように付けられている契約紋。それは妖との契約が強制的に切られた時に、人に大きな反動があると分かっているからだった。妖怪が受けた傷が、契約者の体や魂を削る。そして削られた結果、寿命が著しく損なわれるのだ。妖が強ければそれに比例して大きくなる。それを防ぐ為には正式な儀式による契約解除か、別の者が契約を上書きして変更する以外なかった。


幕府の許可なく妖と契約することは重罪とされている。どんな理由であれ、発覚した時点で容赦なく契約を切られ、己の寿命で罪を購うのだ。


しかし、今回は本人が全く知らなかったことと、まだ幼い少女だったことが後味の悪いものにさせていたのだった。


「あの猩々が狒々を斬ったのは、お姉さんの意志だったのかな…それとも、狒々が掛かって来たから反撃しただけだったのかな」

「さあね。今となっては誰にも分からないわ」


ポツリと漏らした夕顔の呟きに、つばきはゆっくりと首を振る。


途中でちなつが狒々と契約していることに夕顔が気付き、これ以上魂を削らないように止水とつばきは動きを止めるだけに専念していた。その時点で、黒装束の女もちなつが生み出した幻影だとも気付いていた。どうにかこれ以上ちなつに影響が出ないように捕らえようとしていた矢先の、あの猩々の動きだった。

猩々の本能のままならちなつごと攻撃していただろう。だが、姉も裏江戸の一員であったから、契約を強制的に断ち切ればどうなるか知っていた筈だ。どこまで姉の意志が介在していたかは、誰にも判断がつかなかった。


「鈴華の耳には入れないように手配する。皆もそのつもりでいるように。ご苦労だったな」


重い空気を切るように帯刀がそう締めくくると、他の三人は深く頭を下げたのだった。




☆★☆




帯刀が帰った後も、つばき、止水、夕顔の三人はその場に残り、いつの間にか銘々の湯呑みに酒を注いで月を眺めていた。それぞれ解散しても構わないのだが、何となく話し相手が欲しかった。


「止水、ありがとね。鈴華ちゃんに言わないでくれて」

「いや…俺もヤツを斬ってるからな。鈴華なら知ってもどうこう言わねえだろうが…でもまあ、知られたくねえな」


これまでに、私欲や思惑で勝手に契約していた妖達を構わず契約ごと斬り捨てたことはあった。裏江戸にいれば誰しもがよくある事だ。しかし今回のように、まさかあんなに幼い少女が複数の妖と契約しているとは思っていなかった。しかも当人は契約する事が罪になるとは知らなかった。それでも罪は購うものだと分かってはいても、後味が悪いのには変わりない。


「オレだって、すぐに契約の繋がりを読めてなかったんだから、おんなじ」


夕顔が湯呑みの中の酒を一気に飲み干す。態度はいつもと変わりはないが、ほんの少し頬の辺りが色付いていた。


「何かさぁ、鈴華には望みを叶えて幸せになって欲しいんだよねー。顔は似てないけどさぁ、あの方と同い年だったからかなー」

「夕顔」

「ちょっと姐さん」


夕顔は酒瓶から湯呑みに継ぎ足したのだが、つばきに取り上げられてしまった。少し恨みがましい目で夕顔はつばきを見つめていたが、それ以上に厳しい態度のつばきにゆるゆると視線を外す。


「…ごめん。それは言わない約束だった」

「そうね」


素直に頭を下げた夕顔に、つばきはすぐに柔らかい微笑みを返すと湯呑みを目の前に置いた。だが、夕顔はその湯呑みを手には取らずに、表面がユラユラと揺れているのをじっと見つめていた。


「あの子がこの先一日でも多く幸せに生きられるよう、祈るようにするわ」

「うん」


見上げた月は、あと少しで西の山の端に隠れそうになっていた。


三人はその月が完全に隠れてしまうまで、言葉も無くただ静かに酒を飲み続けていたのだった。




☆★☆




二人の女が山道を歩いていた。


一人は目が悪いのか白い杖をついた幼い少女で、もう一人はその少女を支えながら周囲に注意を払いながら歩いている。


「ちな、疲れない?」

「まだ大丈夫です、姉さま。こんなに楽しいのは初めてです」

「そう」


空はよく晴れていて、少し動くと汗ばむくらいだった。少女も汗をかいて喉が渇いたのか、下げていた水筒の水を飲もうと蓋を外した。


「あっ!」


上手く蓋が外せなかったのか、少女の手から水筒が落ちて、中の水が零れてしまった。


「これは汲み直すしかないようね」

「ごめんなさい、姉さま…」

「大丈夫よ、ちな。すぐ傍に川があるから、そこで洗って水を汲んでくるわ。あなたはここに座って待ってて」

「はい」


女は少女を道の脇の石の上に座らせた。辺りを見回したが、誰もいない。山の中とは言え広い街道なので、獣が姿を見せることもないだろう。ちょっと行って水を汲み直すのに危険はなさそうだと判断して、女はその場を離れた。





ふと、少女が何かの気配を感じて顔を上げた。


「姉さま…?」


もう光と影くらいしか見分けの付かなくなった目で辺りを見回す。


「姉さま!」


少女の視界には、不思議なことに姉の姿がハッキリと見えた。白く明るい場所に、姉が両手を広げて笑いながら立っている。たまにしか会えなかった姉を迎えに行くと、いつもああやって両手を広げてくれた。そしてその胸に飛び込むと、力一杯抱きしめてくれるのが大好きだった。


少女は杖を投げ出して走り出した。


少女の世界は光と影しかなかったけれど、その先にははっきりと姉の姿が見えている。杖などなくても迷う筈がなかった。




「ちな、お待たせ……ちな?」


川から戻って来た女は、居る筈の場所に少女の姿が見えずに顔色を変えた。座らせていた石の傍には、使っていた白い杖が倒れている。慌てて周囲を見回すが、少女の姿はどこにも見えない。


「ちなつを探せ!」


女は大きな犬二頭を呼び出してすぐさま命じた。しかし、犬達は戸惑ったように石の周辺をウロウロするだけで、どこにも行こうとしなかった。


「何故追わない!匂いは!音は!いない筈ないだろう!?」


女が叫んだがそれでも犬達は動かず、ただ悲し気に鼻を鳴らすだけだった。


「ちなーっ!どこだーー!」


晴れた空の下、女の悲し気な声だけが響いていた。


白昼夢のようなその日以降、少女の姿を見たものは誰もいない。




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