九・最期に笑った意味
『何者だ…?』
八房さんが呟いて顔を下に向ける。
行く先で突如立ちのぼった火柱に目を奪われていたけれど、その呟きで顔を下に向ける。うっかり地面との距離がリアルに分かってしまって、足元から血の気が引いて行く感覚に陥ったけど、グッと奥歯を噛み締めて目を凝らした。
「裏の者か…?」
空を飛んで並走している八房さんの下を瀕死で走り抜けている猩々。その隣に、小さな影が二つ走っている。その影の片方に、人が乗っているのも確認出来た。
「近寄って確認する」
「え?!」
くれない様が言うと同時に八房さんが急降下を始めた。これは…!シートベルト無しのフリーフォールじゃないですかあああぁぁ〜〜〜〜!
容赦なく全力でくれない様に抱きつきましたよ!途中で微かに「グェ…」と呻き声が聞こえた気がしましたけど、多分気のせいです!
「みふゆ!聞こえねえのか、みふゆ!」
近付くと、誰かの怒鳴り声が耳に入って来た。猩々に真横に付いて走っているのは、大きな犬だった。大型の馬くらいの大きさで、鮮やかな青い毛並みと、茶色の毛並みのものがいた。青い方に跨がって怒鳴っているのは、犬と同じような青色の長い髪を振り乱しながら泣きそうな顔になっている若い女性だった。
「お主、このモノと知り合いか」
「…貴女様は…!」
「今は良い。錦乃屋に向かうのであろう。仔細は後で話せ」
おそらくくれない様の身分を知っているのだろう。その女性は畏まって頭を下げかけたが、くれない様がそれを制した。女性は軽く頷いてみせると、猩々に向かって再び泣きそうな顔をした。
『何やら厄介なことになっているようだな』
これから向かう錦乃屋に顔を向けて、八房さんの溜息まじりの声が聞こえた。
☆★☆
「新手か?!」
猩々が屋敷の壁の上に立つと、止水さんの焦ったような声が聞こえて来た。八房さんに乗った私たちは、猩々から距離を取るようにして屋敷の壁を越えて庭にフワリと降り立った。私たちが降りると、八房さんはすぐさま片方に狐面を付けた人型へと変わる。
「庵主様。何故こんなところまで」
「文句を言うな、帯刀。彼奴に奥の間まで入り込まれた。残るよりも合流した方が安全じゃろ」
帯刀さんは何か言いたげだったけれど、仕方ないとばかりに軽く肩をすくめてみせただけだった。何か、すみません。
「庵主様!鈴華さん!」
帯刀さんの後ろに控えるように、サクラちゃんが立っていた。
「良かった!大丈夫?!」
「はい、大丈夫です」
「大義であったな」
「恐れ入ります」
嬉しくなってサクラちゃんに思わず抱きついていた。少しばかり顔色が白いが窶れた感じはない。高貴な姫君として攫われたんだから、そんなにひどい目には遭ってなかったんだろう。くれない様も声を掛ける。おお…リアル「大義であった」だ。初めて聞いた。さすがお姫様だ。
などと妙なところに感動していたら、くれない様がサクラちゃんに近寄って、そっと耳元で「済まなかったの」と囁いていた。ええ、抱きついていたから私もほぼ一緒に囁かれましたよ。やはり身分的に大っぴらに言ってはいけないとかあるんでしょうか。
「何者だ」
帯刀さんの緊迫した声に振り返ると、先程猩々に声を掛けていた女性と、大きな犬二頭が近くまで来ていた。急に増えた人員に、帯刀さんが私たちを庇うように間に入り込む。
「御前失礼致します。私はこの錦乃屋主が養女、こはると申します」
その女性は跪いて深々と頭を下げた。彼女が頭を下げると同時に、連れていた犬達も伏せの体勢を取って体を低くした。そこからは敵意は感じなかった。
「貴女は…」
「サクラ、知っているのか?」
「はい。閉じ込められていた時に、食事や身の回りの手伝いをしてくれていました。その…ここの主人と名乗る人の娘だと教えられました」
「そうか」
叛意はないと判断されたのだろう。帯刀さんはこはるさんを捕らえる素振りは見せず、先程から金属のぶつかる音が続いている方向に顔を向けた。
その方向には止水さんがいて、刀を振るって何かと戦っていた。
「みふゆ…」
こはるさんの口から震えるような呟きが零れる。
崩れかけた建物の入口付近で蹲っている白っぽい着物の小さな女の子。年の頃からするとあの子が巫女見習いなのだろうけれど、その髪色は白かった。そしてその子を守るように黒装束の女性が刀を振るっている。短刀よりは長い、けれども止水さんの刀よりは刃の部分が短い刀を両手に一本ずつ持っていた。更にその周辺を子供くらいの大きさの黒い影が飛び交っている。動きが速すぎて数は分からないが一体や二体ではなさそうだった。
それらと主に対峙しているのは止水さんだったけど、何故か動きがおかしい。ん?よく見ると刀の刃を逆に向けてる?峰打ちで戦ってる?確か妖は実体を斬ってしまっても、中身は元いた世界に強制送還されるから殺したことにはならないって言ってたのに。
時折黒い影は、足元や建物の中に吸い込まれるように消えて、次の瞬間別の場所の影から飛び出して来ていた。ひょっとして影の中を移動出来るのだろうか。その神出鬼没な動きに止水さんは翻弄されているようだけど、それでも紙一重で対処している。その止水さんのすぐ傍で、夕顔さんが何か叫んでいる。あれは多分影が出て来る方向を探索して教えているんだろう。一瞬でも遅れれば命取りになるのに、さっきから止水さんには一撃も入っていない。そんな場合ではないのは分かっていても、その流れるような動きについ見蕩れていた。
そして影の隙をついてつばきさんのかまいたちが駆け回っているのが辛うじて分かる。でも、かまいたちは黒装束の女性を狙っているのだが、まるで立体映像のように擦り抜けて見えることが何度もあった。あれ?何か幻覚みたいな術でも使ってるの?
「鈴華を攫おうとしたのはあの女と妖に間違いないかい?」
「ええと…多分。暗かったですけど、背格好はそんな感じ、です」
「嘘だろ…だってみふゆは…」
『ちな…』
今まで壁の上でじっとしていた猩々が不意に身じろぎをしてそう呟いた。本当に呟きのような声だったのに、不思議なことにこの場にいた全員がその声をハッキリと耳にしていた。
「え…?姉さま…?」
その声に反応するように、今まで蹲ったまま動こうともしなかった女の子が顔を上げた。切り揃えられた白い前髪がサラリと揺れ、髪と同じ色をしてどこか焦点の合わない白い瞳が空を探す。
次の瞬間、フワリと猩々がその傷だらけの巨体とは思えない程の軽さと迅さで、一気にその女の子の真正面に降り立った。
「…!ちっ!」
「ちなつ!」
止水さんが舌打ちをして女の子の方へ走り出した。私の近くにいたこはるさんも、連れていた犬と共に飛び出して行った。
その後は、ほんの一瞬の出来事だったのに、まるでスローモーションでも掛かっているかのようにゆっくりと感じた。
異変を感じた黒い影は、いきなり立ち塞がった猩々に向かって攻撃を仕掛けたようにも見えた。そして黒装束の女性も。
ザシュ
猩々の赤黒い腕が、一瞬で黒い影と女性を薙ぎ払った。
彼らは声もなく、散り散りになって溶けるように消えてしまった。そして一拍遅れて、血のような液体が猩々とその周辺に飛び散った。
「キャアアアァァァァッ!」
薙ぎ払われた腕の軌跡からは外れていた筈の女の子が、鋭い悲鳴を上げて崩れ落ちた。顔に傷を負ったのだろうか。反射的に顔を押さえた手の指の隙間から血が滴り落ちた。
「姐さん、手当を!」
夕顔さんの声を聞いて、つばきさんが弾かれるように女の子に駆け寄るのが見えた。先に走り出していた止水さんが既に抱きとめていたが、傷のせいなのか女の子の口から漏れる金切り声が止まらない。
『ちな』
猩々は再び呟いた。その身に浴びた影の体液なのか、自らが負った怪我のせいなのか分からないが、べったりと貼り付いた赤黒い毛並みから垂れる赤い液体が足元に水溜まりを作っている。
「姉さま?姉さま!!」
「ちょ…!動くな!傷が…」
しっかりと止水さんが抱きかかえているようなのに、女の子は構わずその腕の中で暴れている。額に負った傷から血が流れているのに、そんなこともお構い無しに猩々に向かって手を伸ばしていた。その白い目の中にも血が流れ込んで、目の中が真っ赤になっているのが見える。それはとても痛々しい光景なのに、何故か私の胸は切ないような息苦しさを感じていた。
『ち、ナ…』
背後から女の子の傍に駆け寄ろうとしていたこはるさんに気付いたのか、猩々がゆっくりと振り返ると、警戒してこはるさんが足を止める。しかし猩々は攻撃を仕掛けるでもなく、まるで安心させるようなゆったりとした動きで長い手を伸ばして、こはるさんをそっと女の子の方へ押し出したのだった。
「姉さま…!姉さまぁ……」
止水さんが、駆け寄って来たこはるさんの腕の中に流れるように女の子を手渡した。女の子はこはるさんにしがみつくと、声を上げて泣き出す。
「姉さまぁ…行っちゃやだよぅ…やだよぅ…」
「うん…大丈夫。大丈夫よ…」
しっかりと抱き合う二人の姿を確認すると、猩々は静かに砂が崩れるようにその場に蹲り、やがて音も無く溶けて消えてしまった。その消えてしまう瞬間、獰猛で恐ろし気だった妖の顔が、とても優しく笑っていたように見えた。




