閑話・捕り物(一)
錦乃屋から一つ通りを挟んだ小さな居酒屋の二階。
入口で女将に声を掛けて階段を上がると、先に来ていた十名程の男達が一斉に頭を下げた。年齢層は割と幅があるが、皆一様に目つきが鋭く、逞しい体躯をしていた。そのせいか、充分な広さのある二階の座敷が随分窮屈に思えた。
「旦那、今のところ動きはありやせん」
彼らの中で、一番年嵩の男が帯刀に報告する。帯刀は頷くと、格子の外に視線を向けた。この居酒屋の二階からは、ちょうど錦乃屋の正面口と勝手口の両方が見える。
「このまま動きがなければ店の表口を閉める直前に踏み込む。但し、あちらの離れには近寄るな」
帯刀が指し示した先には、僅かに離れの屋根が見える。
「離れの方に逃げた者がいた場合は」
「放っておけ。『表』のが近寄ればロクなことにはならん」
「へえ。……そちらはお任せしました」
年嵩の男は、帯刀の後ろに控えている三人に目をやると、少しだけ皮肉めいた笑みを浮かべた。彼らは「表江戸」の帯刀の部下である。そして赤華寺から移動して来た三人は「裏江戸」の部下。「表」と「裏」のどちらにも籍を置いている帯刀の部下達は何度も同じ現場で顔を合わせてはいるが、表面には出さないまでもそれなりに確執はあった。どちらかというと「表」の方が含みのある態度を隠そうとしていないのだが、帯刀はそれを咎めるわけでも取り持つ訳でもなかった。ただいつも淡々と最適な位置へ部下を配置するだけである。互いに思うところはあるにしろ、帯刀の采配は常に的確であった為表立っての対立はなかった。
「旦那」
絶えず外の様子を伺っていた見張りの男が、周囲を注意深く見回しながら勝手口の方に近付いて来る侍達を見つけて鋭い声を上げた。年若い侍で、地味な装いにしてはあるものの、遠目でも上等な着物であることは判別出来た。そしてそのお付きらしき体格の良い侍二人を連れている。
「あの紋、松野藩のものですぜ」
「ちっ、目付方が押さえそこねたか。旦那、どうしやす?」
誰よりも目のいい見張りの男が、若侍の着物の紋を確認する。その報告に年嵩の男は帯刀に確認を取りつつも、手には既に十手を構えていた。それに呼応するように、他の男達も各々武器を手にする。
「踏み込んだら客を外に出して戸を閉めろ。それから店の者は全員捕らえるように。見習い、丁稚、女中もだ。ただし、あまり手荒に扱うなよ」
「いつもながら旦那の要求は難しいですね」
「出来ぬことは頼んでおらんよ」
帯刀はフッと笑って、年嵩の男の背を軽く叩いた。そうされた男の方も、何となく嬉し気な様子で立ち上がった。そしてその年嵩の男を先頭に、無言で男達は二階から降りて行ったのだった。その迅速な行動は、常に繰り返されて訓練されている信頼の証だった。
「いつもながらおっかないねぇ」
戸口の側にいた夕顔は、通過して行く男達にいちいち睨まれるような視線を送られていたので、全員が錦乃屋に向かったのを確認してからヒョイと肩をすくめた。そう口では言ったものの、その様子は全く怖がっているようには見えなかった。
「そう言うな。あいつらも頼りになる私の部下だ」
「そりゃ分かってますよ」
「では、我々も行くぞ」
先に表口に向かった男達が店に到着した頃を見計らって、帯刀達は静かに勝手口に向かったのだった。
☆★☆
勝手口は閉まっていたが、つばきのかまいたちが壁の隙間から入り込んで内側から閂を外す。
「大丈夫、見張りはみんな本邸に行ってる。…と、中にはいるね」
夕顔の索敵で周囲の様子を伺う。先に表口から踏み込んだ帯刀の部下達が大捕り物の真っ最中で、遠くから怒声と悲鳴、そして何かが壊れるような音が聞こえて来る。前もって調べていた離れの周辺には交替で必ず見張りが立っていたが、表の異変に駆け付けてしまい今は周辺に誰もいなかった。
「数は」
「んと…四…五かな。いや、違う。これは残滓だ。四体です」
夕顔は離れの建物内部の気を辿って妖の存在を探っていたが、中に隠形の巫女見習いがいるのでハッキリした数が見えずにいた。それでも微かな気配の中から数を特定する。
『正解じゃ』
「いたんなら先に教えてくれても良かったのに」
『小童が鍛錬を怠るでないわ』
数を特定したと同時にご隠居が背後から現れて、夕顔の頭にポンと手を乗せた。妖の気配を探るのなら同じ妖のご隠居の方が早くて確実なのだが、時折夕顔のことを弟子のように扱っては力試しのようなことをさせる。
『あの異界の娘のおかげで鍛えられたようじゃな』
「おかげでね」
鈴華は本人が全く意識していないが、おそらく当代でも上位五本の指に入るほどの優秀な隠形の能力を有している。人の気を読み取ることの得意な夕顔ですら、目視出来ない場所に行かれると見失うことが多かった。今は大分慣れて来たのと、逆に気が全く感知出来ない場所を探すことで大体の位置が掴めるようになっていた。
「人は二人。一人は隠形の巫女見習い。もう一人はほぼサクラで間違いないです」
「妖の配置は」
「天井に二体。地下に一体。…あとは、壁の中を移動してますね。隠遁が使えるのは厄介だなあ」
妖の中には人間が通れないような場所、建物の壁や地面の中などを泳ぐように移動することができる種が存在する。その動きは神出鬼没で、捕らえるのには夕顔のような察知能力に長けている者が不可欠なのだが、今回は見習いと言えど自分も妖もまとめて周辺の気を調和してしまう隠形の巫女がいる為、その動向を探るのが厄介極まりなかった。
「彩椿尼は巫女見習いの保護。サクラにはかまいたちを使え。止水は夕顔の指示を聞きながら援護に回れ」
「はい」
つばきが三体のかまいたちに指示を出すと、空気に紛れるようにつむじ風を起こして消えた。地下に幽閉されているサクラの元へ向かったのだろう。つばきの契約しているかまいたちとは面識もある。彼らの協力のもと脱出は可能だろう。
「巫女見習いは屋根裏の部屋にいるね。こないだ探った時も思ったけど、ほとんど動いてないね」
「動いてない?」
「屋根裏にも座敷牢みたいなのがあるのかな?そこは行って見てもらわないと分からないけど、もしそうなら鍵とかの破壊は必要かもね」
「じゃあ俺も一緒に屋根裏に行った方が良いな」
夕顔の言葉に、止水が得意気に自分の刀を掲げて見せる。止水の腕前なら相当頑丈な金属の鍵が付いてもいても、あっさり斬ってしまうのだ。
「そうだねー。その子の護衛なのか、天井付近に常に二体が張り付いてるし」
「了ー解。ま、見えてる方ならどうとでもなるさ」
「妖を率いて赤華寺に来た女は留守なの?」
「いないみたいだね。一体分くらいの妖の残滓が残ってるから、そいつとどこかへ行ってるみたいだ」
「その女なら松野藩邸に呼び出してある」
帯刀の言葉に、夕顔が「抜かりないですね」と笑った。今察知出来る妖の残滓は微かなものだが、巫女見習いがいても尚察知出来るということは、元の妖は相当強いことが伺える。ぶつかり合って負けるとは思わないが、人質がいるので苦戦は必至だ。帯刀の根回しで主戦力を削いであれば被害は最小限で済むだろう。
「では、行って参ります」
「油断はするな」
離れに侵入すべく、つばきと止水が走って行く。その止水の肩に、フワリと半透明な鳥に似た影が貼り付いた。夕顔の声を届ける為の妖で、ご隠居の眷属だった。こうすれば離れた場所にいても隠れた妖や捜索対象を夕顔が指示出来る。
「さて。こちらも片付ける者が来たようだな」
帯刀が本邸の方向に顔を向けると、荒々しい足音が近付いて来ていた。
「貴様ァ、何奴だ!!」
錦乃屋に踏み込む直前に訪ねて来ていた松野藩の若侍とそのお付きの侍二人、更に店の用心棒として雇っている浪人が二人。本邸の捕り物の手から逃れてこちらに来たらしいが、離れの近くに立っている帯刀と夕顔を見つけるなり抜刀した。
「御用の向きでね」
浪人二人が同時に帯刀に斬り掛かって来たが、帯刀は少し体を低くして一人は腹に、もう一人は首の辺りに拳を叩き込んで瞬時に沈黙させた。それを見て動揺したお付きの侍達も斬り掛かって来たが、一人の刀を難なく避けると、素早くもう一人の懐に入り込み左手で相手の右手首を掴んで動きを一瞬封じた。そして空いている右の拳を鳩尾に叩き込んだ。何か嫌な感じの鈍い音と共に侍が声も上げず崩れ落ちる。その体が地面に付くか付かないかの瞬間、彼から手を離した帯刀が体を半回転させると同時にもう一人の顎を突き上げるように掌底を叩き込む。それをまともに喰らった相手は、一瞬体が完全に宙に浮いて後方に吹っ飛ばされた。そのまま受け身も取らない状態で背後の植え込みに頭から突っ込んだところを見ると、最初の一撃で完全に意識が飛んでいたのだろう。
「うおおおぉぉぉぉ!」
四人があっという間に動かなくなってしまったのに混乱したのか、若侍が抜いた刀を滅茶苦茶に振り回しながら帯刀に突進して来た。その混乱振りに、帯刀がほんの僅か眉間に皺を寄せた。その顔は「見苦しいものを見てしまった」と思っていることがすぐに分かった。
そんな振り回した刀は切っ先も掠めることはなく、スルリと避けられると側面から拳でたたき落とされた。相手はまさか素手で刀身を殴りつける者がいるとは予測もしなかったのだろう。あっさりと柄を手放してしまう。
「危ねっ!」
飛んだ刀の先にいた夕顔が慌てて逃げる。帯刀は一瞬だけ夕顔のその様子を見て、微かに口の端を上げた。が、すぐに殴り掛かって来る若侍に向き直ると、正面からその顔面を鷲掴みにして地面に叩き付けた。わざとそうしたのか、若侍は後頭部からではなく背中から地面に落ちる。おかげで「グエッ」と声は漏れたものの意識は飛ばずに済んだようだ。
「松野藩嫡男、松野弥条殿ですね?」
仰向けに転がされた若侍に暴れられないよう、帯刀は馬乗りのような体勢になって片手と足で上手く両腕の動きを止める。引き倒す時に顔を掴んだ手はそのままだ。
「ま、町方風情が!無礼者!」
我に返ったのか、若侍が喚いて暴れ出す。だが帯刀に押さえつけられている両腕と顔は微動だにしていない。そのためただ足をばたつかせて怒鳴るだけに留まっていた。
「そのように大声を出されては手が汚れます」
「なっ…!ぎゃあああぁぁぁ!!」
帯刀が傍で聞いていた夕顔も背筋が凍り付くような冷たい声でそう言うと、掴んでいた手に力を入れた。頭を万力のような力で締め上げられて、若侍はたまらず悲鳴を上げた。帯刀の手の甲に筋が浮き上がり、掴まれた若侍のこめかみ辺りからミシミシと不吉な音が響く。
やがて一段と高い絶叫と共にゴキリと鈍い音が響き、若侍はぐったりと暴れるのを止めた。帯刀が立ち上がると倒れている若侍の顔が夕顔のいる位置から見えたので、そっと夕顔はそちらに目をやった。どうやら顎の関節を外されたらしく、有り得ない程伸びきった輪郭と大口を開けて白目を剥いているのが見えた。開けっ放しの口からはだらしなく涎が流れていて、それが手についてしまったのか心底嫌そうな顔した帯刀が、若侍の着物でせっせと拭っている。
「相変わらず容赦ないですね」
「そんなことより中はいいのか」
「あ、はい」
夕顔は慌てて中の様子を探ったのだった。




