三・隠形の巫女のお役目
サクラちゃんが行方不明になって、もう三日が過ぎていた。
結局私は人手が足りないと言うことで、台所はおろか敷地内の畑に行くことも止められて、この三日間は完全男子禁制の奥の間と呼ばれる建物内だけで生活していた。もともと出不精だったので、家の中に引きこもっているのは苦じゃない。でも、一緒に生活していたサクラちゃんの消息は分からないし、つばきさんやツツジちゃんは私以上に心配している筈なのに、私を励まそうと明るく振る舞ってくれているのが辛い。
みんなが色々動いてサクラちゃんの行方を掴もうと動いてくれている中、何も出来ない自分に苛立ちを覚えていた。でも私が外に出て探そうとすると、私に護衛を割かなくてはならない。それはただでさえ足りていないらしい捜索の人員が減ると言うこと。何も出来ない私は、こうして言われた通りにじっとしていることが一番役に立つのだ。そう言い聞かせてなるべく平常心を保とうとはしているが、それでも時折噴出するような感情の波が心をざわつかせる。そうするといても立ってもいられないような焦燥感で、畳の上を何度もゴロゴロ転がっていた。
「鈴華ちゃん、ゴメンね。こんな風に閉じ込めて」
ちょうど転げ回っているタイミングで、つばきさんがお昼の膳を運んで来てくれた。
「わ!すみませんすみません!役立たずなのにゴロゴロしてて」
「いいわよ。あまり自由にさせてあげられないし、少しくらい体を動かしてないと」
私の慌て具合が滑稽だったのか、つばきさんはクスクスと笑いながら膳を置いた。フワリとお出汁の香りが広くない部屋に広まる。
「あの…その後は、どうなりましたか…?」
本当は焦らせるだけだと分かっていても、顔を合わせる度に訊いてしまっていた。こんなことを言われても、つばきさんが板挟みになるだけなのに。
つばきさんは否定も肯定もせず、ただ少しだけ困ったように微笑んだだけだった。その笑顔は相変わらず美しかったけれど、どことなく疲れが滲み出ていた。
「…すみません」
「いいのよ。ここじゃなかなか情報は入って来ないものね。仕方ないわ」
このままサクラちゃんの行方が全く掴めないままというのはさすがに妖絡みの可能性も出て来るということで、その時は帯刀さんから指令があるそうだ。でも、その判断がいつになるかはハッキリしないらしい。結果的に妖絡みではなかったのに裏江戸が動いたというのは、あまりよろしくないそうだ。その為慎重にならざるを得ない。
「サクラはね…あの娘は、きっと大丈夫よ。あの娘にはあの娘のお役目があるから」
「お役目…ですか?」
「そう。鈴華ちゃんには詳しく言えないけれど」
私は異世界から来た居候だし、尼になるわけでもない。それは言えないことだって沢山あるのは当然だろう。
「そんな顔しないで。あなたを警戒しているとか軽んじてるつもりはないのよ」
少しだけ慌てたようにつばきさんが言う。私、そんなに不満そうな顔してましたか。いえ、確かに距離があるのは日常的にも感じていましたけど。でもそれは当然のことなのは分かっていますよ。私は居候だし、客人だし、異邦人だし。
そんなこと思ってない、と口を開こうとした瞬間、不意につばきさんが私を抱きしめた。その豊かなフワフワマシュマロの谷に挟まれるような状態になって、私の思考が停止する。
「鈴華ちゃん。鈴華ちゃんが思っている以上に隠形の巫女は幕府の中枢にいる立場なの」
幕府は直属の情報収集能力者を全国各地に配置していて、黒髪黒目の人間が生まれた瞬間にその存在を把握し、即時国の保護下に置くのだそうだ。どんなに遠い場所でも、山奥であっても、その監視から逃れることは絶対に出来ない。
隠形の巫女の役目は、気のバランスが崩れて世界の境目が綻びた場所を修正する。それは勿論重要ではあるけれど、表向きの役目。修正出来ると言うことは、逆に意図的にバランスを崩して綻びを発生させることも可能ということだ。幸いなことにそれが可能な程の高い能力を有した巫女は殆どいないが、過去に数名いたことは記録に残されている。それに意図的に出来なくてもわざと綻びを調整した振りをして妖を招き入れ、その痕跡も気取られないように自分の傍に置いておくことが出来れば…町一つ簡単に潰せるくらいの妖で軍隊を作ることなど造作もない。
「過去にそういう事例は事欠かないの。一番最近では十年前にあったわ。とても大きな騒動になって…」
抱きしめられたままだったのでつばきさんの顔は私からは見えなかったけれど、背に回された腕に力が入るのは分かった。十年前…つばきさんが裏江戸に入ってどのくらいかは聞いたことないけど、この反応からおそらくその事件を経験しているのだろう。
「たとえば、巫女自身がそんなことを望んでなくても、妖を隠すようにしなければならないように追い込まれることもあるわ。家族とか、大事な人とかを楯に取られて、とかね」
私が夕顔さんに惚れるように仕向けられた件とかもですね。あの件は帯刀さんに完全に投げっ放しにしてあるので、つばきさんまで報告が行っているのかも知らない。なので、一瞬口走りそうになったのを慌てて飲み込んだ。
「じゃあ私が出て行かないと、サクラちゃんは返してもらえないってことじゃ…」
「それはまだ分からないわ」
私の言葉に半ば食い気味につばきさんがきっぱりと言った。
「サクラは、さっきも言ったけど、サクラ自身も大事なお役目を担っているの。今回はそれのせいで攫われた可能性の方が高いのよ」
気が付くと、私の体は小刻みに震えていた。これまでにも隠形の巫女は貴重な存在だと繰り返し帯刀さん達に言われて来たし、必ず護衛が付くから納得はしていたつもりだったけれど、そのせいで周囲が危険に晒される可能性があったなんて今まで完全に思考の外だった。今回はその可能性は低いと言われても、その次があるのかもしれないと思うと、途端にここにいること自体が恐ろしくなって来たのだ。
つばきさんの手が、優しく私の背中を何往復も撫でている。
「色々知らないことばかりなのは不安よね…この件が片付いたら帯刀様と相談して、もう少しあなたにも事情を教えられないか相談してみるわ」
「え…?」
顔を上げた私に、つばきさんは「ゴメンね」と少し首を傾げるように微笑んでみせた。
「あなたにあまりこの国の事情を教えないようにしようというのは、帯刀様の…ううん、私達の考え。あなたはいつか自分のいた場所へ帰る人だから、この国の事情を知られ過ぎたと思われたらそう簡単には帰してもらえなくなる…」
私を保護したことを報告したその日から、上層部では私をもとの世界に帰すべきではないとの意見が大勢を占めていたそうだ。ただ、それよりも更に上の身分の人が反対しているおかげで、私を帰す為に調査が続けられている。
つばきさんはそんなことを教えてくれながら、私の髪を指で梳くように撫でてくれた。その温かい手がとても心地よく、目の回りがじんわりと熱くなって来るのを感じた。ヤバい、ここで泣いたらただでさえ疲れているつばきさんの負担になってしまう。
「でも、鈴華ちゃんがずっと遠慮して居心地悪い思いするくらいならもっと情報開示して、不安を取り除いちゃいましょ。隠形の巫女なんて、ずっと監視されて窮屈な思いさせられてるんだから、帰りたいって願いくらい、叶えさせないでどうするのよ」
「ありが、とう…ございます」
「ああ、ゴメンね。ご飯が冷めちゃったわ。今温め直して…」
「大丈夫です!まだあったかいですから!」
私は精一杯笑った。上手く笑えているかは全く自信がなかったけど、こんなにも私のことを思ってくれていることが心から嬉しかった。だからこれ以上は心配させたくなかった。
私が食べ始めると安心したのか、後で膳を下げに来るから、とつばきさんは部屋を後にした。
一人なった私はぬるくなってしまったワカメのお吸い物を啜りながら、誰にも迷惑を掛けずに何か少しでも出来ることはないだろうか…と真剣に考えていた。




