一・何もしないという名の苦行
「お疲れー」
目隠しされるように幕で四方を覆われた場所から出ると、止水さんが声を掛けてくれた。幕の中も外も見知らぬ顔ばかりだったので、その中で知っている顔を見つけてようやく体から力が抜けた。
「思ったより緊張しました…」
「そのうち慣れるさ」
今日の私は、真っ白な巫女装束に身を包んだフォーマル仕様だ。
気のバランスが崩れることによって起きる空間の綻びを調整するという、隠形の巫女としてのお仕事。既に気付かないうちに実質の初仕事は終えてて、これまでに何件かこなしている。でも、今回は幕府から勅命という形の「正式な」初仕事だった。
「ま、特にすることもなかったろ?」
「それなんですよね…ないから大丈夫だと思ってたんですけど、むしろ何もない方がツライ…」
気の調整というのは、もともとその人物が持っている気の大きさに左右されるそうで、大きな気を持っていない巫女は修行をして意図的に気を操ることで調整するらしいのだが、私の場合は無意識でそれを自動調整する機能がついているそうだ。ありがとう、チート!
なので、バランスが崩れかけていたり、綻んでいたりする場所に私が行くだけでだいたい問題解決してしまう。その場に置いておくだけでいいとは、ちょっと空気清浄機か脱臭剤的な扱いだ。
しかし、今回のような「正式な」ものは、対外的にちゃんとした儀式をしてますアピールをしなくてはならないのだ。
つまり、私は自分で綻びを修復しているのかよく分からないまま、修復の祈りを捧げてますという茶番を実践しなければならなかったのだ。いやもう、何もすることがなくて、ただ祈ってるフリを続けるって想像以上にしんどかったよ。
一応、一番新人の巫女のお披露目的な面もあったから、この国のトップの将軍様はさすがに代理人が来たけど、それでも私からすれば今後もお付き合いはご遠慮したいお偉い面々が揃っていた。何とか老中とか何とか家老とか…重役会議に小娘が放り込まれたような状態ですよ!
そこで、何もしないで祈ってるフリとか…何か私にもやることを下さいよ!
「じゃ行くか。真っ直ぐ寺に戻るだろ?」
「はい…この格好、早く着替えたいです」
いつもなら着ている着物のまま被布だけを纏って出掛けるので、帰りにおやつを買い食いしたりする楽しみがあるけど、今日は真っ白な巫女装束で、しかも髪を隠してないので非常に目立つ。どこかに寄るのは禁止されていないけれど、注目を浴びるのは遠慮したい。それに食べこぼしが怖くて、朝着替えてから水しか飲めなかった。とうにお昼は過ぎているので、早く帰って心置きなくご飯を食べたいです。
「早く帰りたいなら駕篭呼ぶか?」
「それは結構です!」
あんなハードな乗り物、今乗ったら確実に倒れます。
「あの場所は綻びが出来やすいから、多分定期的に呼ばれるんじゃないか?」
「それは帯刀さんにも伺いました…あそこは幕府直轄の薬草園の近くだから、綻ぶ前に対応する必要があるって」
「その分妖と遭遇しないから安全は保障されてるんだけどな」
今日はいつもの護衛役の夕顔さんが不在なので、止水さんが護衛だった。基本的に止水さんはその戦闘力の高さから、妖がいる場所に赴いては強制的に排除してあちらの世界に送還する担当だ。そのせいか、今日の護衛はもの足りなさそうだった。私はその方がありがたいんですけど。
「そう言えば『裏江戸』の人達って、みんな妖と契約してるんですよね?」
取りとめのない世間話をしながら、私はふと思い付いたことを止水さんに尋ねた。
陽の気に惹かれて綻びから侵入して来る妖と対抗する為に、一部正式な許可を受けて協力者として人間と契約している妖もいる。対妖専門組織「裏江戸」に所属する条件の一つが、この妖と契約できることが必須だと聞いていた。
つばきさんはかまいたちと契約。三位一体の性質を利用して足止め、攻撃、治癒の能力が使える。メイン業務は負傷者の治療だそうだが、状況を見て対応するバランス型。クレリックというよりはウイッチだろうか。尼僧だけどあのけしからんファビュラスバディはどっちかというと魔女。
夕顔さんはぬらりひょん通称「ご隠居」と契約。さりげなくその場に混じる特性から情報収集を担っていて、隠密業みたいなことをこなす夕顔さんと相性が良いそうだ。ご隠居とは普通に会話も可能なので、時々おやつを食べに来る茶飲み友達だ。
「あー…うん、まあ、そうなんだけどな」
「あ、訊いちゃマズかったですか?」
「基本的には聞かない方がいい…っつーか、知らない方がいい、だな」
そう言って止水さんは、気まずそうに頭を掻いた。もしゃもしゃの髪が、更に鳥の巣化する。
「帯刀の旦那はともかく、俺ら下っ端はあんまり教え合わねえんだ。色々マズいことも多いしな」
「マズいこと?」
「契約してる妖が分かると、弱点もバレるってことだ」
何でも、妖との契約は本人の生まれついての性質が影響するそうで、性質が近いものでないと結べないらしい。なので、その人に付いている妖が分かってしまうと、自動的にその人の弱点も予測がつくということだ。
「火を操る妖が出たから、水を使う契約者を向かわせたのに、その途中で土を支配する妖に待ち伏せされたりな」
五行思想とか属性魔法みたいなものなのか。その辺の知識はほら、オタクの嗜みですから。
「向こうも作戦を立てて来るわけですね」
「そこまで頭の回る妖は多くないけどな。でも全くいないってわけでもねえ。あと、人の頭ン中覗き込む妖もいるしな。いくらこっちが黙ってても、頭を覗かれたら全部筒抜けだ」
「確かに…」
帯刀さんみたいな管理職は、さすがに全員把握していないと人員配置に支障が出る。でも指示される側は、自分の特性に相応しい場所に配置されることは分かっているので、必要以上に他人の妖を知っておかない方がいいのだ。
「つばきの姐さんみたいな治療担当とか裏方中心なら、他に知られてもあんまり影響ないしな。それにかまいたちのヤツら、女子供に受けがいいから良く人前に呼び出してるし」
確かにあれは至福のモフモフです。ちょっとたどたどしいながらも意思疎通出来るところも良いです。むしろそのたどたどしさが最高ですね!
妖は、こちら側の人間からしたら見慣れない容姿な上に恐ろし気な見た目のも多く、味方だといくら説明しても聞く耳持たずに石を投げられることも珍しくないそうだ。
「夕顔の『ご隠居』に関しては、知られたらマズいところには出て行かないのは弁えてるしな」
確かに情報収集の為、気配を消す特性のぬらりひょんを使っているというのはオープンには出来ないよね。隠密行動は公表するもんじゃありません。
「分かりました。すみません、軽々しく訊いちゃって」
「そう畏まるなよ。それに俺の場合はちょっと特殊でな。おいそれとは見せられねえんだ」
何だろ、全裸のお姉さん出て来るとかかな。
「見せられない替わりに、一つ教えとく。俺の妖は『ふじ』という名だ」
「ふ…じ」
止水さんがその名前を言ったとき、何故かたくさんの音が重なってエフェクトがかかったような響きになって耳に入って来た。私がその名を繰り返しても、ごく普通の響きだった。
「これさえ頭の中に入れておけば、いざって時に少しは手助けになるだろうさ」
そう言って止水さんは、私の頭をごく自然に撫でるというイベントを発生させたのだった。




