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銀の鍵  作者: みすみいく
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黒の公爵

 ある朝、自分では泊まった積もりのない見知らぬホテルで目を覚ました。正体の知れない男からの「保身を請う 黒」と言うミステリアスな書き置きを残されてしまっていた。危機から救ってくれた「黒」の正体は?!

 …目が…醒めた。

 頭を上げた途端に酷い頭痛がした。胃が気持ち悪い。


 見事に二日酔いだ。

 …さも有ろう…ここの所毎晩のように深酒してたから…


 「…た…」


 何やってんだか…

 …涙が零れた。


 この何もかもを喪った様な虚脱感。


 何も不都合は無い筈だった。

 以前は人前に立っただけで、怯んでいた意識が自分を押し出して主張する事も難なく出来る様に成っていた。


 グラヴゼルで…アウルに救われて以来。

 生まれ変わったように…


 頭が彼の事を思っただけで、涙がぼろぼろと零れて止まらなくなった。


 「アウル。オックスフォードを終えたら帰国してくれるんでしょう?!」


 何も言わずに卒業の準備を進める彼に堪りかねて、俺は聞いた。


 「…判らないな」


 そう答えを受けて、二の句が継げなかった。

 やっぱり…アウルは、不甲斐ない俺を哀れんだだけだったんだ。


 体が弱くて入学も遅れた。

 そのくせ、飛び級で先を行く俺を、意識しないやっかみが常に付き纏った。唯でさえ嫉妬の対象になる受領の後継者だった俺だが、見てくれも、本質も資質の片鱗も無かったのだった。


 グラヴゼルと言う学校の仕組みが、俺のような立場の者が殊更に際立つような特徴を持っていた。


 年齢学年を飛び越えた学業の修得状況が、その者の地位を決める。即ち、成績上位者による学校運営。教員代行。通常は教師、運営側が担うほぼ全ての分野で成績上位者が表に立つのだ。


 その日も、執行部から命じられて、生徒総会の演壇に上がり講演をする事になっていた。

 勿論、披露する運営報告の準備も自分でする。何度も書き直して上級生のチェックも通り、諳んじた様になった原稿を、後は演壇上で読みあげるだけだった。


 なのに、俺は舞台袖で失禁しかねない程揚がってしまい、足が震えて前に出なかった。もう駄目だと目を閉じたとたん、俺の背をふわりと掌が支えた。


 「しっかりしろ!アレン・カーライツ。」

 「お前には出来る。充分準備してきただろう?!もしもの時は私がフォローしてやる。思い切ってやって来い」


 信じられない事態に恐る恐る振り返ると、少し困ったようなアウルの顔があった。

 ふ…と、涙が浮いたのを憶えている。


 「…仕方ないな。ほら」


 言って…そっと唇が額に触れた。

 まだ呆然としている俺に、溜め息を付くと、唇に…


 そうして、もう一度背を押されて舞台に踏み出したまでは憶えているものの、講演を終えて壇上を降り、居並ぶ従兄弟共の驚いた顔と、満足げに微笑むアウルの顔を見る迄、俺の記憶は無くなっていた。


 ただ1度で、アウルは俺を生まれ変わらせた。

 記憶に無いたった1度の成功で、以降の何もかもを乗り切れるように成っていたのだ。「泣き虫アレン」と、仇名で呼ばれる事も無くなった。


 何時もここまでだった。

 アウルの事を考えると何時もここまでで胸が潰れた。


 身も世もなくとはこの事だろう。

 涙が零れ続けて止まらなくなり、ベッドに突っ伏して泣き崩れた。みっともない…


 大学ではなるたけアウルの事を考え無いようにしていた。学寮でこんな事をしたら、泣き虫アレンの再来だ。


 ようやく泣き止んで、放心したように呆然としていたが、突然ここが自分の宿では無いのに気が付いた。

 ようやくだ。


 大学の友人達と泊まっているのはスキー場に直結したロッジだった…誰か…知り合いに誘われて一緒に飲みでもしたのだろうか?!


 とにかく見知らぬ部屋で目を覚ましていた。


 オテル・ミルテ。

 家族と使った過去も含めて馴染みが無かった。

 老舗の宿のようだった。少なくともロッジやユースとは違う。


 ますます訳が分からない。

 身分の定かで無い客を格式の有るホテルが、進んで受け容れるとは思えない。

 

 身分証もカードも有るので俺自身がチェックインしたのならまだ判る。

 意識していなかっただけか?!

 

 だが、この部屋に通されると言うのが解せない。

 最上階のペントハウス。直通のエレベーターが設置されている特別室だ。

 通常は、上得意客か、オーナーが招待客をもてなすために空けておくべき部屋だからだった。この部屋を使う事の出来る者が、俺をここまで運び、ベッドに入れてくれたというわけだった。


 母国でも有るまいし…誰が…


 窓から覗く眼下は、目抜き通りが見渡せる。

 色とりどりのスキー・ウェアに身を包んだ人々が、思い思いに歩いている。


 外は極寒。

 防寒着を付けないガラス1枚を隔てたこちら側とは別世界だった。


 俺の見ている現実と似ていた。

 まるで夢を見ている様な、現実味の無い毎日。


 …また、思惑に沈みかけていた。


 ガラスに映った俺の姿が、夕べロッジを出た時と同じなのに気が付いた。寝ていたベッドの足元に、履いていたスノーブーツ。


 ベッドサイドのテーブルには着ていたアノラック。

 入れていた金も、カードも、全てそのまま入っていた。このやり方も、ホテルの職員とは違う。


 泥酔して正体の無くなった俺を見かねた誰かが、ここまで運びベッドに入れてくれたというわけだった。


 誰が?!夕べ俺は、一緒に泊まっている大学の友人にも何も告げずに宿を出た。


 見るとコンソール・テーブルに置いたホルダーにカードが挿してある。


 「保身を請う。黒」


 謎めいたこれ見よがしの捨て台詞。


 保身?!と言う事は、俺は昨夜危ない目に遭いかかって居たところを救われたって事か?!黒?!


 暇を持て余した有閑マダムって可能性も有るが、残された捨て台詞が明らかに男のものだった。


 「保身を請う」


 だもんな。

 マダムなら隣に寝ているだろう。

 女ってそんなものだ。


 トラブルに巻き込まれかけていた俺を救い、使い慣れたホテルに放り込んで、様子を窺っている。


 …黒。


 好奇心をそそられていた。

 俺の何に興味を引かれているんだろう?!


 すぐにでも手を突っ込んで、触れてみたい衝動に駆られる一方で、得体の知れないものに対する戦きも感じていた。


 俺には妙なジンクスの様なものが有って、これ、と思って手を出したものに後悔させられた例しがなかった。

 説明の付かない特性のようなものだった。


 触れてみたい…

 触れねばならない。


 フロントに清算を申し出ると、既に済ませてあった。

 結局、宿代を払うことも出来ず、助けてくれた人の名も明かして貰え無かった。


 お陰で俺の好奇心は尚更に掻き立てられていた。

 暇つぶしの様相を見せている謎の人物の意図に、まんまと陥らざるを得なかった。


 仕方なく友人達と滞在しているロッジに戻った。

 部屋へ向かってロビーを横切っていると、大学の1級上のルイザ・シュリンクが、俺に気付いて、談笑していた2~3人の女の子達から離れてこちらへやって来る。


 俺がソルボンヌに入るにあたって、母が何処からか伝を辿って、彼女の母上に監視を依頼したらしい。

 お目付…だった。

 だが、このお目付は、とびきりの美人の上にソルボンヌでの成績も良いと言う、才色兼備のイイ女だった。


 学生会の企画で有る今度のツアーにも、彼女目当ての男共が大勢居る。母の目論見の中には、未来の花嫁の候補でも有るのかも知れない。


 俺の生まれたカーライツの家は、シェネリンデと言う欧州の小国の伯爵家だった。リント伯爵家とは双璧の関係に有って、王家を間に国の勢力を2分する事でバランスを保っていたのだ。


 俺はその4人の女の子の末に生まれた唯一の男子、いわゆる後継者だった。それがこうフラフラしていては、親が軛をかけたくなるのは当然だろう。


 「お帰りなさい。無茶はなさらないでね」

 「ごめん。飲み過ぎた」


 ふ…と、5人目の姉のように彼女は微笑んだ。

 ルイザの少し後ろに、さっきまで彼女と話していた女の子が俺達の会話が途切れるのを待っているようだった。


 「お邪魔しても宜しくて?!ルイザ。素敵な方ね?!」

 「エステル。同じ大学のアレン・カーライツよ。アレン、エステルよ。リセの3年生。此方は妹のクラリス。1年下の2年生」

 「初めまして。バカンスなの?!」

 「ええ。父と来ているの」


 婚約者の居ない女の子の保護者抜きの一人旅など有り得ない。それで無くとも、もう既に彼女ら姉妹には男共の視線が張り付いている。


 二つ向こうのソファーで新聞を広げていた父親とやらに手を挙げて、エステルが声を掛けた。


 「ゲレンデへ出るかね?!おや、新しいお友達か?!」


 初めて見たその男は総てが印象的…だった。

 モノトーンのスキーウェアに身を包み、グローブとグラスを手に柔らかく笑う、その姿も、声もドラマチックだった。


 精悍な面差しを黒髪が更に磨きをかけていて、銀に暖かく烟る瞳がコントラストを醸し出している。

 優しげで、柔らかくて、危険だった。

 殊更その声が…


 「…?!」

 「…あ…何?!」

 「私達は滑りに出るけど、貴方どうなさるのって」

 「ああ、ごめん。昼からにするよ。とにかく着替えないと、夕べから着たきりなんだ」

 「そうね。じゃあ、お昼にね」

 「そうよ!!お昼!ご一緒したいわ。ね?!」


 ルイザを向いて了承を取り付け父親を向いて確認をとる。


 「良いでしょう?!父様」


 唐突に言われて戸惑うのは男ばかりだ。


 「君が良ければ。お付き合い頂けるかな?!」

 「ええ。ぜひ」


 なんで是非なのか、自分でも計りかねていたが、女の子たちはあっと言う間にロビーから抜けて行った。


 「娘達がかしましくて申し訳ないね。私は、ラルフ・ダ・ストラダ」


 言って、差し出された手を慌てて握った。


 「失礼しました。僕はアレン・カーライツ。ソルボンヌの学生です」

 「ルイザと同郷らしいね。美しいガールフレンドだ。娘達にチャンスは有るのかな?!」


 そう言って笑った。その微笑みが何故かアウルを彷彿とさせた。年齢も容貌も違う。だが、何故かしっとりとした落ち着いた印象が醸し出す、安堵の感触が似ているように感じたのだ。


 「昼食を楽しみにしているよ」


 手を振ってラルフは出て行った。


 部屋へ帰る道すがら、廊下を歩きながら、ストラダと言う名を何処かで聞いた覚えが有った。グラヴゼルでは無い…ストラダ…ストラダ…


 そうだ!!家でだ。

 父と叔父が話をしているのを聞いていた時に…あっ!!


 …黒の…公爵だ。


 東を影で統括し、父、カーライツ伯爵にとって積年の政敵とも言えるリント伯爵。

 その後ろ盾として暗躍する公爵。


 当代の彼が画策した訳では無いが、昔からの習いで、シェネリンデに経済援助と言う形での軛を掛けている男だった。


 当然あの書き置きの主。

 俺を助け、オテル・ミルテに放り込んで様子を窺っていた。「黒」とは、彼の事だった。


 偶然か?!故意か?!


 面白い…と、思って。

 俺の空虚が退いているのに気が付いた。

 感覚が変わったのだった。


 社会と関わりの無かった、子供の世界に身も心も居た俺が、実社会に触れた瞬間だった。


 俺はカーライツとシェネリンデの未来を背負って、黒の公爵と…現状を脅かすかも知れない相手と立ち向かう必要に駆られたのだ。

 お読み頂き有難うございました。

 ここまで幾つかの小説を書いてこられて、初めて登場させられるキャラクターがラルフこと黒の公爵です。

 ちょっと怖くて優しげで、イイ男だと思うんですけど…如何でしょうか?!

 彼の出て来る話はもう一遍有ります。また宜しくお願い致します!

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