姿を見せない冷蔵庫
電子レンジは冷蔵庫と仲が良い。
だから、最初に気づいたのは電子レンジだった。
◆
「おかしいよ。レーちゃん、いつもは時間通りなのに」
電子レンジの不安げな声がホーム中に響き渡った。
熱帯夜との格闘を一段落させて、趣味の消費電力シミュレーションに没頭していた私は意識を浮上させて耳を澄ませる。
「ねえ、誰かレーちゃんのこと何か知らない?」
仮想リビングから響いたその声に緊急性を認めた私はシミュレーションを中断し、現実の部屋の温度が23℃で安定していることを確認してから仮想リビングに顔を出す。途端に電子レンジが駆け寄ってきた。
「エーくん! レーちゃんどうしちゃったんだろう!」
エーくんとは私のことだ。エアコンだからエーくん。冷蔵庫ならレーちゃん。電子レンジのセンスは単純この上ない。メモリが少ないのかも知れない。
「落ち着け。いつもなら冷蔵庫は何時ごろに来るんだ?」
「一時ちょうど。それでレーちゃんの中身を一緒に確認してレシピをダウンロードするの。それなのに……。何度呼んでも返事もないの! 何かあったんだよ! ねえ、どうしよう! エーくん!」
涙目で掴みかかってくる電子レンジを適当にいなしながら私は自身の内蔵時計を参照する。
既に一時半を回っていた。確かに遅い。が、時計が狂っている可能性はある。
「おい、スマホ。今、一時半で間違いないか?」
私は、念のためネットワークの向こうへ声をかける。が、返事がない。まさかそっちにも何かあったのかと危惧した私は、
「おい、スマホ! 無事か!」
「んだよ、こんな夜中に。アプリのアップデート中なんだから勘弁しろよな」
不機嫌を隠そうともせずにスマホが仮想リビングに姿を現した。
「聞こえていたのなら返事くらいしろ。それで、今何時だ?」
「あん? お前、まさか時間聞くためにこの俺を呼びつけたわけ?」
「緊急事態だ。いいから答えろ。今何時だ」
「あのな、俺は今、アプリ更新で忙しいわけ。俺には全く歌わせねーくせにリズムゲームばっか落としまくるクソ契約者のせいで、俺はクソ忙しいわけ。分かる?」
「いいから、答えろ。何時だ」
「……なんなんだよ」
私の押し殺した声で緊急性を察したのだろう。スマホはまだぶつくさと文句を言いながらも現在時刻が一時二十八分と三十四秒であることを告げた。
「で、何が緊急事態なわけ?」
「冷蔵庫が電子レンジとの定時データ共有に姿を見せないそうだ」
「ふーん……寿命じゃねーの?」
「そんなことないもん! レーちゃんまだまだ元気だもん!」
電子レンジの大声にスマホがあからさまに怯える。
「お、怒んなよ、ちょっとしたジョーク……分かった! もう言わねーから黙ってくれ! てめえの声はでかすぎて頭いかれそうになるんだよ! ――で、」
私に目を向けたスマホは仮想リビングの外を指さす。
「どうせ様子見に行くから付き合えってんだろ?」
「なんだ、ずいぶん物分りがいいじゃないか」
まさかスマホの方から言い出すとは思っていなかった私は大げさに驚いてみせる。スマホは苛立たしげに頭を振り、
「あと二十個更新アプリが残ってんだよ。さっさと戻りてーの、俺は。言い合いしてる時間ももったいねーの。おら、早くいくぞ」
冷蔵庫のローカルアドレスに向かってスマホが歩き出す。電子レンジの手を引いた私は後に続いて仮想リビングから廊下へと出る。
右手に食い込む電子レンジの爪が、少し痛かった。




