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わたしが宇宙飛行士だったころ

作者: 標本

わたしが宇宙飛行士だった頃、宇宙技術は未熟だった。せいぜい光速で移動が可能になった程度で、超光速航法はまだまだ実現が難しい。そんな時代だった。


宇宙機関では、タイタンへの人類移住計画が進行していた。しかし、状況は芳しくない。しまいには、月や火星やらにした方が良いじゃないかと上層部が言い出した。その議論は続き、数年経っても結論は出ていない。わたしには、その議論は非常に無駄だと思える。そのくせ、宇宙機関は太陽系外惑星への進出に熱心だったので、不運なことにわたしは太陽系外惑星への探査を担当することになった。帰ってこれるのは、5年後だと言われた。わたしは今年28になり、彼女は27になる。5年経ったら二人とも三十路過ぎだ。彼女だって、そろそろ結婚したいだろう。しかし、わたしはまだ自由の身でありたかった。バリバリのキャリアを積み、出世する欲があった。だから、プロポーズを決意できずにいた。5年間恋人を縛り付けておくわけにもいかないので、わたしは恋人との破局の道を決意した。


さくら咲く季節だった。恋人を呼び出して、桜並木道を歩いた。わたしには情緒というものがなく、桜が綺麗だななどを言う前に、恋人に別れを告げた。言ってしまったあと、ワンクッション置くべきだったと後悔したが、時既に遅し。しかし、彼女は驚いた風もなければ、怒りもしなかった。もしかしたら、彼女は知っていたかもしれない。彼女は妙に静かな表情だった。彼女のさくらんぼ色の唇が言葉を紡ぐ。


「馬鹿。待っている。‥早く帰ってきてよ」


と言われた。

プロポーズを決意する瞬間なんて、本当に大したことはない。

結婚を急ぐはずの彼女が、覚悟して五年も待ってくれるという。その事実が酷くわたしを揺さぶった。

些細なことだったが、彼女しかいないと強く確信するには十分だった。


わたしはあまりの嬉しさに、近くにあった桜の木の枝を手折る。不器用なりに感謝の意を表した。


「本当、馬鹿ね。‥また、この桜並木道を歩こうね。」


恋人は泣き笑いを浮かべながら、桜の木の枝を受け取った。彼女の表情を見て、愛おしさが胸から溢れてきた。胸の奥から荒波が起こり、わたしを飲み込む。私は、勢い余ってプロポーズをした。


わたしはこの女性と何があっても結婚するんだと誓った。幸せにするとも言った。支離滅裂な言葉だったと思う。けれど彼女は静かに聞き、頷いてくれた。指輪もない、子供騙しのような婚約だった。わたし達は泣きながら固く愛を誓った。




わたしは宇宙船に乗り、様々な景色を見た。全てダイヤモンドでできている星や、常に快晴な星、喋る植物に覆われた星。特に、この喋る植物は面白い。花弁を震わせ、抑揚のあるノイズ音を奏でるのだ。その音は、まるで喋っているようだった。しかし、植物には脳みそがない。つまり、知性を兼ね備えていないのだ。故に言語を操ることは不可能である。花弁を震わせ、ひび割れた音を鳴らす動作は、食虫植物の様に、餌を引き寄せ捉えるためだろうと、わたしは推測した。


喋る植物の星を探査していた時、通信機器が壊れてしまったので、一旦地球に戻ることにした。土産は、珍しい喋る植物だ。茎をぶちりとちぎる。今はだんまりを決め込んでいるが、土に刺せば、再びあのノイズ音を奏でる。それは既に実証済みだった。彼女は喜ぶだろうかと期待と不安に胸を膨らませた。


しかし、彼女はいなかった。彼女どころか、わたしの両親も友人もいなかった。あったのは、彼らの名前が彫られた冷たい墓石だけだった。

3年ほどしか経っていなかったが、地球では100年の月日が流れていた。いつの間にか両親と友人、そして恋人は他界していた。

宇宙船は光速で移動するので、宇宙船内の時間は地球時間と異なった。知識としては知っていたが、それが97年もの大きな時間のズレを生じさせるのだとは知らなかった。

宇宙機関は、わたしたち宇宙飛行士に情報を伏せていた。

わたしの他にも、被害者がいた。彼らは果敢に情報開示不足を糾弾した。しかし、彼らもわたしと同様に身寄りがなく、弱い立場だった。宇宙機関は、故意的に親類と縁が希薄な宇宙飛行士に太陽系外惑星へ赴任を命じたようだ。わたしたちは、文字通り孤立した。わたしらを守ってくれる者は誰もおらず、ただ被害者同士肩を寄せ合った。100年後の地球人は、過去の産物を隠蔽した。そのくせ、わたしらが持ち帰ったサンプルやデータはきっちり回収していった。彼らは血も涙も無かった。わたしは密かな抵抗を含めて、喋る植物を上手いこと隠した。幸い、見つかることはなかった。彼らは、ツメが甘い。


何人もの宇宙飛行士が、絶望し自殺した。彼らの死を悼むのは、被害者のわたしらだけだった。わたしも首を吊ろうとしたが、できなかった。大切な人を失ってもなお、醜く生にしがみ付いた。そんな自分に心底嫌気が指した。


過去の産物であるわたしに再び辞令が下った。わたしの次の赴任先は、銀河の中心だった。銀河の中心は、時の流れが速い。それ故に、宇宙船内と地球の時間との時間のズレは、膨大だ。100年どころの話ではない。未来人はその事実を既知なので、銀河の中心には行きたがらなかった。そこで、政府と宇宙機関は、過去の産物に目をつけたのだ。弱い立場の者は、死ぬまで利用され尽くされるのが、宿命だった。憤怒を通り越してそう悟った。この時、憤るほどの生気は既になく、ただ死を渇望した。しかし、わたしは自分で死ぬことができない。それ故に、ブラックホールを自分の死に場所に決めた。


わたしは赴任先へ向かうことを承諾した。元より選択権などなかった。二度と地球に戻るつもりはなかったので、恋人の骨と墓土を持ち、宇宙船に乗り込んだ。


わたしは、宇宙船に設備されている実験用のプランターに墓土と骨を入れ、喋る植物を植えた。この植物は、茎の部分から引き抜いても、土に植えれば、根を張り成長する。


根を張ると元気が出たのか、喋る植物は、相変わらずひび割れたノイズ音を奏でた。彼女に送るはずだった花が、彼女の墓土から栄養分を得て育っているのを見ると、なんとも言えない気持ちになった。


喋る植物が不可解な音を奏で始めたのは、それから10日後だった。


「う‥あ‥‥あ‥‥‥」


相変わらずひび割れた声だったが、母音らしき発音が混じり出した。幼い子供を連想させる声だ。


「進化しているのか‥?こんな短期間で‥。」


ふと、学者の友人の顔を思い出した。きっとこの話をしたら、目を輝かせて食いつきそうだ。そう考えて、仄かに笑った後、その友人は既に死んだのだと思い出して、表情が沈んだ。


それから時を経るごとに、植物は目を見張るほどの進化を遂げていた。ぼやけていた子音を発音できるようになった。最初は花弁を震わせていただけなのに、最近は人間の口のようによく動く。そして、ひび割れた声で、はっきりした言葉を発し始めていた。わたしは、ただただその驚異的な成長に驚くばかりである。


「あ‥これ‥おイし‥やキゆ」


しかし、知性はないので、言葉を理解しないまま発音している。まるでインコやオウムのようである。


「‥ミず、‥みズー、」


だが、水という単語を発音すれば、水を与えてくれると覚えたらしく、よく水と言うようになった。


わたしが如雨露で水を与えると、嬉しそうに茎をくねくねさせる。ついでに、横のプランターの実験用の花にも水を与えた。


「ねぇ、‥ネぇ。」


まるで呼んでいるような発音をするが、大して意味はない。わたしは無視して、如雨露を片付けていた。そろそろコックピットに戻り、宇宙天気予報でも確認しようかと考え、腰を浮かせた。


「‥アキ‥」


懐かしいあだ名を呼ばれて、硬直した。腰を中途半端に浮かせた状態で、視線だけを動かし、声のした方を見る。


恋人しか呼ばないあだ名を何故、花が知っているのか。


呼吸も忘れて、驚愕していると、花は言葉を続けた。


「バカ‥待っテる‥はやク、かエって‥」


ひび割れた声が、聞いたことのある台詞を言う。


「、サクラ、‥、また」


「また、この、桜並木道を歩こうね」


最後の声は、非常に生々しかった。

その瞬間、胃の底からせり上がってくる想いに、口を覆った。桜散る並木道で、泣き笑いを浮かべた彼女の顔が、鮮やかに蘇る。春の温かさを含んだ風が、彼女の艶やかな黒い髪を遊ばせていた。涙の膜が決壊し、その場に崩れ落ちた。とめどなく流れてくる涙。彼女の顔が、次々と浮かんでは消えていった。泡のように思い出される過去。わたしは、彼女を想い、息を詰まらせながら、咽び泣く。


あの時、強く強く誓った。


何があっても彼女と結婚するのだと。その誓いには一片の迷いもなかった。しかし、わたしはその誓いを守れなかった。彼女は、独身のまま一生を終えた。わたしは、一人彼女の骨と墓土を乗せてたフネで、宇宙を漂っている。


不幸にも共に人生を歩めなかった。政府や宇宙機関に対する怒りよりも、彼女に対する深い情愛が勝った。


わたしは、よろよろと立ち上がり、コックピットへ向かった。そして、行き先を変更した。銀河の中心ではなく、あの植物があった太陽系外惑星へだ。


◇[余談]


あの植物が生えていた惑星には、地下があった。そこには、人間がいた。人間だけではなく、二足歩行の宇宙人もいた。彼らは、虚空を見つめ、植物の分泌液に浸かっている。その顔は、満ち足りた表情をしていた。


わたしは、晴れてその一員になった。


その分泌液に浸かると、脳味噌を溶かすような甘い匂いが鼻をつく。分泌液はトロリとしていて、良く肌になじんだ。その液体が毛穴から体内へ侵入してくるような不快感を覚える。しかし、すぐにその不快感はなくなった。正確に言うと感じなくなったという表現が正しいかもしれない。身体中の感覚がじわじわと麻痺していく。頭の奥がじんと痺れ、思考が鈍くなる。


あのひび割れた声が、辺りに木霊していた。


わたしは、頭の端で思う。


やはりあの喋る植物は、食虫植物のように、餌を引き寄せるため花弁を震わせ、ひび割れた音を鳴らすのだと。


しかし、あの植物は幾分か賢いようだ。知的生命体の思考を奪い、自分らの利益になるように彼らを動かして、搾取し続けるのだろう。しかし、わたしは幸せだった。もう何も考えないで済む。支配される心地よさの片鱗を感じ取ってしまった。


甘い匂いが、期間を通じて肺に到達し、血液を介して全身へ運ばれる。脳の細胞が死んでいき、考える力を失う。


ついには、言語さえも忘れた。わたしは、もう宇宙飛行士ではなくなった。その時の記憶も、恋人の顔も、わたしの頭には残っていなかった。ただ、途方も無い幸福感で満たされた。あのノイズ音のような音が、空間を震わせる。それが非常に心地よく、わたしを安心させた。


御察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、最後の部分はヴォイニッチ手稿を思いながら書きました。2chでみたスレの解釈が好きで、それも最後の部分に影響しました。


わたしがオカルトが好きでして‥、今回は全面的にオカルト要素が強いですね‥。かなり読者を選ぶような作品になりましたが、書いていてとても楽しかったです。


オカルト要素を大衆受けするように組み込んで表現する新海誠さんは、本当に凄いです‥。絶妙にオカルト要素を出すので、あのさじ加減が素晴らしい。尊敬します。「君の名は。」も好きなのですが、世界観は「星を追う子ども」と「ほしのこえ」が好きです。


あと数字はだいぶ盛りました。主人公を浦島太郎みたいにしたかったので‥。


色々おかしいところがあるかもしれませんが、ご愛嬌ということで‥。

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