そして氷の洞穴へ
もう一個アトラクションをやってくれ、と無茶振りを受けたばっかりだった。
大体、今の魔物狩りのどこに「他のアトラクションやる」隙間があるんだ。
こっちは秒単位で全員の様子見てるんだ。
狭い会議室で顔が付きそうだった。
「塔森さん。真面目に言って、無理です。疎かになります。今日の午後だけならわかりますけど、両方同時ができないくらいは、少なくともあたしにはできないくらいは、わかってください」
メンター塔森さん、本気で言う時は当然こういう呼称になる。
「じゃあ午後だけ。……先鞭を付けておけば、またチャンスはある。プレミアム専用のアトラクションに切り替えてもいいんだ。単価が、三倍以上違う。時給だって上がる」
「好きなんですけどね。魔物狩り。よく出来てて。言った通り、殆どのお客さんは呼吸を合わせてくれるんです。聞いときますけど、指名のチケットはいつまで、売れてるんですか。予約分の事です」
「……いいか、これは、滅多にないチャンスなんだぞ?」
「だから、いつまで予約は入ってるんですか。答えて下さい」
塔森さんが舌打ちをするのは初めて見た。
予感。一か月くらいは入ってるだろう。だから嫌がると思った。
そうでしょ。
本気で悩んでいる塔森さんも初めて見た。
そして悪い顔で苦笑するところも。
「言われた通りにするのが君の立場だろう? 打ち合わせに入ろう。今後の予定は――夕方以降にでも話し合おう。まずは午後だけだ」
「……はい」
こうなったら、既に頭の中に作っていた妖精のイメージは消す。
ゼロから何かを作る。それがナビゲーターだ。
「いいかな? コンセプトから言う。氷の洞穴だ。これまでと似た部分はあるだろう。一面の白、青、緑、暗がり、北欧の洞穴からイメージを作った。違うのは、二手に分かれる所だ。片方はゾンビ。もう片方は討伐者。ゾンビと言っても魔法を使ったり――互角にはなっている。客同士でバトルだ。勝利ポイントを稼ぐ」
「はい」
「君はどちらか――恐らくは討伐者の軍勢を助けて進む。これも今までと違うのは、君が最強だということだ。客はナビゲーターを失うと不利になる。ナビゲーターのみが復活できる。が、復活には時間がかかる」
「はい。何分ですか?」
「それは現場で聞いてくれ。ゾンビ側も基本的には同じだ、と思う」
「はい」
「ここからが僕のアドバイスだ。いかに情けが禁物であり、相手が客だと思わせないかが重要になる。緊迫感。裏切り……」
「すいません。裏切り、はどういう要素ですか」
「ああ、ゾンビに噛まれれば敵に回る。見た目は討伐者のままでね」
「ナビゲーターには見分けられるんですか」
「それも現場で。大体は掴めただろう。大事なのは緊迫感だ。疑心暗鬼だ。現場入りしてくれ」
「はい」
考えてみればいっちゃんはナビゲーターと運営スタッフを兼務しているのだ。
やれない、とは言えない。両方同時は物理的に無理そうだけれど。
あたしはその「寒そうな洞穴」のナビゲーターを、造形――というかキャラ作りし始めていた。要するに演じられるレベルまで詰める。
どのくらい強いのか。ナビゲーターが守られる立場なのか。
ナビゲーターは噛まれたらどうなるのか。
先導するイメージ? 力を生かして支援するイメージ? 何ができる?
どうすれば。恐怖だけでは盛り上がらない。対決、が大事なのはわかる。
それと疑心暗鬼は――合わない。
スタッフは「大体は目の前に表示されますよ」と、文字通り言った訳ではないけれど、説明を聞いた限りではそれ以上の情報はなかった。
洞窟の仮想空間は大体、歩いた。
苛烈かつ水晶で出来ているかのような、「明るい所だけは明るい」空間。
美麗ではある。
これも毎回書き換わるから、覚えても意味はない。まるで違う姿にもなるらしい。
VR要素に、スーツの温度を冷やすものが増えていた。
極寒でも大丈夫、と医師に許可されたか、健康には自信しかない人が対象だ。
氷の洞穴から戻ってわかった。本当にあたしには向いてない。
身体が冷え切っていた。血流が増えてくれないからだ。手足の末端が痺れる。
凍傷に――ひょっとしたら成っている。
詳しくは無いけれど、感覚がない、だけじゃなくて指先が変色している。
「あの……」
少し、冷やすのを緩めにして貰えませんか、そう言おうかと思った。
言いかけてやめた。あたしはナビゲーターだ。プロなんだ。
動いていれば、きっと、何とかなる。
何か所か、火に当たれる箇所がある。そこでは凍えるほどには寒くはなかった。
ゾンビ側は冷えても動きが鈍くなるだけで、火は「浄化」の効果があるから近寄ると体力が減る。寒いだろうな、とは思う。
初めての開演まであと十五分。
戦略は立てた。バトルで、しかも前線に立つ可能性がある。
戦略くらい無ければナビゲーターじゃない。
きっと、あたしは勇敢で、しかも守って貰いながら、それでも血路を開く。
火の周りはきっと攻防で重要な場所に成る。
そこを拠点に、一斉にかかってくるようならあたしが――何ができるのかは実戦にならないとわからないけれど、力を奮う時だ。
敵を分断する方法はないか。思いつかないから先に送る。
少し、そうだ、ゾンビ側が戸惑っているようなら、「かかってきなさい」というキャラだったほうがいい。
強いけど高圧的過ぎない、「ちょっと勇敢」な範囲で。
討伐者側は鼓舞して、いかにも悪に勝つ、そういう感じにする。
妖精とは殆ど、逆だ。
協力できた方が勝つ。
そこまで考えて、ひと息ついた時に、相手にもナビゲーターがいるだろう、と気づいた。
ナビゲーター同士で勝負。そういうアトラクションもあるけど。
気が乗らないなんて言えない。誰でもいい。正面から勝負する。
本番開始五分前。
既に、見学した時とは違う、最初の部屋に鏨音は入る。
一面の緑。
背ほどもある篝火の傍に寄った。
暖かく強い光。
痺れ始めている指先を、炎にかざした。
点々と松明も輝いている。
討伐者側の最初の拠点としては悪くない。
灯りが、炎が武器に、防具になる。
「風音に成る」
氷の床に足音を響かせて、歩く。
風のように舞う妖精とは逆に、地に足を据えるように、やや仰々しく、威厳を持って。
客層もこれまでとはまるで違うだろう。プレミア会員だ。
望んでいるのは「対決」と、最高級の悦びだ。
「能力:炎の矢」と、HUDを探し回った挙句、見つける。
背負っている長弓と矢筒で予想は付いていた。
撃った経験などなくとも、それらしくは扱えるように。
キリリ、と弓を引き絞り、氷の壁に狙いを付ける。
放った矢は壁に突き刺さり、高く炎を上げる。
輝く。熱は篝火ほどもあった。それ以上かもしれない。
「あ、あ、あ」
次第に強く、言った。
反響する洞穴の音響特性を調べる。
少し――広さを強調している。自分の声も反響する。
――それにしても、この部屋で既に寒い。炎から離れれば凍てつくようだった。
指先を麻痺させるわけにはいかない。すでに鈍い痛みがある。
ナノマシンのピル。危険だけれど心拍を強引に上げるには他に手がない。
醜態は晒せない。初回だった。飲めば、すぐに効く。心臓と通信を始める。
凍り付きそうだったから――ひとつだけ、武器を持ち込んである。
白いマントの下に隠れるよう、冷めないボトルで湯を持参した。
熱湯ではない。湯でピルを飲んだ。
開演の音楽が響き渡った。
既に、ゾンビを狩りたいという思いが漲っていた。