魔法は解かれる
よろしくお願いします。
続いて、エマに連れられやってきたのは、魔女の住まいを彷彿とさせるところだった。
あばら家の中に入ると、内装もいかにもといった感じである。
そこかしこに怪しいものがぶら下がっており、何とも言えない臭いも漂っていた。
おどおどと周りを見ていたエリザべートを置いて、エマは奥にあるカウンターへと歩いていく。
「マスター、染髪薬ある?」
「おや、これは珍しい御客人だ。」
そう言って奥から出てきたのは、まだ年若い男の人だった。
「染髪薬だね。どんなのがいい?」
「あぁ、今回は私の買い物じゃなくてね、この子の…。あれ、エイミーちゃん?」
後ろを振り返るとそこにはエリザベートの姿はなかった。
「あ、はい。ここです。」
棚の陰から申し訳なさそうに顔を出した。
初めて見るものばかりで、思わずあちこちを見て回っていたのだ。
「あぁ、なるほど。それで、お嬢さんはどんな染髪薬をお望みかね?」
エリザベートを一瞥すると、何か納得したようだ。
「どんな、と言われても私よくわからないのですが…。」
「初めてかい?」
コクリと頷く。
「そうか。いろいろ種類があるのだけど、永遠に髪色を変えるものから、短いものだと一時間程度だけ変化するもの。色も好きに選ぶことができるけど、基本的には茶系がおすすめかな。」
「時間は…二時間程度で、茶色でお願いします。」
「かしこまりました。茶色の色味もたくさんあるけど、そのあたりは僕が選んでもいいかな?」
「はい、お願いします。」
「それじゃあ、この薬について説明しておくね。口から飲むか、直接髪にかけるかなんだけど。口から飲む場合は即効性が高く、持続時間も長い。ただし、味は正直おいしくない。それに、一瓶飲み切る必要があるからコスパも悪い。対して、髪に直接かける場合だと、染まるまで少し時間がかかる割に持続時間も短い。でも、一回あたり少量で済むためコスパは良い。おすすめは、後者かな。持続時間の長いものを買えば、即効性以外はクリアされるから。」
その後も注意事項など説明してもらったところで、希望に沿った薬剤が完成した。
直接髪にかける用に一本と、口から飲む用を三本、修正用の元の髪色に戻るものを一本買った。
実際にその場で染めてもらい、鏡で髪色が変わる様をドキドキしながら見つめる。
綺麗な栗毛色になったところで、お店を出た。
因みに、今回染めてもらったのは、店にあったサンプルで一時間ほどで元に戻るものである。
外に出ると、もう夕方になっていた。
そろそろ帰らなくてはいけない。
「あの、エマさん。私そろそろ帰らないと…。」
「ん?あ、そうか、もうこんな時間か。貴族街まででしょ?送るよ。」
「そんな、大丈夫です。一人で帰れます。」
これ以上お世話になるのは居たたまれない。
「気にしないで。私も貴族街の方に用があるんだ。それに私こそ悪かったね。いろいろ連れまわしたりして。」
「いえいえ、むしろ本当に助かりました。ありがとうございます。」
実際、連れまわされたといっても、エリザベートを心配して好意でしてくれたものである。
感謝こそすれ、エマに謝られることはありえない。
言葉をかぶせるように、誠心誠意お礼を言った。
結局、エマに平民街と貴族街の境まで送ってもらった。
といっても、来るときに乗った辻馬車に同乗しただけではあるが。
貴族街から出るときは、辻馬車は直通であったが、入るときはそうもいかない。
一度全員馬車から降りて身体検査をされる。
特に凶器になりそうなものを持っていない場合は、基本的に何事もなく通してもらえる。
剣などを持っている場合も自分の身分を証明できるものがあれば問題ない。
この世界には魔法があるが、基本的にロッドなどの魔法道具を経由しなければならず、それを持っている者も身分証明できればよい。
エリザベートもエマと一緒に降りると、エマに別れを告げ、身体検査の列に並んだ。
軽く検査されただけで、何事もなく通過し、貴族街の中に止まっていた辻馬車に乗り込む。
しばらくすると、走り出した。
流れゆく街並みを眺めていると、あっという間に屋敷の近くに着き、ゆっくりと馬車を降りた。
(あーあ、戻ってきちゃったなぁ。もう少し非日常を味わいたかったけど、しょうがないね。)
髪色が元に戻る前に部屋に戻らなければ、と行きと同様裏口から入り、自分の部屋へと戻った。
薄暗い閑散とした部屋が出迎えてくれた。
扉を閉めてほっと一息つく。
ふと顔を上げて鏡を見ると髪色は元に戻っていた。
(いよいよ、終わっちゃったなぁ。)
余韻に浸りたかったが、夕食まで時間がない。
いつも部屋で着ているワンピースに着替え、髪をほどき、化粧をする。
本当はドレスにしたいところだが、さすがに一人で着られない。
メイドのお仕着せをクローゼットの中にわからないように隠し、今日買ってきた戦利品を眺める。
「これもここにしまっておこう。」
染髪薬もお仕着せと一緒にしまったところで、扉がノックされた。
夕食のようだ。
※
平民街へ行ってから一月後。
あれから平民街には一度も行けていない。
それというのも、少し前に社交シーズンに入ったからである。
シーズン前はダンスやマナーの授業がこれでもかと詰め込まれ、シーズン中は、日夜正装をしてどこかへ出かけなければならない。
残念ながら、平民街まで行って帰るだけの空き時間はなかった。
しかし、社交は貴族における大事な仕事の一つである。
自分の領地について特産品などを売り込んだり、他の領地を参考にして領地改革を行うなど、領地経営をするには欠かせないものである。
とはいえ、領地経営を自ら行っている貴族は少ない。
メドウズ侯爵家も例にもれず、領地は別の人に任せ、ほとんどを王都で暮らしている。
領地経営もよほど熱心な人でなければ、自分の領地の売り込みはしない。
ほとんどの貴族は、年頃の娘や息子を売り込むことに必死である。
この国の貴族は税さえきちんと支払いされていれば問題ないと思っている節があるのだ。
大国で肥沃な土地であることが、このような間違った概念を植え付けている一つの要因であるが、それに気が付いているのは貴族の中でもわずかしかいない。
最近のエリザベートはもっぱら本の虫である。
平民街に行くほどの時間は取れず、かといって勉強をする以外はすることもない。
フラストレーションのたまっていたエリザベートを見かねた家庭教師が、貴族街にある図書館へ行ってはどうだと、教えてくれた。
時間のある時に図書館へ行き、本を借りてきては、暇を見つけてちまちまと読んでいる。
家庭教師の授業は、社交が始まるとのことで最近は主に貴族年鑑を覚えることがメインだった。
この国の情勢や歴史なども少しは勉強したが、ほとんどは貴族年鑑とにらめっこである。
楽しいわけがない。
その中で見つけた、読書というストレス解消法である。
のめりこまないわけはなかった。
最初こそ童話や神話など読みやすい物語になっているものを読んでいたが、近ごろは『初心者用魔法書』と書かれた分厚い本を読んでいる。
つい先日、冒険譚を探していた時にたまたま見つけたのだ。
恐らく誰かが間違えて差し込んだのだろうが、魔法という言葉に惹かれてつい手に取ってしまった。
中は非常にわかりやすく書かれており、今まで魔法に親しんでこなかったエリザベートにも理解することができた。
その魔法書を読んでいた時であった。
「ふむ、魔法書ですか。」
急に後ろから声が聞こえて飛び上がった。
「申し訳ありません。驚かすつもりはなかったのですが…。ノックしても返事がなかったもので…。」
後ろを振り返ると、申し訳なさそうに立っている家庭教師がいた。
「お嬢様、魔法を学ばれるのでしたら、誰か先生を雇う方がよいと思いますよ。万が一暴発でもしては大変ですから。」
「そ、そうなの。考えておくわ。」
恐ろしいことをサラッと言われ、思わず動揺する。
そのまま、授業が始まった。
相変わらず、貴族年鑑とにらめっこだったが。
ありがとうございました。