ー3ー 死を覚悟して事と戦う
ああ、こうして今までの人らも殺されてきたのか。
ザーザーと降り注ぐ雨粒。
完全な戦意喪失。
命の賭け金でもある鉈はもう既に、相手の所有物だ。
対抗しよう。そう思い心なしのシャベルを取り出すが綺麗に切断されたというオチが待っていた。
虚しさと苦しさと、狂おかしさがこの笑みを作る。
生存確率はゼロ。
思わず一歩後ずさるとそれにゴブリンも歩み寄り、お互いそのまま硬直状態に陥る。
生存率の確率が0とは嫌なものだ。走り抜けても、あの尋常じゃない速さで追いつかれるし、闘うにしても、体皮は銃弾すら弾く。
例えるなら大人と子供ってか。この絶対までの強さは。
絶対的な死が俺の前で薄気味悪く笑う。嘲嗤う。
馬鹿みたいだと鼻で笑う。
兎に角そいつは、最大限に目の前にいる俺をコケにして見下している。
「め、目ん玉爆破させられた癖に! か、勝ちを気取るつもりかよ! へっ! 馬鹿にすんな!」
だから俺も、見くだすことは無理でも最大限対等に立とうと虚勢を張って___コケにする。
どうせ死ぬなら言うだけ言いたい。どうせ死ぬんだからトチ狂ったっていいだろう。
そんな俺の言葉を理解したのか、それとも、俺の表情から溢れ出んばかりの精気と馬鹿にする顔にムカついたのか、顔を突き出して黄色い牙がそんな俺に物申す。
今から殺す。
その滲み出る殺意が脚を震わせる。
寧ろ、初めて殺意を感じたから、これを殺意によるものなのかは分からないが怖いと言うのが正しい。
「は、はは! あはははは!! まだ20年そこらで、まさか化け物に殺されて終わるのかよ俺」
真後ろには壁がある。冷たく、大きなコンクリート壁。あのベルリンの壁位大きくて分厚い、本当に境界を隔てる壁。
ヒヤリとしていて、俺の熱に少し熱されて、俺は殺意に毒されて涙を零して。
「誰か、助けてくれ……。神様ぁ! 助けて下さい!!」
いつなんどき、どんな時、神様という妄想が俺たち生き物を救ったのだろうか。そんなの知らない。人知れず助けているのかも知れない、それは今なのかも知れない。
でも、俺たち人間は、目に見える形あるものしか信じなくて見えないから、そんな事を知るということすら知らない。
逆に俺たちは虫けら程度の存在だ。ベッドに潜むダニ、それ以下の生き物。そんな奴らに一々目を向けるかと言われれば、どちらかと言えば排除するくらいの思想を持つが、今、俺の考えにそれを沿わせるのならばそれは違うと言える。
俺は愚かだ。
神様に願ったって、叶わないのは明白なんだから。縋ったって叶わない事を知っているのだから。
だからと言って、決して「ない」モノを乞う事を悪いと言っているわけじゃない。宗教という形も大切だ。
だけど、今。
無い物に心を売ったって、意味がないんだ。
自分でなんとかする以外何も起きないんだ。
最後まで人頼みというのは、本当に愚かなんだ。
「……なぁ、ゴブリン。お前は何の為にここに居るんだ」
ソレは爪を見せつける。鋭利で、銀色に鈍く色づく爪。短いか長いかで言えば短い、でも鋭利な爪。
「成る程、殺す為か」
そうか……。
「つまらん人生だな」
「ッ___ギャッシィャァアアア!!!」
俺は愚かに散るよりも、綺麗に散れて満足だ。すまん恵美、また後で会おう。この世界は終わりだ。先に死んどく。
最後に言いたい事を言って、俺はこのまま首を切られて死んでいく。嬲り殺されるより、怒りに身を任して一思いに死ねる事ほど良いことはない。
じゃあな、おかん、父さん。恵美。
「やぁああ!!!」
コツコツ
そう死を覚悟した時、そんな軽い音が近くで鳴り響く。静寂を阻害した唯一の音。
瞑った目を半目に、そして見開く。
「え、恵美……!?」
そこにはスローイングモーションを終えた恵美が立っていた。息を切らして、涙を流した恵美が。
そんな恵美にゴブリンは唸る。的中したのだろう。少しの礫が緑色の頭に残っていた。
「ギシャアア!」
「恵美、お前」
恵美は、更に手に持つ石を投げつける。一握り分だけだが10個くらい。大袈裟に投げ込み、身体に、頭に、口の中に、最後の物は目にぶつけた。
「グゥゥ……ガァー……___」
肩を震わせるゴブリンは小さく唸る。
ピクリと手が反応して指が動く。足の土は指の部分に集められる。再び閉じられた口は、裂けるくらいまで開かれる。
「ひっ……!」
恵美は悲鳴をあげる。
ゴブリンは苛立たしげに目を恵美に向ける。
「くそッ___!!」
何してんだ馬鹿野郎!!
「ギィシャァアアアアア___!!!」
ラグビー部舐めんな!!
俺は出来るだけ脚に入るよう、距離は近くであったが背を低くして、思いっきり突出する。
それはゴブリンが走りだそうとした瞬間と噛み合った。
それが功を奏し、そしてまた、ゴブリンの不幸である。
肩はゴブリンの膝後ろに入り、ゴブリンはゴブリンで、一瞬で肉薄するほどの速さの為に勢いのまま転んだ。鉈はカタンと音を鳴らして転がる。
「グラァシャアア!!!」
俺はこの隙を逃さない。
力の差があれど、人型であるゴブリン。人の形があれば何でもいい。自衛隊と、カポエラで昔習った行動封じ、見せてやる!
「恵美! 脚だ、脚をその鉈で切ってくれ! 一回じゃだめだ! 何回も!!」
「っ……っ、う、うん」
小刻みに震える恵美。
少し黒く色づいた迷彩ズボン。相当に怖かったのだろう。
手に持つ鉈もカタカタと震わしていた。
「ギャシャ! アギャァアア!」
「お前は狂犬かぁ!! 恵美! 早く!! 解ける!!」
思った以上だ、力が半端ない。
うつ伏せに倒しているから脚はバタバタと血を叩く。だから脚を先にやってもらう。
脚さえ両断出来れば、人型。あとは腕もか。、そこまでしたら簡単に死ぬ。
「い、いやぁ!!」
悲鳴じみた掛け声で一振り。
浅く刺さり、血がぶちゅっと湿った音を鳴らして跳ねる。
「あ、ぁあ」
怖い。それが顔を見なくとも伝わってくる。
ああ、分かるんだ。俺も、その気持ち。
生まれてこのかた、蚊すら気持ち悪くて殺した事がない俺だからな。殺せると思っても怖かった。
でも、怖いというよりもやってくれ。それだけ済めば___
「それだけ済めば俺がやってやるから、やってくれ!」
「……ぃ! ……ん! ぁあ……!」
バタバタと、乾いた音が地を叩く。
「ギシャアァアアアアア!!! アグァア!!」
「翔寺!! ど、どど、どうしたらいの! 後を任せたらいいの!!」
「馬鹿言うな! 見て分かれ!! もう一本だ!!」
すると恵美は黙って、黙りこくって何とも言えない音を鳴らす。
傍から見たらどうなのだろう。緑色で子供くらいの小さな生き物を、四肢から切って殺していると言う感じなのだろうか。
容易に想像できて仕方がない。
「ンギャァアア!!!」
「おわ、お、終わった、よ……」
確かにバタバタと明確な音は聞こえなくなった。太ももの部分だけが跳ねている。
「すまん! 後腕、腕を切れ!! 肘から下でいいから!!」
「う、嘘ぉ……い、いやぁ」
「やれ!!」
パワーハラスメントだなこりゃ、女性にここまでグロい事を強要するなんて。訴えられても仕方がないか。
それから、俺はひたすらにゴブリンを抑えつけた。ゴブリンの叫びと、恵美の嗚咽との両方をBGMに聴きながら、必死にゴブリンを抑えつけた。
そして丁度5分カップラーメンが沸く時間が経つと、恵美は尻餅を着いた。
「も、もうむ……」
「……よく頑張った」
出来たら嘔吐はもう少し我慢して欲しかったが。
だが、ここまでしてくれたんだ。これ以上強要することは無い。
「さぁ、ゴブリンさん。まさか、だな」
「ギィャシャァ……」
声の威勢は格段に落ちている。流れですぎた血のせいか。だが、もう切られた腕や脚からは血が出ていなかった。一度赤色に光り輝いてからだ。
あの時は焦ったが、傷を治すだけ……というのも凄い話だが、何もなくてよかった。
俺はゴブリンから腕と脚を話し、ゆっくりと見下す。
柄まで血だらけの鉈を持って。
「これで最後だな」
「ギャシャァアア!!!」
俺はゴブリンの首元に立つ。
青白い殺気の籠もった目は健在。だけど、睨みつけられるけれど、恐怖は少なかった。
「優位に立つ時ってこんなに気分が変わるのか。成る程な、分かったよ」
小刻みに震える手。
それでも怖いのは変わらないからな。
まぁでも、俺以上に頑張ったのは恵美だから俺は凄いなんて思わない。
「恵美、ありがとう」
「ギャシャ!!!」
そして___
「ゴブリン、さようなら」
数十回の叩きつけの後、鉈の刃は凹んだがゴブリンの首がそこに転がっていた。




