第87話:雷汞
「何をしていた?」
爆弾の入った菅の束を抱えながら、競華は仮面を脱いだペテン師を名乗る少女に問い掛ける。黒髪黒目で腰の丈まであるロングヘアの少女は、億劫そうに雷管を床に置いて答える。
「んー、ちょっと協力してもらおうかと思って。この1学期、何かと大変じゃないですか? 駒は多い方が良いかなって」
「身体能力を差し置けば、Sランクにもなれそうだから、天野川清明ぐらいは使えそうだから、か?」
「そんな所ですよ。あと、今日出しゃばったのは、いつか対峙するかもしれない北野根先輩への予習です」
「プロトタイプでもあの手の奴とは戦っただろう?」
「日本の天才レベルが、どの程度か知りたかったので」
「……私とかか?」
ご冗談を、とペテン師は苦笑した。
ペテン師の身体能力は小回りも利く競華に勝てず、まさに意表をつくペテンでしか勝てぬのだ。それを差し引いてもドローン複数台を使用されたり、サーモカメラを使われればなす術もない。そんな相手の程度を測ろうなど、身の程を知らぬというものだった。
「というか、気付いたんですね。殴ったフリ」
「見ればわかる」
競華は当たり前のようにそう言った。
一応、清明に対しても制裁のフリだけはしており、ドローンのカメラにも暴行を振るったように映されている。ペテン師の動きは完璧であったが、清明は彼女の動きに完璧に合わせられなかった。若干の違和感が競華の目に留まったのだ。
「……Aランクといっても、現代人は経験が浅いので使えませんね。プロトタイプでAランクを体験しておきながら……情けないです」
「あれでも全国区の天才だぞ? 我々が異常なだけだ」
「ん、私も含めてくださるので?」
「"神の右足"が何を言うか」
「ああ……その呼称、貴女も使うんですね……」
そう言ってペテン師は苦笑した。瑠璃奈を神と呼び、その手足となる4人の年の近い少年少女。それを神の手足になぞらえる言葉遊び。ペテン師にはそれがむず痒く、呼ばれるのが恥ずかしかった。
「……というか、何故に手足が3人も同じ街に居るんですか。頭は無人島に居るのに」
「そんなことを言っても、今回のプロトタイプが実用可能と判断されたから、さらに大人数を予定したVRを本気で実装するらしい。それに関しては私達は門外漢だから、遊んでていいのさ」
「……新しい才人を探してはいけないので?」
「構わんが、もう日本では厳しいぞ。 一応、私の管轄が日本学生の個人情報は全部見た」
「…………」
「アリスがこのあいだ関西で拾ってきた奴で、私達の組織に加わる学生は最後だ。あとは数年以内に晴子を加えるかどうか……」
晴子の名前に、ペテン師の眉がピクリと跳ねる。1つ上の先輩であり、天才の少女。
「……私、これからの事が凄く怖いんですけど」
「幸矢は立派な悪役を演じた。貴様にもできるさ」
「……泣きそうです」
「私の胸で泣くか?」
「お胸が小さいので結構です」
「殺すぞ」
そんな小言も言いながら、ほどなくして雷汞雷管を外す作業が終了する。時刻は3時を回り、化け物の住まう時刻となった。
集めた雷管は処理することも困難で、今は束ねて校庭の隅に置かれている。いま地震でもきたなら、新聞の一面に取り上げられるほどの爆発が起こることだろう。
「……これ、どーします?」
ペテン師は何気なく競華に尋ねた。競華は顎に手を当てて考えた。機械に燃料のついた爆弾なら、燃料と装置を切り離せば済む。しかし、雷汞のように単体で爆発するものは扱いに困った。空で爆発させるにしても、それはそれで通報があるだろう。それに、校庭で爆発させれば校舎の窓ガラスが割れるのは必至だった。
「……雷汞に含まれる水銀は単結合だから、水銀だけ取り出せば無害化できるんだがな」
「その水銀が有毒なんじゃないですか……。油に漬けると無力化できるとも聞いたことありますが……」
「……あまりやりたくないな。明日、たまたまこれを発見したフリをして北野根に言ってみる」
「ああ、化学の天才ですね。助かります」
丸投げではあるが、設備の面でも椛に頼んだ方が確実なので仕方なかった。2人は並んで学校を出ると、競華が話題を提供する。
「貴様も、明日からこの学校に入学か」
「ええ。何かと大変そうです」
「瑠璃奈から台本は貰ってるのだろう?」
「台本というほどのものじゃないでしょう、紙切れ1枚ですよ?」
「だろうな。奴は晴子のことも片手間で育てようとする。監視役も大変だ」
「貴方が充てがわれてるんだから、待遇は良いはずなんですけどね」
「……私は、たまたま近くに住んで居ただけさ」
競華の寂しい発言に、少女は唸りながら慰めの言葉を掛けた。
「うーん、それも運命じゃないですか? もしかしたら、天才の先祖同士、仲が良かったりして」
「それなら親同士の付き合いもあるだろう。そんなものはない。因果など信じぬ」
「ああ、自分の技術しか信じないんですよね。勿体無いですよ、他人も信じなきゃ。連携した方が強いのに」
「それは2ヶ月前に思い知ったさ。しかし、また瑛晴に勝てなかった。1対1で私を負かすんだ、まだまだ私も技術不足なのさ」
「……瑛晴先輩、異質ですからね」
京西高校の天才にして"神の右腕"、管道瑛晴の名が出る。現在は瑠璃奈の側に仕える彼に、競華はこの【留学】で挑戦し、戦って負けた。
上には上がいる、されど競華も16歳2位の実力を持っている。2番では満足できず、彼女はまだ上を目指すのだ。
「……で、貴様はどうするのだ? "神の右足"と呼ばれ、15歳1位の女よ」
「…………」
ペテン師は何も答えず、右手を振った。ドレスの裾から殺虫剤のスプレー缶が飛び出し、手に取ってじっと眺める。
「次亜塩素酸ナトリウム配合……この物質は、太陽の熱でも分解し、塩素酸ナトリウムになる。塩素酸ナトリウムは摩擦による爆発性があって、この殺虫剤を浴びた服を着て歩いてれば、勝手に爆死する……」
「洗えば問題ないがな。それで、何が言いたい?」
「……殺すかもしれません。この先、誰か――」
その少女の言葉に、競華は目を伏せる。
殺人というものは、いくら憎悪を抱いたりトリックを考えたとしても、実際には殺さないもの。ならば何故殺すか、それは衝動的な怒りである。
人と人が互いに憎み合い、殺しあうことも、これからはあるかもしれない。そう覚悟を決め、競華は暗闇に消え行くのだった。
◇
――早朝5時。
「…………?」
普段よりも早い時間に起床した僕は、体の重さに顔をしかめ、自分の体の上に乗るものを見た。それは紛れもなく僕の妹である美代であり、何故か寝巻きの代わりにゴシックドレスを着ている。夢遊病にでもかかったのだろうか?
頭の片隅でそう考えながら、ゆっくりと、美代を起こさないように動かし、僕はベッドを空けて代わりに義妹を寝かせる。今日はランニングがない代わりに、朝から学校に危険物が無いから確認する手筈になっていた。
手早く着替え、催涙スプレーや水、塩などを持って、音を立てぬよう静かに家を出た。
こんな早くから動いている電車にご苦労様と思いつつ、見慣れた駅に降りて学校へ向かう。6時前集合のはずで、僕はそれにギリギリ間に合う電車に乗ってきた。しかし、流石にこの時間に乗ってくる友人は他にいないようだった。
快晴が来るならこの時間だろうと踏んでいたが、昨日屋上に居なかったのだから、こうなるのも当然なのだろう。学校に着くと椛、アリス、そして競華の3人が悠然と校門の前で立っていた。
「……競華?」
「…………」
競華は眠たげな顔をし、目の下のクマも深かった。呼びつけた張本人が日和るわけにいかないようで、彼女は強気に言う。
「やっと来たか。それでは、手分けして探すとしよう」
そうして僕達は学校に何か細工されてないか探し始める。不使用のロッカー、下駄箱、掃除用具の中を確認したり、全体を見なくてはいけなくて、それが不可解だった。
競華なら、学校の監視カメラの映像を見るぐらいワケないはず。映像を見て、後輩たちがどこで何をしてたか見たら、確実だろう。なのにそれをしないということは、後輩たちは深夜の監視カメラを無効化していたのだ。
敵が賢いということが、味方からもわかる。何の仕掛けがあるのだろうか――。
そう思って探しても、何も見当たらない。競華の情報はガセで、僕達を呼び集めただけだったのだろうか?
そう疑心を持ち始めた頃に、競華から一斉メールが送られて来る。
〈校庭で爆弾を見つけた。全員来い〉
その一言を頼りに、僕は校庭へ向かう。
4人集まると、中心にある鉄パイプのような管の束を眺めていた。中に見える白っぽい粉末、見ただけじゃ何かわからない。なんだろう?
「……雷汞ね。よくこれだけ詰め込んだものだわ」
ポツリと、科学知識の豊富な椛が呟く。成る程、雷汞だったのか……。
僕が納得してる間に、彼女は一応説明した。
「雷汞――雷酸水銀というのは、幕末の銃器における火薬。トリガーを引いた衝撃で雷汞は爆発し、銃弾が飛び出す。用途から察せると思うけど、ショックによって爆発するわ」
1575年、長篠の戦いで大活躍した火縄銃は雨が弱点だった。雨に濡れれば、火薬を爆発させて弾丸を飛ばすことが難しい。その後継として出て来た火薬こそが雷汞であり、金属円盤に雷汞を少量込めておくことによって、濡れても銃が撃てるようになる。
雷管の処理は、燃やすことだと記憶しているが――。
「理想郷チームのお二方、これ処理できる?」
「できなくはありませんけれど、騒ぎになりますわね。この量ですと、空襲の爆弾レベルかしら? 良い目覚ましになりそうですわ」
「私は無理だ。水銀を取り出す技術はない」
「そう」
椛は2人が無理だと知るや、僕に不敵な笑みを向ける。"貴方は?" そう言ってる気がして、僕にもできないから首を横に振った。椛は満足げに笑い、こう告げる。
「私は家に帰って必要な物を取って来るから、貴方達はそれを理科室に運んで置いて頂戴な」
椛はそう言うと、くるりと回って校門の方へと歩いて行った。今この場で最も発言力の高いのは彼女で、こんな機会もあるんだなと、悔しそうな顔を必死に隠す競華を見ていた。
人は適材適所だし、専門家は1つの専門家でしかない。だからこれは仕方ないのだけれど、その悔しさは少しわかるから、僕は何も言わず、過ぎ行く椛の背中を見ていることにした。
 




