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-COStMOSt- 世界変革の物語  作者: 川島 晴斗
第2章:万華鏡
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intermission-8:愛

愛について書きました。

 その日――黒瀬瑠璃奈は眠たい頭を起こして立ち上がり、虚構に満ちた町を晴子と歩きながら、こんなことを呟いた。


「エーリッヒ・フロムは言いました。"愛は能動的なもので、受動的なものではない。愛は与える事であり、貰うことではない"」


 パーカーのポケットに両手を突っ込んだままそう言うと、斜め上にある晴子さんの顔を見て、また口を開く。


「説明してください」


 たった一言、命令口調の言葉で言った。

 それはわざと尊大な態度を取っているからで、今、彼女は晴子のことを試していた。聖徳者だというのなら、この程度のことは理解しているのだろう、と。

 そして、晴子も答える。


「愛というものは、待っているだけでは貰えないということさ。絶望した者は言う。"いつか誰かが救いの手を差し伸べてくれる"、と。しかし、それはほんの一握りの場合に過ぎない。愛というものは基本的に、与える人が"その人のためになった、だから満足だ"と言えること。だから、愛は能動的なのさ」


「では、受動的なものは愛ではないと?」


「そうではないね。受けることで愛が発生しないなら、人は啓蒙(けいもう)なんてしなかっただろう。愛を与えられる――つまりは、満足感を得させてもらったり、欲望を満たしてもらったら、何かのカタチで返したくなるというもの。"お返し"という精神も、相手のためにしてあげるという能動活動である。受動から能動へ……愛は性質も変化させるのさ」


「納得しました。ありがとうございます」


 眠たそうな目を閉じ、まっすぐな道を歩いていく。

 投げ出した問いに対して正当に答えた晴子に、瑠璃奈は満足したのだ。晴子はそんな嬉しさも表情に出さない瑠璃奈の横を、何も言わず付き添った。


「……では、晴子さん。愛とは行動だけですか?」


 新たな疑問をぶっきら棒に投げかけた。晴子は特に驚くことなく、ワンテンポ置いてから答える。


「能動だけでは、説明しきれないね。キミがフロムの話を出したから、私も例えを出そうか」


 晴子は右手の人差し指をピンッと立て、有名なものの名を口にした。


「聖書の中にある、コリントの信徒への手紙 第13章4節から7節……そこに愛の定義が書かれている。


 愛は忍耐強く、情け深く、ねたまず、自慢せず、高ぶらない。全てを信じ、全てを忍び、全てを望み、全てを耐える。


 ははは、これほどまでに愛にとって忍耐が重要だと知らしめる言葉があるかね?」


「"ステゲイ"ですか」


「よく知ってるね。キミは信徒なのかい?」


「そうであったら、もう少し人生が楽しかったかもしれませんね。生憎(あいにく)、神よりも世界に命を捧げますので」


 皮肉げな言葉を吐き散らし、2人は歩き続ける。

 ステゲイとは、忍耐の語源であり、対象となる悪い人が、良い人になるのを信じて待ち、耐えるという意味を持っていた。

 瑠璃奈がその言葉を知っていたから、前問答は不要とばかりに晴子は語る。


「忍耐は、忍んで耐えること。


 忍ぶ――つまり、身を隠したり、真意を伝えなかったりすること。


 耐える――これは説明のしようがないね。どれほど傷つけられても堪えるという意味、かな。


 その2つの性質を持っているのがステゲイというわけだね」


「やられてもやり返さず、一方的に何かされても我慢すると? そんな、殺されても文句を言わなそうな人間、人間らしくないですね」


「それが100%できる人間なんて滅多にいないのは、私だってわかっているさ。人間は感情があるのだから、愛以外にも嬉しいとか悲しいとか思うし、文句の1つは言うだろう」


「しかし、ここで言いたいのは……そんなことじゃないのでしょう?」


「キミが話を逸らしたんじゃないか」


「そうですね、失礼しました」


 口先だけの謝罪だったが、晴子はため息も吐かず、そんな瑠璃奈も可愛いなどと思いながら、コリントの信徒への手紙を口にした理由を告げる。


「愛が能動的と言うのなら、忍耐という受け身な活動を愛というのは不可解さ。愛は能動的でも受動的でもある」


「だとするなら、貴方はどんな愛を与えてるのですか? 受動的? 能動的?」


「どちらでもあるね」


 晴子は少し考えてから、まとまった考えをそのまま口にする。


「私は自分の知識と知恵を使って人の上に立ち、他の人の役に立つために尽くしている。勉強を見たり相談に乗ったり、部活を手伝ったりもしたね。それは能動的な愛と言えるだろう。対して、幸矢くんを例に出すが、私は彼が明るい性格に戻れるように思考錯誤して根回しをした。根回し自体は能動的と言えるかもしれないが、彼が元に戻るのをずっと待っているのは、受動的と言えないかい?」


「……まぁそうなりますか。貴方のステゲイは、貴女自身が傷つくことなく成せたのですね」


「幸矢くんが昔のように戻るにしろ、戻らないにしろ、私が傷つかないのはそうだね」


 晴子は満足そうにその言葉を肯定する。それは幸矢が晴子を嫌うことがないから言えることであり、絶対的な信頼があったからこそ喜べた。

 瑠璃奈はぶっきらぼうに次の質問を尋ねる。


「……では、人間以外ではどうでしょうか? 例えば自然、動物なんかはよく愛されるでしょう?」


「それらの場合は、我々が無意識に何かを与えられているから愛するのだよ。動物の場合は愛着や、視覚的欲求が満たされるから。自然の場合は風景を見て感動したり、木々のざわめきが優しいと感じたり、ね。与えられるから"お返し"をする、とても人間的ではないか」


「我々は感覚的に与えられていたのですね」


「そういうことさ。しかし、害を与えてくるもの……例えば、花粉とか蜂なんかは、愛せない人が多いと思う。自然や動物でも、我々に害を加えるものは愛さないし、蚊とか蜂は殺すだろう? 愛する対象は、我々の知覚が判断する」


「そんなの、気分次第というのと変わらないじゃないですか」


「んー、どちらかといえば精神の問題さ。感性を作るのは経験によって鍛えられた精神だからね。しかし、その人の精神がどうであれ、人は愛か害しか受け止められない、難儀な生き物なのさ」


「ほう……」


「中間にあるとすれば、それは無関心だからなぁ。三択のうち、良いものは愛しかない。無論、もっと細かく分けることもできるし、害から何かを学んで愛に変換することもできる。考え方1つ、とは言わないけど、工夫次第で全て愛にできるかもね」


 カラカラと笑う晴子を、瑠璃奈はぼんやりと眺めていた。この少女は矢張り、道徳については人並み外れた才覚があると感じたからである。全て愛にできる、


(貴女はそう思って生きてきたのでしょう――)


 瑠璃奈はそう考えられずにはいられなかった。晴子が椛をビルの屋上で震え上がらせた話は、瑠璃奈も耳にしている。晴子からすればちょっとした脅しだったのだろうけど、椛にとっては恐怖以外の何物でもなかった。


 それでも、晴子は当たり前に友人のような態度で椛に絡むし、椛に対して悪い印象なんて全くないのだ。それに、椛とのコミュニケーションも、取れなくはない。距離感はしっかりと測っている。


 アイツは危険だから、話もしたくない――なんていうのは簡単なこと。しかし、それでは寂しいから、同族嫌悪なんて馬鹿馬鹿しいから、優しくない自分が嫌だから、人のためになりたいから――


 色々な考え方で、仲良くなろうとすることはできる。それだけでも立派な愛であり、万人に仲良くなりたいと思えるなら、それこそ聖人君子と言えるはずだ。


(――そんな貴女だからこそ、私は選んだのですがね。私が居なくなってもこの世界、貴女が良い方向に変えてくださいな)


 瑠璃奈は目を瞑ってそう祈ると、ゆっくりと目を開く。道は果てしなく続き、どこまでも歩いて行けそうだった。

 でも、瑠璃奈は途中で立ち止まる。釣られて晴子も立ち止まり、振り返った。


 瑠璃奈は、睨みにも似た強い視線で晴子を見る。その真剣な様相に、晴子も目を丸くした。瑠璃奈の次の言葉に覚悟をし、向き直る。

 そして瑠璃奈は、今考えていることを告げた。


「貴女は何故、愛を知っているのに恋をするのですか。恋をしてから愛の知識を得たはずです(※1)。貴女の恋は、とっくに終わっているはずなのです」


「……また、その話かい」


「当然ですよ。私は、その一点においてだけ、貴女のことを認められない。貴女達は実にくだらないことをしています。恋をして、あなた方が幸せであることに一体なんの意味があり、貴女が死んだ時に何が残るのですか」


「厳しいご指摘だね。しかし、こればっかりは仕方ないだろう。私はね、本来、幸矢くんに釣り合う女になるために賢くなったのだ。ここまで成長できたのも彼のおかげだと思っているし――」


「努力したのは貴女です。過去の僅少なことをいつまで引きずっているのですか」


「…………」


 言葉を遮ってまで事実を突きつけられ、晴子は静かに肩を落とす。確かに、小学2年生の頃の話なんて遠い昔の話をし続けるのは、無いものを有ると言い続けるのに等しい。

 しかしそれでも、晴子はこれだけは譲れないから、言い返す。


「確かに、過去の事はそうかもしれない。だけど――高校時代も、彼にはたくさん助けられた。助け合って、私に優しくて……そんな愛をくれるから、好きになってしまうんだよ」


「常に愛を受けていたから、ですか?」


「常に、だね。たくさん我儘に答えてもらった。彼は、嫌そうな顔をしても、断った事はなかったし、何があっても私を信じてくれた。もはや共依存だね。彼だって、私なしでは生きられないだろう? もはや恋という言葉だけでは測れまいよ」


「…………」


「聖徳太子だって4人の妻を(めと)っていたんだ。私にだって1人ぐらい、大切な恋人がいたっていいじゃないか。……手放すつもりはないけどね」


 笑顔で晴子がそう言うと、瑠璃奈は大きくため息を吐いた。彼女の心は変えることができず、結局は惚気話を聞かされただけだった。


「それで業務に支障がなければ、何も言いませんけどね……高3の頃みたいにならないでくださいよ?」

「どうだかね。女心は秋の空というし、どうなるかはわからぬよ」

「はぁあ……先が思いやられます」


 瑠璃奈の大きなため息も、晴子が笑い飛ばす。

 そんな中、瑠璃奈は晴子のことを、矢張り太陽みたいだと内心賞賛するのだった。




 ※1:一般論では、愛は恋の先にある。

 それは、恋という過程を超えて家族になるために必要な愛情を育み、結婚して育児に勤しむからである。夫婦間で晴子の言う"愛"を与え合うことにより、生涯必要な"愛(信頼、絆)"を培うのだ。


 晴子は恋をし、小中学校で既にお互いを深く知り合い、だからこそ勉学に励んだ。そして、世界を愛するほどの成人へと変貌した。1人への愛が自分を大きく成長させたとしても、それは自分の糧となっただけでこれからはもう必要ないのでは?と瑠璃奈は問いたかった。

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