第78話:バレンタインデー③
その日は喫茶店を出て椛と別れた。考え事が増えたようで、家で考えるそうだ。僕は残った半日を家での勉強に充て、日曜日もパソコンで演習サイトを漁って過ごし、月曜日。
アリスはまだオママゴトを続けていた。高い声を出し、制服も着崩して快晴と仲良くしている。
椛も相変わらずだった。答えが出なかったのだろう。急ぐものでもないし、ゆっくり考えるといいって伝えておいた。
そして、2月14日の火曜日。
登校時、僕の下駄箱には画鋲が入っていた。元は嫌われ者だったし、未だにこういう事は多々ある。先週1回犯人を突き止めたけど、懲りないらしい。
それはそれだし、別に下駄箱の中にチョコがあるとか期待したわけじゃない。僕は画鋲を取っ払って下駄箱の上に積むと、上履きを履いて1-1に向かった。
教室には、いつも通り晴子さんが居た。一緒に登校しなかったし、先にいるのはわかっていた。だけれど、普段とは違って相談事を受けていた。
彼女の目の前にはクラスメイトの女子が2人、椅子を持ってきて座っていた。
「…………」
僕が無言で教室に入ると、会話が止む。無理もない、僕なんかに、しかも男に聞かせる話じゃないんだろう。気まずいのもなんだから、晴子さんに声を掛けてみた。
「おはよう、晴子さん……。また相談に乗ってるの?」
「おはよう、幸矢くん。まぁね。今日はそういう日だから、キミは後ろで大人しくしてて欲しい。良いかな?」
「ああ……ヘッドホン付けながら、勉強でもしてるよ」
それだけ言って、僕は後ろにある自分の席に座り、言った通りヘッドホンを付けて勉強を始める。聞かれたくない事は聞かない、それぐらいの気さくさはある。
話も聞かず、久し振りに世界史の勉強をしていると、ポツポツと教室に人が見えて、知人らしき人が僕の肩を細い指で叩く。
顔を上げると、椛がスクールバッグを脇に抱えて、残念そうな顔をして立っていた。朝からテンションが低いらしいけど、どうしたのだろう。僕はヘッドホンを外し、挨拶から話し出す。
「……おはよう。どうしたのさ?」
「……貴方にチョコを作るかどうか悩んで、寝不足なのよ」
「……それ、僕のせいじゃないよね?」
「ええ。私がバカなだけよ。何やってるのかしらね」
椛は机にスクールバッグをドスンと下ろし、ゆっくりと椅子に座る。動作がぎこちなく、顔色も悪いから疲れを感じさせた。
「……大丈夫?」
「死にはしないわ。ちょっと寝不足なだけよ。……あと、一応チョコ買ってきたから、貰いなさいな」
「…………」
やつれるほど考えて、結局買った物で済ませたらしい。時計買ってくれたんだし、それだけで十分なのに……。
「申し訳ないけど、時間がなかったからコンビニで買ったやつになったわ。意味とか篭ってなくて悪いわね」
「貰えるだけありがたいよ……。時計もそうだけど、ありがとう」
コンビニで140円で売ってるチョコレートを、腕時計を付けた左手で受け取った。椛はそれっきり机に突っ伏して動かなくなり、僕はまたヘッドホンをつけて勉強を再開した。
こんな日もある。
そう思いながら、午前の授業に取り組むのだった。
◇
今更ながら、僕は普段からよく間食を摂っている。
学校では自分のキャラを崩さないために食べないが、家では夕食後によく食べていた。今日はたまたま椛が朝から渡してきたから、授業の合間に食べた。そのせいか、お昼はそんなにお腹がすかず、お弁当箱が8割片付いたところで箸を止めていた。
「…………」
「意外と少食なのね。見た目の割には筋肉質なのに」
箸を持ったまま動かぬ僕に不確かな目を向けてくる。食べれなくはないけどキツい、なんてことはよくあること。ゆっくり食べることで解決できる。
ともあれ、情けない姿を見られてるのは自覚しなきゃいけない。反省しよう。
「……あらら? 幸矢様、食べきれないので?」
そこにひょっこり現れる人影。金髪のサイドテールの少女、アリスだった。クラスを4つも跨いでここまで来たらしい。
「……何の用さ?」
「つれないですわね。本日はバレンタインデーと言いますから、折角チョコを作って来たと言いますのに」
アリスはその手に円形の箱を持って右左と揺らす。ふむ……。
「……何か仕込んでないだろうね?」
「まさか。タウリンを5000mg含有してるだけですわ。瑠璃奈様の親族に非礼はできませぬ」
「……非礼、かな?」
タウリンは、人体に必要なアミノ酸の一種だとかそうでないとか、肝機能を良くするとか、そういう物質だ。混入するのは勝手だけど、なんでそんなタウリンなんて……。
「君、僕の事をなんだと思ってるのさ……?」
「幸矢様は幸矢様ですわ。普段元気が無いご様子なので、活力を賜わえればと考えまして」
「……結構だよ。僕は元気さ」
「とてもそうは見えないのに、健気ですわ……。まぁまぁ、一年に一度の女の子からのプレゼントなのです。受け取ってくださいまし」
「…………」
ひょいっと渡される箱を、僕は渋々受け取った。食べなきゃダメなんだろうか、タウリンチョコ。とりあえず机の端に置いておこう。
チョコだけ渡すと、アリスは次に晴子さんの所へ行った。彼女にも女子同士で渡す"友チョコ"の概念があるらしい。
「……椛はあげないの? 女の子にチョコ」
「女友達なんて居ないわよ。私には貴方しかいないもの」
「……そうかい」
無理して友達を作っているアリスとは違い、孤立無援とまでは言わないまでも、人と関わらない椛は他に何も用意してないようだった。人と分かり合えないのもわかるし、それ以上言及しなかった。
一口、弁当を摘んで口に含む。咀嚼しながら窓の外を眺める。バレンタインも女性陣が暴れることなく終わりそうだ。今日も平和で、しかと平穏をかみしめるのだった。
◇
放課後――
「幸矢くん、今日は一緒に帰らないかい? 椛くんも」
帰りの挨拶が済むや否や、晴子さんが飛んできた。君と帰りたがる男子が多いだろうに、そんな目立つことはやめて欲しいんだけど。だから椛の名も呼んだんだろうが……。
「……僕は構わないけど」
「私は一緒で良いのかしら?」
「その方が都合が良いさ。私は快晴くんを呼んでくるよ。君達は生徒会室に来てくれ給え。大至急だ!」
『…………』
晴子さんは颯爽と廊下に消え去り、僕等は呆然と立ち尽くす。平和に終わると思っていたのに、君が何かするのか。
しかしまぁ、悪いことではないはずだ。また君の茶番に付き合うとしよう。僕は椛に手で合図を出し、2人で生徒会室へと向かって行った。
全ての授業が終わるも、2月14日はまだ9時間も残っている。何もないといいのだが……。




