第77話:恋
お昼になって、僕達はお洒落なカフェで高くて量の少ない昼食を取った。椛が知ってた店らしいけれど、草花が飾られた店に来るようには見えないから意外だった。調べたんだろうけど、それでも意外だ。
食後にお互いコーヒーを注文し、まったりしながらいつもの昼休みみたいに話す。
「男の人に聞くものじゃないと思うけど、聞いて良いかしら?」
「今更気を使われると、かえって気持ち悪いんだけど……?」
「そう言わないで欲しいわ。私だって女の子なのよ?」
「……質問内容がわからないからどうも言えないな。何さ、聞くことって?」
僕の方から改めて尋ねると、椛は僕のことを見て、それから腕を組んだり、頬杖をついたり、テーブルをトントンと叩いたりしながら、やっと言葉を口にした。
「……恋ってなんだと思う?」
それを僕に聞くのか。
二重の意味で。
椛は言葉を切り出して、そのまま語り出す。
「私、好きな人がいるのよ……。普段の私なら、その人の事を支配して全てを私のものにしようとした。でも、私じゃ敵わないから……思い通りにできやしない」
「……思い通りにできなくて、君はどうしたの?」
「仕方ないから、私らしさを捨てて"オンナノコ"を振舞ってみた。でも、振舞うつもりのそれは演技じゃなくなって、今じゃ気を抜くと胸が熱くなって、自分でも抑えきれないのよ……」
「…………」
それを本人に相談するのもどうなのだろう。僕にどうにかして欲しいなら、僕は椛から距離を取るだろう。
僕は晴子さんが好きだし、彼女の気持ちに答える気はない。一度忠誠を誓った騎士が、寝返るなどあり得ないのだから。
最近おとなしかったのは、普通の女子らしく振舞っていたらしい。あまり普段と変わらないけれど、アリスに隠れて変化を見逃してただけなんだろうか。
まぁでも――僕の渡したイヤリングは、僕の前ではいつも着けていた。
今だってそうだ。いつも着けてくれるということは、彼女も立派な女の子だろう。
それだけ好かれてるのがわかっていても、振り向けない。だから、抑えられないと言うなら抑えることに僕の頭を使おう。
「……その好きな人と、君はどうなりたいのさ?」
「わからないわ……。一応、初恋なのよ……。付き合うとか、将来添い遂げるとか、考えはしても、そんなの上手くいくのかとか……色々考えちゃうわ」
「でも、少なくとも今は好きなんだろう? 今は、一緒に居たいんじゃないのかい……?」
「……ええ。そうね」
椛は顔を伏せながら話す。声には力もなく、目の前にいるのはただの乙女だった。
晴子さんをあんな聖徳王みたいにしたのも恋だし、恋って本当に変なエネルギーを持ってるな……。
「一緒に居たいなら、普通の女子らしく振舞って近付こうとして……。それが、何か問題なのか?」
「……。全然なびかないのよ。その彼が、私に」
「…………」
僕は腕を組み、考え込む。
僕は人に笑顔を向けないし、誰にでもこんな態度だ。嫌いな家族にも、好きな晴子さんにも、幼馴染の快晴にも……。強いて言えば、快晴には肉体的にダメージを与えることがあるけど、それぐらいしか差がない。
思えば変な話だ。僕は晴子さんが好きなのに、あまりそう意識することはない。彼女の顔を見て赤くなることは滅多にないし、普通に話しかける。それに対して晴子さんは、僕を見て赤くなることも多いし、少し褒めるとたじたじになるから……。
……。
僕自身、恋についてよくわかってないらしい。これじゃあ僕を遠ざけるような意見を言えるか怪しいな。
とりあえず、会話を続けよう。
「なびかないのは、その人自身、恋愛というものをわかってないんじゃない……? 少なくとも僕は君の事を可愛いと思うし、人を見下したり襲ったりしなければ、とても素敵な女性だと思う……」
「……なら、貴方は私と付き合いたいと思う?」
「……。そうだな……」
顎に手を当てて考える。
普通に考えれば、交際経験のない根暗男が美少女に言い寄られて付き合わない方が難しい。警察に捕まらない方がおかしい人だけど、捕まってないし、処女性もあって――決して悪い話じゃない。
でも、好きな人が居るから。
その一言で拒絶できてしまう。
でもそんな事は言えないから、言い訳を考えてしまうんだ。
「……僕は、自分から好きになった人に、僕が告白して付き合いたい。だから別に、人がどう思ってくれてるかは関係ないよ……」
「告白されても、拒絶するわけね?」
「どうだかね……。まぁ、今までは拒絶してきたよ……」
「あら、貴方でも告白されるの?」
「……小中学時代は、ね」
友好関係のあった時代は、人から好かれることがあった。特に小学生の頃は、僕も快晴ぐらい明るかったし、リーダー的役割だったから、それなりには。
中学でもクールでカッコいいとか、そんな事を言われたし、告白もされた。人からほっとかれたくてこんな性格になったのに、困る……。
「意外ね。今みたいに女の子と2人でカフェとか行ってたの?」
「……基本的には、今のメンツとしか休日に遊んだりしなかったよ。晴子さんや競華と2人でこうして話す事はあったけど……他の女子とは、2、3回ぐらいかな……?」
「結構遊んでるのね、幸矢くん」
「そんなつもりはないんだけど……」
侮蔑の眼差しが僕に向けられる。今日は椛に非難されるのは初めてだった。しかし、さりげなく恋心を削っていくのがいい。この調子でやっていこう。
「貴方、それって要はデートじゃない。女の子を取っ替え引っ替え……」
「……僕を軽視するのは勝手だけど、君自身の評価も落ちるのを忘れないようにね。適当な事を言って、信頼を損なうなよ」
「……。わかってるわよ」
椛は頬杖をついてそっぽを向いてしまう。嫉妬心で思ったことが口に出てしまう、君の理性はその程度じゃないだろう。もし本当にその程度なら、注意しなくちゃいけない。僕の心が知られた時、何をするかわからないのだから。
一応、弁解しておこう。
「僕は、自分の事を高貴だと思ってる。簡単に人に抱きつかれたり、キスをしたり……そんな事を、誰彼構わずしたりしないさ」
「……わかってるって。悪かったわ」
「ならいいけど……」
僕への認識は改められたようだ。そもそもファーストキスでさえまだなのに、女性に手を出したりしない。
抱きつかれる事は何度かあったけれど……妹とか、晴子さんから、昔は日常的にされたから、あんまり気にならない。本当、そんな僕にとっての恋ってなんなのだろう。
「……芥川龍之介は、恋とは性欲の詩的表現だと遺している」
「あら、急に文学者になったわね」
「話を戻したいんだよ……。僕も、恋がなんなのかわからないから……」
僕の提案に彼女も乗り、1つ頷いてからかの名言に言及する。
「恋は、基本的に男女間で生じるものよ。性欲が絡まない事はない……。けど、詩的表現って何かしら?」
「物語があるんだろう。運命的な出会い……苦難を乗り越えて、結婚して、幸せになる……。そんなストーリーを誰もが立てるから、恋に恋をする。恋愛は、恋に恋するから起こるんだろうね……」
「恋に恋しなかったら?」
「……。その人の能力が好きなだけか、ただの性欲なんだろう……」
僕は一杯コーヒーを啜り、一息つく。人間は未来が簡単に予測できてしまうから、その瞬間のその人を好きになるんじゃなくて、その人と結婚してる自分を予測して好きになったりする。
だけど、高校生の場合はそうじゃない。
「高校生は、あらかじめ植え付けされた青春とかいう言葉に恋をする。恋に恋するんじゃない……言葉に恋をするんだ……」
「……。なるほどね。結局の所、社会が私達の"恋"を作ってるのね」
「……考えながら喋ってるだけだから、これが答えかはわからないけど、そうだと思うよ……」
「"場"が作る力」という概念がある。
例えば、とても賑やかで気さくな人間が居たとする。その人は静かな空間だと、途端に静かになる。
しかし、賑やかな空間でははしゃぐのだ。
これは簡単な話、雰囲気に支配されるという事。
恋は、社会が我々に青春とか、ラブストーリーを提供するからこそ、自分にとって都合のいい舞台役者、恋人となる演劇者を見つけて恋をする。
共演者を見つけた時、既に僕等は舞台の上に立っているのだろう。舞台の上に立って、自分を物語の中の人間のように錯覚して、好きになる。
言うなれば、恋なんてただのオママゴトかもしれない。
一度舞台から降りる、オママゴトから抜けたりすると、ただの仲のいい人間になるのだろう。
場の力が抜けるのだから。
「恋した人となら青春できるから――恋人に対してそんな固定観念が取り払われれば、恋は終わるんだろうね」
「悲しい物言いね。青春、遠恋や同棲、結婚、家族化……同じステージに立ち続ければ、恋は終わらないんじゃなくって?」
「ああ……だから、同じステージに立ち続ける努力をしなければいけない。それに、その人と人間性を合わせながら生きて……そこには努力がつきまとう。自然なままで恋人であり続けるのは、なかなか難しいと思うよ……。だから、君がその好きな人と今後どうしたいのか、やっぱり自分で考えるしかないかもね」
「…………」
話は振り出しに戻ってしまった。結局、好きな人ができても、それからどうするかが問題なのだろう。晴子さんはそれでもう10年、僕とのオママゴトを続けている。
お互いに好き。それをわかっているからって、どうするのかは人の心1つなのだろう。
晴子さんは、ずっと選択を未来に預けている。
椛は、どうするのだろう――?




