第76話:バレンタインデー②
アリスが快晴に膝を屈するのを目の当たりにした金曜日が終わり、2月11日の土曜日が始まった。アリスが今後どうするのか知らないけど、暴れなければなんでも良かった。
そして今日は、もう1人の要注意人物を牽制するために、一緒に出掛ける事になっている。
美代の居なくなった家は少し寂しく、義母と父さんがたわいもない会話をして、僕は静かに同席して朝食を食べた。両親とでさえ、僕は最低限のことしか話さない。インスタントな関係で十分生きていけた。
食器も洗って外出用の服に着替え、僕はトートバッグを左肩にぶら下げて外に出る。まだまだ外は寒く、上着は分厚いものになった。
待ち合わせの井之川まで人気のない電車で揺られ、ゆっくりとホームを出る。スーパーと一体になったこの駅は階段が長く、3階分を下った。
見覚えのある後ろ姿があった。
長い黒髪とその身長から誰だかわかってしまう。白いコートを着て、寒いのに素足を晒していた。その人らしくない格好に、僕の足はゆっくりになる。
「……寒さの凌げない効率の悪い服装なんて、君らしくないね」
そう言って欲しそうな服装の少女は、僕の声で振り向いた。いつもより大粒に見える黒い瞳、赤みのある口元。されど、顔を見間違えることはない、いつも昼休みを過ごす友人、なのだから。
「……幸矢くん。遅かったわね」
「……まだ20分前だろう?」
「女の子との待ち合わせには、30分前に来るのが礼儀じゃない?」
「はぁ……」
よく知らないが、そういうものなんだろうか。今度から晴子さんに会うときも試すとしよう。
それにしても、服装のことで話かけたのに話題を変えるなんて、聞かれたくなかったんだろうか。ならば追求もしないし、今の話題のままで話そう。
「……待った?」
「少しね。でも、約束の時間通りに来ない私が悪いのよ。時間管理しなくちゃいけないのに、どうも落ち着かなくてね……」
「……深くは聞かないでおくよ」
僕のその言葉で、何故か椛は顔を赤らめて視線を下に逸らしてしまう。……何か変な事言っただろうか?
ああ、今日は実質デートだもんな……だから落ち着かなくてってことか。それを悟ったかのように「深くは聞かない」なんて言ったからか……。
何も悟ってなかったけど、わかるとこそばゆい感じになる。
椛だって、普通にしていれば可愛いんだ。普通の少女のような態度を取られると心にくるものがある。
しかしそれを抑え、あくまでも冷静に話題を変えた。
「それで、今日はどこに行くのさ……?」
首を傾げて尋ねると、椛はワンテンポ置いてから顔を上げ、行き先を告げる。
「隣町のデパートよ。本当はもっと華やかな所に行きたいけれど、貴方には似つかわしくないわ」
「……失礼だね」
「事実でしょうに」
確かに事実でも、直接言うのはどうだろう。自分でも思う点、言い返せないのだが。
僕が凄みを効かせて椛を見ていると、彼女は気まずくなったのか、僕の横を歩いてこう言った。
「早く行きましょう。時間が勿体無いわ」
「……ああ、そう」
足早に階段を登る椛のスカートが揺れるが、その中は見ないことにしよう。億劫そうに溜息を吐いて、僕は下を向きながら彼女を追うのだった。
◇
椛の向かった先は1階から8階までビルの殆どを占有した、店の名前にはカメラ屋を名乗っているのに電化製品全般を売っているデパートみたいな場所だった。
何を買うのかは知らないけれど、僕はただ付いていく。
「……何か欲しいの?」
「そうね、タブレットとICレコーダーかしら。精密機器って、企業に依頼する以外は現物見てないと信用できないのよね」
「……へぇ」
それは健気な心構えだ。何か細工が施されていて、情報が漏洩しても困るしね。
僕等はタブレットコーナーとAV機器コーナーを回り、椛が吟味した高性能のタブレットPCとICレコーダーを購入した。
(僕が来る必要ないよな……)
買い物にも大して口を出さず、殆ど見守るだけの僕はそう思うのだった。しかし、椛は1人で勝手に歩き出し、僕はその後を追う。エスカレーターを登り、行き着いた先は日用家電コーナーを抜けた先の腕時計の売られた場所だった。
そして、先日のことを思い出す。左腕をベタベタ触られたな、と。ふむ……?
「……幸矢くん、もう気付いてるわよね?」
「……なんとなく、だけどね」
「そ。なら、何がいいか選んでくれる? バレンタインのプレゼントよ」
「…………」
なんとなくしかわからなかったが、バレンタインと聞いて腑に落ちる。もう2月11日だし、そういう時期なのはわかっていた。今年も晴子さんから何か貰うのか、ぐらいにしか思ってなかったけど、こんな形でプレゼントを貰うとはね……。
「……なんで、時計なのさ?」
「別に、なんでもよかったのよ? 甘い物好きだからチョコがいいと思ったけど、私からだと素直にもらわないでしょうし、食べ物以外をね。でも幸矢くん、必要なものは何でも持ってるでしょう? 腕時計も、普段つけてないだけで家にあると思うわ。だけど、予備があって困らないものなら、良いかなって思ったの」
「…………」
チョコを渡さないというのは、僕にとっては嬉しい選択だった。2月14日は受け取らざるを得ないから。
椛の言う通り、家に腕時計はある。数年前に父が買ってくれたブランドものだけど、高いものを付けてたら変なのに目を付けられるし、時計なんてそこらにある時代だし、寄り道も殆どしないからなくても困らなくて、付けないのだった。
ここに売られているのは安くて5000円台、高くて20万円を超える。付けるなら安いもので良かった。
「じゃ、選んで」
投げやりに椛はそう言って、僕の後ろに立った。……買ってくれるのは構わないけれど、ホワイトデーに何を返したものか。
今は先のことを考えず、とにかく選ぼう。ショーケースを眺めて回り、その後に椛が付いてくる。僕のイメージとしては青かシンプルな銀色、黒が似合うのだろう。時計回りの円縁が青く、日付も表示される物に目がいく。しかもクロノグラフ(ストップウォッチ機能)付きだった。買うなら多機能が好ましい。録音ができれば尚良いけど椛に高い貸しを作るわけにもいかないから……とは言え、あからさまに時計だけの物を買うと遠慮してるのがバレる。
今一度、僕は横目で椛の顔を見た。彼女は僕の顔を見つめて、何を選ぶのかドキドキしながら見守っているようで、そんな顔が近くにあると選び難かった。
そもそも、女が男に腕時計をプレゼントするのは「貴方を束縛したい」という意味がある。素直に選んで良いものか……。
いや、それなら意趣返しをしよう。意味には意味で。
そう考えて僕は、時計を決めた。
「これにするよ……」
「……あら」
僕が指差した腕時計を見て、椛は声を上げる。指差す先にあるのはシルバーの腕時計、しかし5分おきに緑色の宝石が埋め込まれていた。
宝石の名前はペリドット。橄欖石とも呼ばれるこの石の別名、顔を見るに椛は知らないようだ。
「綺麗な時計ね。何故それを?」
「……ペリドットは、"太陽の石"とも呼ばれる。根暗な僕が少しでも明るくなれるように、おまじないにでもあやかろうと思ってね……」
「あら、いつも晴子さんや快晴くんが近くにいるでしょう? 日差しなら足りてるんじゃなくて?」
「……君からのプレゼントだし、椛にも照らされようかなって」
「…………」
面白いぐらい顔が赤くなり、椛は僕の左腕に頭突きをしてくる。そんなに可愛い反応をもらえると、選んだ甲斐があったな。
1万5000円と、高校生には割高な時計を買ってもらった。その場で着けさせられ、色合い的には僕に合わないけれども、椛からのプレゼントだと言うのだから喜ぼう。
半年前の彼女なら、人にプレゼントを渡すにしても、爆弾か何かだったはず。そんな彼女がバレンタインに、人に渡すためのプレゼントを考えて、少し早めだけど今日渡した。
人は変われば変わるものだ。そう実感しつつ、電気店を後にした。




