第71話: 小休止
数時間前――快晴はぼんやりと空を見上げながら、無気力に足を動かして井之川駅に向かっていた。いつも彼の周りには賑やかな男女が群がっているものだが、彼はたまにこうしてボーッとしてしまう。別に、昨日の話で完敗したからではない。会話で負けるのは晴子や競華で慣れていた。幸矢は口下手だから勢いで勝てることもあるが、それでも自分の頭が悪いと痛感していた。
快晴とて、決して頭が悪いわけではない。中堅の進学校に入学するには中学校で真面目に授業を受けていたか、予備校に通うかだろう。快晴は、塾や予備校には通っていなかった。自分で勉強して、井之川高校に入学したのだ。
その中堅校に、明らかな別格が少なくとも5人居る。
晴子、幸矢、競華の友人達。
転入してきた椛、アリス。
そんな人間達に付き合っていると、凡才の彼は苦しいのが普通だ。
しかし、快晴はそんな環境が普通だったから、苦しいなんて思わない。むしろ――
(どうすりゃあの女と仲良くなれんだろうなぁ……)
なんて、のほほんと考えていた。競華みたいに凡夫を蔑視する人間とも、一応、友人になれた。ならばアリスとも仲良くできるはずと、彼はありもしない自信を持っていたのだ。
そんな彼に、1人の少女が後ろから声を掛けた。
「この街で1人ほっつき歩いてると、危ないわよ?」
「あん?」
快晴が悪態交じりに振り向くと、日が傾いて伸びた影が届くか届かないかという所に椛が立っていた。
椛はゆっくりと歩き出し、快晴に近付いていった。
「貴方、アリスに目を付けられてるはずよ。昨日あんな事言ったんだし。彼女なら完全犯罪をこなすぐらい簡単だと思うけど?」
「理想郷作るつってる奴が犯罪起こすのかよ?」
「創造者とは、同時に破壊者でもあるのよ。無から有は生まれない。何かを変換させて有を生み出す。例えば――屑どもの屍を積み重ねて、理想郷を作るとか……ねぇ?」
「…………」
快晴はプイッとそっぽを向いて、早足に歩き出す。椛は歩く速度は変えず、ただ忠告を繰り返す。
「逃げた所で、何にもならないわ。貴方には脳がある、考えるべきじゃないかしら?」
「…………」
快晴は足を止め、振り返る。逃げるというフレーズは今の自分に当てはめて言ったもの、それが癪に触ったのだ。
「……お前らみてぇな頭のいい連中って、どうして素直な忠告ができないわけ? 心配なら心配だって言えよ」
「別に貴方のことなんて心配してないわ。最悪の話だけど貴方が死んで、晴子さんと幸矢くんが怒るのが怖いのよ。貴方が死ねば、アリスも殺されるでしょう。そして、瑠璃奈の理想郷グループと晴子さんは敵対……私は傍観を決め込みたいけど、巻き込まれるでしょ?」
「そうなったら面倒くせーから、俺のこと生かしとくんじゃねぇの?」
「さぁ……アリスは何を考えてるかわからないもの。あの子は人に色々ちょっかいを出して、何をしたいのか……」
「…………」
快晴にとっても、アリスはよくわからなかった。あの女が何を目的に動いているのか、そんなことがわかるのは晴子ぐらいだと考えている。その晴子が何もしていないのだから、とりあえず大丈夫だろうと、快晴は思っていた。
それよりも、
「貴方、意外と考えてるのね」
「ぶっ飛ばすぞお前」
椛はクスクス笑い、快晴について行くのだった。
◇
裾野快晴、16歳。
知性I、身体能力C、社交性C、特技なし、それが私ことアリス・プリケットが付ける裾野快晴の評価だった。これを理想郷に当てはめると、Fランクぐらいにはなるだろう。
Fランクと聞くと、Fランの大学と結びつくから悪く思われがちだが、アルファベットの26段階で考えれば、Aから数えて6番目+Sランクだから上から7番目。平均をMランクだと考えれば、素晴らしく良いランクに位置する。
個人主義社会の良いところは、学力だけで全てが判断されないところにある。総合力で見たり、特技のランクもあるため、特技によってAランクになることもある。まぁ、受験でも面接はあるし、それと大差ないと言えばそこまでだけど……。
ともかく、私は彼を平均からかなり高く見ていた。
頭はアレだが、高身長でまぁまぁ良い筋肉をしているし、足も速いのは競華ちゃんに聞いていた。
社交性は彼のクラスを見てすぐにわかった。彼は誰にでも笑顔で、高い声で楽しそうに話していた。
俗に言うDQNとも付き合いが良く、根暗な人と話を合わせるためにゲームをやったりもする。そうやって人と仲良くするから、1年で2番目に人気の人間になれた、と。
だから、私は決して裾野快晴を低く見ていない。
そして何より、今日も自分よりランクの高い人物と下校するのを見てしまった。
「……その頭脳だけでAランクを取れる北野根さんから、ああも簡単に信頼を勝ち得るなんて……おかしいですわね。神代晴子を見てきた人間だけあって、人徳に関しては特別なものを持っている……? 或いは、北野根さんが幸矢様達に改心させられた……?」
私は北野根椛の事を、事前に"女王"から文章で聞いていた。プロフィールで読んだ彼女はもっと肉食的というか、こんなにおとなしくない。
月に1度ぐらいは問題を起こすものだと思ったけれど、今は準備期間なのかしらね?
なんにしても、神代晴子直々に「快晴君と居ろ」と言われたのだから、私もそうしようとは思うけれど……。
…………。
「……はぁ」
私は空に向けて、大きなため息を1つ吐き出した。
茜色の空にまで届かず、私の吐き出した息は風に攫われてどこかへ消える。2月の寒空、まだ息は白かった。
「……今回は休暇も兼ねて来ているわけですし、争いに来たわけでもない……。ゆっくり楽しむとしましょう」
私は考え事も宛らに、今借りてる賃貸住宅へと帰ることにした。
◇
次の日も、僕は晴子さんと同じ時間に登校した。VRゴーグルを返す予定だったし、一緒の方が都合が良かったから。それに、どうせまた朝から僕等と一緒に行動すると思った……んだけども。
「……居ないね、彼女」
「ああ。私が昨日、快晴くんと居なさいと言ったから、そっちに行ったのかな。ともあれ、今日は2人で登校だね」
「……なんで君はそんなに嬉しそうなのさ」
晴子さんは、普段よりも頰がゆるまってて嬉しそうだった。今日の天気も澄み渡るほどの快晴で、晴子さんも名前と比例してテンションが高いのだろうか。
「脅威もなく、心を許せる友人と朝の時間を共にできる。素晴らしいことであろう?」
「……まぁ、そうだけど……」
「なんだい? 歯切れが悪いなぁ。私が嫌だとは言わせぬよ?」
「そうじゃなくて……」
こんなにのんびりとする日が、あっていいのだろうか。いつも気を張り続けていたから、人と居てこんなに気を緩める機会もなくて、僕は困惑しているのだろう。
だけど、晴子さんは僕の不安も汲み取ってくれて、こう言った。
「――心配することはない。今日から暫くは、何事もなく平和な日々を送れる筈さ。その間、私はキミの交友関係の根を繋げることに助力しよう」
「後者に関しては、僕はもとから友達ができにくいし、放っておいていいよ……」
「キミならそう言うと思っていたよ。まぁ、無理にとは言わないさ」
クスクスとイタズラっぽく笑う晴子さん。僕はため息を吐きながら、言葉を続けた。
「……で、前者の方はどういうこと?」
「どうも何も、アリスくんは快晴くんと行動するだろうし、競華くんも居ない。北野根くんはアリスくんの行動観察か、私達と行動するだろう。来月には期末試験もあるしね、1年生の間は無事に居られるだろう」
「……なるほど」
確かに、来月の頭には期末試験もある。これから一悶着起こそうだなんて真似はよしてほしいし、椛もそんな事はしないだろう。なんだかんだで彼女も勉強はする。なんでも、普段見下してる奴より低い点を取るのが恥ずかしい、とか。
だからまぁ、大丈夫だろう。
これから先が平和に終わると考えたら、少し気が楽になった。もう走り回ってスタンガンを当て合うなんて懲り懲りだし、爆発を止めるなんて以ての外だ。
今年はハードだったし、やっと小休止できるのは、素直に嬉しかった。
「…………」
「……ん?」
晴子さんが何故か、申し訳なさそうに僕の顔を見ていた。
なんだろう……?
「なにさ……?」
「……いや、なんでもないのだよ。どうせまだ猶予はあるし、安心してい給え……」
「…………?」
歯切れが悪いけど、本当になんなのだろう。弱気なこの人を見ていると、本当に不安になる。しかし、晴子さんがそう言うなら、きっと大丈夫なのだろう。
「……じゃあ、僕も気にしないよ」
「ああ……」
「…………」
僕はそれ以上詰問する事なく、今日も同じ通学路を歩くことにした。
その時、晴子はこんな事を考えていた。
(……バレンタインだけは、嫌な予感しかしないのよな……)
2月最大のイベント――今年の女性陣は恐ろしいなと、晴子自身戦慄していたのであった。




