第64話:カワル日常
22時を過ぎて、既に帰宅した僕はベッドの上で考え事をしていた。悩みの種は、競華の所属する組織――
「……晴子さんを欲しいわけだ」
理想郷を作る、そんな事を考えて組織する人が現代にいるなんて、普通は思わない。親戚の瑠璃奈もそういうのを目指しているらしいが、まさか彼女も所属してるんだろうか。いや、それなら僕から晴子さんをスカウトするように頼むはずだ。矛盾する。
瑠璃奈はどっちでもいいにしろ、晴子さんをすぐに誘わない理由はなんなのだろう。競華が中学の頃からずっと監視していたのなら、もう4年も放置していたことになる。人に慕われ、賢く、力がある。神代晴子は理想郷において、必要な人材になるだろうに……。
でも、そうだとして――
理想郷とは、一体どんな世界なのだろう?
争いがなく、お金に困らず、誰もが幸せな社会。誰もが思い描く夢を叶えられる場所。そんなものが、作れるのだろうか?
社会を――否、世界を変えないと不可能だ。
途方も無い夢物語。誰もが考えているのに、誰もが諦めている世界。作ることなどできないと言い、大人達は若者に向け、口を揃えて"理想を語るのは馬鹿だ"、"安定した暮らしを求めなさい"と言うこの時代に、理想郷なんて口にすれば笑われてしまう。
だけど、もしも競華と晴子さんが"理想郷は作れる"と言ったら、人はそれを笑うだろうか?
天才が何人も集まって、本気で理想郷を作ろうと口にするのならば、それは――信じられるんじゃないだろうか?
これは、希望なのかもしれない。有史2000年余り、僕達が見てきた歴史の中で、誰も築こうとしなかったものを築こうとする若者が、現代に生きている。
過去にこの日の本の国で、"全ての人間が幸せであれるように"と政治をした者が1人でも口にしただろうか。歴史の勉強をした中で、少なくとも僕は1人として知らない。国内外と競り合いばかりして、みんなで仲良くしましょう、平和に生きましょうなんて口では言っても、言うだけで何かした試しがない。
ましてや総理大臣が"この国を理想郷にしましょう"なんて言ったことがあるだろうか――?
大人は信用ならない。だけど、競華や晴子さんが、死ぬ気で理想郷の在り方を考えて、この国を変えるなら――
――世界は変革する――。
「…………」
それは、遠い遠い御伽噺のようだった。
天才達が何年もの歳月を積み重ね、自分の人生を削って、理想郷を作り上げる。実現すれば、とても素晴らしいことだろう。ただ、どんな世界になるのか見当もつかない。
この世界が理想郷になれば、それは――僕にも影響があるはずだ。
少なくとも、今の家族とは――。
◇
2月1日。今日から競華が居なくなって、朝のランニングは3人合同で5km走るに留めることとなった。日常の中で、1つのピースが欠けた。しかし、それが嬉しいのか悲しいのかわからない。
競華は人のプライベートを簡単に覗くことのできる人物、そういう意味では居なくなって安心する面もあるし、ウィルス対策がなくなったと考えることもできる。
普通に友達として居なくなったのは辛いけど、嵐が過ぎ去ったみたいに、少しは静かになるのかと思うと、ホッとすることもできる。
僕にとって、富士宮競華はそういう人間だった。
居て嬉しいのか悲しいのかわからない、どっちつかずの立場の人間。
まぁ、彼女のことだ。海外でも元気にやるだろう。それだけは間違いない。だから、心配もしない。むしろ心配なんてしたら、怒られるだろう。私を誰だと思っている、って……。
「……浮かない顔をしているね」
なんでもない通学路、晴子さんがひょっこり僕の顔を覗いてそういった。儚げな彼女の表情からも、競華の存在感を感じさせられる。彼女が居ないということは、僕達には特別な事だったから。
しかし、浮かない顔か……それなら、僕はこう返そう。
「いつもの事だろうに……」
「そうだね。キミが浮かない顔をしてるのは、ここ5年ぐらいずっとだった」
「…………」
失礼な言葉を平然と吐くが、もはやこれが挨拶みたいなものなので気にしない。それよりも、僕らの後ろに続く少女の存在が気になった。晴子さんの後ろ――そこには、僕らと同じ学生服を着たアリスが一歩遅れて歩いている。この寒い中、アウターを着ないで登校するのは僕達に制服を見せつけたいんだろう。
今日からよろしく、って……。
僕らの通学時間は、競華が教えたんだろうか? だとしたら、彼女は競華の代わりに僕等を監視するために来たのだろう。
もしくは、ただの興味本位か――。
「……アリス」
「はい。なんですか、幸矢様?」
「……。今更だけど、なんで僕は様付けなの?」
「昨日私を倒しましたから。それに、私からすれば昨日のMVPは貴方です。自分より強い者には、服従したい主義なのですわ」
「……。それは、僕の思想にも従うと?」
「はい。貴方は人を従わせるに足る倫理観と常識を持ち合わせていますから。ご命令とあらば、お従いします」
「……だったら、晴子さんにはさん付けで呼ぶんだね」
「…………」
アリスは僕の言葉を聞いて数秒固まり、やがてクスクスと笑いだした。"晴子さん"という呼び名が敬称であり、愛称であることは知ってるんだろう。だから、さん付け=敬うとか自分が下にいるとかではなく、平等であれという意味で言いつけた。
アリスはタッと前に駆け出し、僕に立ちふさがるように立つと、両手でスカートの先をつまみ、軽く礼をしてこう言った。
「了解致しました、幸矢様――」
ただ、それでも僕の事を様付けで呼ぶ。晴子さんにはさん付けでいいと言ったが、それなら僕も上下関係なく過ごしたいと暗に言ってるんだ。
でも、アリスは畏まって僕の前で礼をしている。
ならば、この様付けには理由があるのだろう。
多分、その理由は僕に関係ない、別の場所にある。
彼女とは初対面だし、僕が考えられるのは1つだけ。
瑠璃奈――君がこの女の子を、この町に送り込んだのか――?
 




