intermission-6:金銭と誇り
「競華、貧富の差とはなんでしょう?」
「は?」
お互いにパソコンを片手で1つずつ操作し、向き合って作業していると、突如瑠璃奈がそんなことを呟いた。理想郷を考える少女が貧富について考えても不思議ではないが、藪から棒だったために競華は適当に答えた。
「持ち物の差じゃないのか?」
「極端に言えば、そうですね。家を持ってるとか、食べ物を持ってるとか……そういう差なんでしょう。それでも幸せな人は居ます。"あの人の家庭は貧しいけど幸せそうだ"、なんてフレーズは、私もどこかで聞きました」
「そうか。私達は富を持っていても、幸せなんて無いのかのように努力を続けて、馬鹿みたいだがな」
「そうですね」
カタカタとキータイプは劣らせずに会話を続ける2人。瑠璃奈の素っ気ない態度からこの話も終わりかと思われたが、それは違った。
「……日本は、小さい国なのに恵まれています。1億人もの人が最悪でも国の保証で衣食住を提供されますから。発展の遅い国では、継ぎ接ぎだらけの服に屋根のない家で暮らす人もいる。そう考えると、私達の生活水準というものは非常に高い。生まれた時から屋根のある家があり、親が死に物狂いで盗んできたパンを食べさせてもらうこともない……」
「…………」
長い話になりそうだったために、競華はPCを一台放置し、右手にある一台に集中した。競華は化け物と呼ばれる瑠璃奈と違い、2つのことをやるのが精一杯なのだから。
「欲求五段階ってあるじゃないですか? 生きるための生存欲求……私達はそれを常に満たされてきました。それを失ったら……という危機感はありますが、常に満たされています。だからこそこうして暇があり、理想郷を作り上げるプロジェクトを計画できる。……ですが、スマホもない国の人からすれば、日本は1つの理想郷なんです」
「だから、COStMOSt計画は打ち切りだと?」
「それこそまさかです。始めたことには責任があるし、人類の到達目標である理想郷を作ることを諦める必要はないでしょう」
瑠璃奈の言葉を聞き、競華は当然と言わんばかりに尊大な態度で深く椅子に座り直した。それとこれとはまた別問題なのである。それに――瑠璃奈には、外国の貧困に関心を示すほどの時間がなかった。
「しかし、世界に貧困というのは必要なのです。人間に差があるからこそ世の中に哲学や思いやりというものが存在できる(※1)。もしも差がなかったというのなら、人間という言葉も存在しなかったのではないでしょうか。人を鏡のように思うからこそ人間で在れる、という言葉もありますし、一概には言えませんかね」
「知ったことか。私は人間が人間と呼ばれなくても別に構わん」
「えー? 競華は哲学とか興味なさそうですもんね」
「自分の生きる道に関与しなければな。私は、たとえ諸外国で生まれたとしても。その国で上に登り詰めるよう努力しただろう」
「今の貴女の性格のまま生まれれば、そうでしょうね。貴女に貧富だとか、他人が賢いとか馬鹿とか、大した問題じゃないのでしょう。登り詰めることに意味がある……貴女自身の誇りを失わないために……」
競華は自分のことを言われても、反応しなかった。競う華と書いて競華。その相手は常に自分自身であり、他人に挑むファイター精神はあれど、他人との戦いに負けたとしても、常に自分を倒し、超えてきたその誇りがあれば、他人との戦いに敗北して死んだとしても、自分の人生を全うしているから悔いがないのだ。
「……まぁ、我々の考える理想郷の中でも貧富の差はあります。しかし、自分の持つお金の分に誰もが満足するなら、全員が幸福と言えるでしょう」
「幸福は、金の量だけで推し量るものじゃない。欲求五段階において、いずれかの幸福を満たすことができればいいのだ。その幸福に飽いたとき、次の幸福を目指せばいい」
「幸福さえ満たせばいいわけですからね。しかし、幸福を目指すということは、不幸な状況の始まりでもある……。それは“自分がまだ幸福ではなかった”と気付くからであり、不幸が始まったから幸福になろうとするのです」
瑠璃奈の言い回しに、競華は満足げに頷いた。人間にはランクがあり、人はそれに気付いていく。上がったと思えば次の上があり、欲求というのは社会において、五段階では済まない。
「人間のランクを明確化するのは実に簡単なことだ。人に点数をつけて振り分ければいい。テストで点を取るとか営業で成績を上げるとか、そんなことでいい」
「それだと改竄が簡単ですし、だからランク別階級社会を作ろうと言ってるのですが……」
「……そうだとして、貴様はSランク……Specialランクにいくらの給与を与えるのだ?」
この問いについて、瑠璃奈は初めて手を止めた。貧富について語り始めた少女は、すべての人間が格付けされる社会において、最も優秀なランクの人間に、いくらの給与を支払うべきか。それはとても難しいことのように思える。優秀な人材といっても多様であり、勉強一筋の者もいればスポーツしかできない者もいる――そう考えるのが一般的であろう。
だが、瑠璃奈の考える理想郷において、一点のみに特化した人間は“特A“という、Sランクとは別の称号が付与されることになっている。
Sランクであるためには、能力以外に“何か”が必要なのだ。それを考慮したうえで、瑠璃奈は答える。
「言い値で払いますよ――。SランクとAランクには例の“差”がありますから……」
「……1番難しいところだな。AランクとSランクの仕分けが、な」
「そうですかね? 1時間も一緒にいればわかることと思いますが」
「……例えば、幸矢はSランクか?」
「晴子さんも幸矢もSランクですよ。現状、ああいう人間が理想的ですからね」
瑠璃奈の言葉に競華は納得し、くるりと後ろを向いて笑った。友人が認められているとわかれば、競華も鼻が高い。自分の見込んだ人間に、間違いがなかったのだから。
「しかし、貴女はAか特Aですね。性格変えなくていいんですか?」
「私は私を貫くがゆえにAランクであるならば、それを誇りに思う」
「そうですよね、そうだと思いました」
安心するような感嘆を聞き、競華は当然と言わんばかりに頷くのだった。彼女がAランクであるということは、彼女のことをよく知っているからこそつけられるものであり、公平な判断だからだ。公平に人を見てランク分けをすることにより、完成する新世界。それが瑠璃奈の考える理想郷――。特権階級などない、すべての人間が実力にあった生活のできる社会。
「……瑠璃奈。もしも貴様が生まれ変わって人生をやり直し、必死こいて勉強すれば、Sランクになれるか?」
瑠璃奈は競華の思いついたような質問を聞いて、パソコンから手を放した。そして何もない天井を仰ぎ、無言のまま呆然としていた。
瑠璃奈には、自分の人生というものはない。その命は世界をよくするために捨ててきた。普通の暮らしをして、偉くなろうなんて世界においては普通のことすら考えたこともなかった。だから、彼女は笑ったのだ。
「……フフ。よしてくださいよ。そんな夢物語、私には想像もつきません」
「ま、貴様はその人生だからこそ黒瀬瑠璃奈なのであり、他の生き方などできんか」
「ええ。貴女がその生き方が誇りであるように、私はこの生き方が誇りなんです」
競華はそれ以上何かを言うわけでもなく、口元に笑みを浮かべながら目の前の画面を見つめるのだった。雑談も終わると、後に残るタイピングの音に、儚い空気は張り詰めたものへと塗り替えられる。
金銭など、彼女等の幸福に関与しない。その生き方にのみこそ関与する。だからこそ、誇りがあるのだ――。
※1:人間は何か不都合なことが起こるから疑問を抱くのであり、その究極系が"人間とは何か?"という哲学に到達する。
瑠璃奈の思い描く世界が少し顔をのぞかせました。
68話ぐらいからもう少し詳しく書きます。
メインはpreparation後の話ですが、よろしければお付き合いください。




