第60話:新手
動きを止める2人だが、ついに痺れを切らして動き出す。競華が幸矢に向かって飛び出し、ダガーを横薙ぎに振るった。
幸矢は後ろに飛んでダガーを避ける。競華とて避けるのはわかっていた。体を捻らせ、左足で飛び、幸矢の顔面めがけて右足を突き出す。
幸矢には、2つの選択肢があった。1つは躱して足を掴むこと。直線的な攻撃で頭を狙われれば、首を振るだけで躱せた。掴んでから体勢を崩させて攻撃、一見すると勝てそうな手法。
しかし、幸矢が選んだのはもう1つの選択。
それは、あえて攻撃を受けることだった。
「グッ――」
両手をクロスして顔面をガードし、蹴りの衝撃で幸矢は2、3歩下がって散乱した書類の上に足が着く。何故距離を取る選択をしたのか、それは競華の持つ武器にある。
幸矢には、近づいた先の未来が読めたのだ。
(……競華なら、絶対刺してくる。殺すのすら厭わないだろう)
至近距離になれば、一度振るわれたダガーをわざわざ引き寄せることになる。競華は友人だからといって、勝つためなら躊躇なく刺すだろう。先ほど幸矢が競華を蹴ろうとしたように。
距離を開けて戦う、それが幸矢の選択。
「シッ!!」
競華は幸矢の体勢が崩れた好機を逃さず、ダガーとは別のもう一方の腕を振るった。ジャージの裾から何かが飛び出し、幸矢の頭のすぐ側を通過した。
――ガシャァァアン!!
そして、彼の後方でガラスが割れたような衝撃音が響く。咄嗟に幸矢は振り向いてしまった。
競華は、この建物に転がる空き瓶を投げたのだ。ゴミの散らかった廃墟、空き瓶なら幾らでも落ちていた。
幸矢の背後を捉えた刹那、競華は新たな獲物をジャージのポケットから取り出す。流石の彼女も、この日本で安易に流血沙汰にはしたくない。新たなに掴まれたそのスタンガンを幸矢に向ける。
(……まだ早いとは思ったけど、ダメか……)
幸矢は騙されたにもかかわらず思考は冷静で、奥の手を使うことにした。足元の書類は床を滑り、幸矢の足は半円を描く。後ろに足が引かれると、何かの栓がピンッと抜けた。
《フィヨヨヨヨヨヨヨ!!!》
「ッ――!」
競華の動きが一瞬止まる。この鳴り響く音の正体は言うに及ばない。幸矢は競華が攻勢に出ることを踏んでここまで下がったのだ。足元に防犯ブザーまでの距離を伸ばすため設置した、栓にくくりつけた釣り糸を置いて――。
お互い、この廃墟における戦いに徹していた。この地形で使えるものを使い、騙し合う。皮肉にも、2人が使ったのは同じように音であり、競華も動きを止めた。
その隙を見逃さず、幸矢は飛び退いた。
再び硬直する。2人は距離をとって互いを見つめて動かない。フィヨヨヨヨと鳴り響く防犯ブザーの音だけがけたたましく響いていた。
ほぼ互角の戦いだ、幸矢は防戦といえど武器を隠し持っている。それを出しているかいないかの差でしかない。だが、ここまで避けただけでも十分賞賛に値した。だから競華は笑い、幸矢にこう告げる。
「実に見事だ。格闘技を習わずによくこれだけの近接戦ができるな」
「……中学の頃、君達に組手をやらされたの、誰だと思ってるのさ」
「そうだな。あの頃の鍛錬がここまで活きるとは、さすが天才と言っておこう。まぁ――」
競華が言葉を区切り、ダガーを持つ手を強く握った。
次の瞬間、防犯ブザーの音に混じって、ドンっと強い衝撃音が鳴った。
競華が動いたわけではない。なのに、幸矢の体が前のめりに倒れた――。
「ガッ――いっ、た…………」
少年は背中を抑え、苦痛に耐えていた。競華は幸矢の消えた前方を見据える。そこには、彼女が呼び寄せたドローンが、プロペラを鳴らして飛んでいた。
漆黒の拳銃を向けて――。
「競華……お前……」
「ゴム弾だ。死ぬことはない」
競華は後ろを向いて、後方にある隠された防犯ブザーを紙ごと蹴飛ばした。けたたましい音は遠ざかり、声が通りやすくなる。そして、ドローンのプロペラの音も――。
「貴様はよく、防犯ブザーを使うからな。使ってくるのはわかっていた。貴様の虚をつくなら、私から目を逸らさせない必要がある。つまり、ドローンに気付かせないことだ。配置させるのに手間取ったが、プロペラの音を消してくれるのを待っていた」
「……ここまで、想定してたのか……」
「痛いだろう? 私も受けたことはあるが、結構効くんだ。……さて」
動けない幸矢に、競華は悠然と迫る。幸矢は、こんな一発では終われない。この程度の事で終わっては、晴子に顔向けできないのだ。痛みを堪えて、幸矢は立つ。撃たれた背中を抑え、表情を苦悶に歪めながら。
「トドメだ!」
「ッ――」
競華はスタンガンを手に、幸矢へと駆ける。最後まで手は抜かない、それが幸矢に対する礼儀だった。
だがそこで、幸矢は動いた。
痛みのあるはずのその体で、右手をポケットに突っ込み、スタンガンを握る。
「何っ――!?」
競華は驚愕し、足を緩めてしまった。
だがもう距離は短い。幸矢は一歩を踏み出し、そして――
――バンバンバン
両手と頭を見事に撃ち抜かれ、競華に倒れかかるのだった。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――は?」
競華は、しばしの間言葉を失った。ようやく吐き出された一文字が、この状況に理解が追いついてないことを示している。そんな彼女に遠慮もなく、新たに現れた少女は1人でに語り出した。
「殺し合いじゃないからってさぁ……競華ちゃん、手ぇ抜きすぎなんじゃないかしら?」
「……。協力は要請したが、今になって漸く出てくるとはな。なんのつもりだ、アリス……」
アリスと呼ばれた少女は、競華を見てくすくすと笑う。銃を袖の中に仕舞い、幸矢を指差した。
「その子……防弾チョッキ着てますわよ? ジャージの上からだとわかりにくいけど、ベストタイプのやつは歩き方に微細ながら特徴があるの」
「…………」
競華は気絶した幸矢の襟元を捲り、確認する。確かに、体操着の上から黒くて厚いベストを着ていた。つまり、撃たれて痛がるのは演技――そこまでの展開を、幸矢は予想していたのだ。
「スタンガン同士の一撃勝負なら、貴女も負けてた可能性がある。まだ神代晴子を見つけていないのに、リタイアされたら外野として面白くないのよ」
「そうなられると困るから、協力しろと言ったのだ。晴子と幸矢、天才2人が相手だと、私もキツい」
「だからって"神の左足"である私を呼ばないでくれます?」
「どうせ暇だろう?」
「まぁね。あとはプロトタイプ作るだけだし、諜報も殆どいらないでしょ?」
「そう思ったから呼んだのだ。我等が同士――アリス・プリケット」
フルネームで呼ばれたその少女は薄く微笑み、小さな窓から覗く月を見上げた。薄く窓に映るサイドテールの少女は、ウットリとしながらこう呟いた。
「賑やかな夜ね――」
アリスという、御伽噺の主人公に似合うその言葉は、綺麗な闇夜に消えていった。
幸矢くんがダウンしました。
一対一ならこれで決着でしたが、そうはいきません。
気になる続きは、intermission-6:金銭を挟んでからです。
次のintermissionでは理想郷のあり方も少し語られますので、よろしければご覧ください。




