第56話:分身
全ての照明が消え、ビル内は暗闇に包まれる。学校の当たる部分が反射し、僅かに暗視は出来るものの、荒らされて散らかったビルで鬼ごっこなど、あまりにも無謀であった。それに、1時間も走ってはいられない。だから競華は、開始地点を動く前に座り込んでタブレットを取り出した。
いくつかの赤外線センサーを起動し、各所に設置した暗視カメラと温感カメラで各階の様子を覗く。
「……フッ、フフフフフ……」
タブレットを見て、競華は笑った。愉悦に満ちたその声にタブレットはなんの反応もせず、虚しく消える。
「……なるほどなぁ。考えたな、晴子」
競華は感心して、タブレットを注視した。その画面には――白い仮面を付けた2人の人間が、2階と4階に分かれ、堂々と歩いていたのだ。
どちらも髪は同じぐらいに長く、幸矢がウイッグを付けていると予想できる。しかし、歩き方は全く同じであり、身長の違いも監視カメラではわからない。暗闇の中、ライト付きのベルトが光を放っている。前が照らされてるからか、安全にゆっくりと歩いていた。
2階と4階というのもセオリー通りだろう。どちらも上下階に行くことができる。隠れもしないなら、温感カメラもまるで無意味だ。
つまり、競華の持つテクノロジーはなんの役にも立たない――。
競華の技術を無効化するには実に良い手ではある。しかし、それは諸刃の剣だ。2人は正体を現し、しっかり鬼ごっこをしなければならない。足の速い競華が相手では、間違いなく不利である。しかし、2人を捕まえるならば相当苦労するのはわかっている。だから――
「全ドローン、起動」
競華は、事前に待機させていたドローン全20機を全て起動させた。ドローンにはカメラを搭載してあり、別のタブレットから確認できる。
競華は近くに置いていたショルダーバッグからタブレットを取り出し、バッグを肩に掛けた。2階と4階のドローン8機のカメラ映像を映し出し、集中して画面を見る。
2人はピクリと反応しジャージのポケットからあるものを取り出す。
――エアガンだった。ドローンを撃ち落とすつもりなのだ。自動操縦のドローンは避けることも叶わない。
バンバンと銃声がなる。プロペラにでも当たったのか、打たれたドローンの視点は回り、落ちて行く。
しかし、競華にはそれで十分だった。エアガンを持つ手、正面を向く時の肩幅を見て、こう判断する。
「――2階は男の手、つまりは幸矢だ! 手袋をしないのが仇になったな!!」
そうと決まれば、競華は動き出す。タブレットを仕舞い、4階に駆け上がった。4階は会議室のような部屋が連なり、どこに逃げようと目に付いてしまう。
仮面を付けて平然と歩いていたジャージ姿の人間は、確かに小柄で女性らしいボディラインを持つシルエットだった。
仮面の女は競華と目が合うと、すぐさま走り出す。足場の悪いビル内だが、競華も走り出した。こんな場所で転ぶほど、晴子も競華も雲堂神経は悪くない。
仮面の女はパンパンと後方に射撃するが、競華はそんなもの気にも止めずに走り続ける。走りながらの射撃など、素人がいくら撃っても当たらないからだ。
差はみるみるつまり、王手は近い。しかし、競華は違和感を覚えていた。
(晴子は、こんなに足が遅いか――?)
みるみる差が詰まる――50m走6.1秒と6.4秒で、そんなことはあり得るだろうか? それに、こんなにあっさり捕まるほど晴子は馬鹿ではない。つまり――
「何者だ貴様!!!」
「キャッ!!?」
競華は仮面の女を突き倒した。走る勢いもあり、ゴロゴロと回って壁にぶつかる少女。仮面は取れ、その姿が露わとなる。
その顔は、競華にも見覚えがあった。
「……北野根椛。貴様、どうしてこんな所に居る?」
壁に腕をぶつけて痛がる少女は、北野根椛だった。
ウイッグは取れ、ヘアクリップで前髪が止められているのも取れていた。後ろ髪はジャージの中に仕舞われ、なかなか用意周到だった。
「あいっ、た〜……ちょっと、人を吹っ飛ばしてそんな事を聞く?」
「……。そうだな、すまん。立てるか?」
「足捻ったわよ……。少し、ここで休んでくわ」
「悪かったな」
「まったくよ。タッチすればいいのに、押し倒すなんて酷過ぎじゃない?」
「……反省している」
流石にやり過ぎたと思ったのか、競華は頭を下げた。同じことをされれば幸矢や晴子は受け身をとったかもしれない……が、危険なのに変わりはない。萎縮する競華を見て、椛は目を丸くして言った。
「へぇ……貴方でもそんな態度取るのね。貴女のことだから、"鈍い奴が悪い"とか言うと思ったわ」
「確かにその通りだが、人を怪我させてことさら暴言を吐くほど腐ってはいない。暇なら手当でもしたいが、時間が惜しくてな。先を行かせてもらう」
「そう。ま、せいぜい頑張りなさい」
「…………」
競華はそこを過ぎ去ろうとして、再び椛に振り返った。
「……なによ?」
「何故、貴様がここに居る? 貴様は晴子を嫌っていたはずだ。参戦するなら私の味方ではないのか?」
「……ああ、それ?」
椛は何でもないように答える。
「別に、どっちの味方でも良かったのよ。ただね――こんな楽しそうな遊びをしてるのに、参加できないなんて残念じゃない……。混ぜて欲しかっただけよ」
艶やかな目で理由を口にする。その顔を見ると、競華は察した。それが北野根椛の信念であり、単なるじゃじゃ馬根性なのだと。
別に、戦いを汚されたと思いはしない。楽しみたいだけで誇りもない人間を、競華は素通りした――。
◇
競華は3階に入り、そこで新たな罠を作動させる。
それは、各階の階段から廊下や室内に入る扉付近に付けた赤外線センサーだった。上の階から順に、誰かが入ると"ド・レ・ミ・ファ・ソ"の音が流れる。これで2階に居る仮面の人間は2階から出ても追跡できるのだ。
3階にある机の1つに座りながら、競華は各所の監視カメラを見て考える。
(4階に居たのは北野根椛、2階は幸矢、じゃあ晴子はどこに消えた?)
その答えはあらかたわかって居た。通気口、ダクトの中だ。競華は今回、ダクトの中にサーモグラフィーカメラを付けてはいない。ダクトの中は広い上に入り組んでおり、そうそう付けられるものではないからだ。
しかし、ダクトを使えば各階に移動ができる。現代では当たり前だが、このビルには各階に空調があり、普通ダクトは1〜5階まで一直線になっていて、そこ櫛みたいに横に伸びている。
(1階には、わざわざ脚立を置いておいた。もちろん、ダクトも後で調べる予定だったが、2階の人間を見ておくか……それともダクトか……)
競華は考える。ダクトを調べるということは、リスクがつきまとう。1階からダクトを調べていると、他の階から晴子が出て逃げる可能性が考えられるからだ。そうなると、競華がダクトを進んでいる間に隠れられる可能性もある。2階の仮面人間、ダクト……選択は2つに1つだが――
「ん?」
監視カメラの1つが写す画面が少し動き、競華は間抜けな声を出した。5階、1つの実験室の隅。白い布で覆われた謎の物体がある。
それは基本的に動かないものの、ときたまゴソゴソと動いていた。
「……誰か居るな」
センサーを起動している以上、誰も階を移動していない筈であり、これは晴子か、また別の誰かだと考える。否、晴子がこんな間抜けな隠れ方はしないとわかっているのだが――。
「確かめに行くか」
見なければわからない、だからこそ競華は立ち上がり、センサーを切って5階へと向かった。
残り時間、50分――。




