第106話:誘拐③
最近復帰してきてるのですが、1話書くのに1週間かかるようになってしまいました。
月に何回か更新できるかも……です。
数分前、外で見張りをしていた今鐘の身に起きたのは、文字に表せば一行で終わる出来事だ。
突然手榴弾を投げられ、吹き飛ばされた。
たったそれだけのこと。しかしこの日本では類稀な話で、確実に仕留めるために投げられただろう手榴弾を、自分の態勢を気にもせずに後ろに飛び引いたのが功を奏し、彼女は五体満足でいた。
無論、動くこともままならなかったが――ある女から貰った薬品が彼女を助けたのだ。
そして今、彼女はヘルメットも脱ぎ捨て、この海倉庫に立っている。
ヒュン――刃が抜かれ、今鐘は再度ナイフを手前に引き、今度こそとナイフをβの腹部に突き立てる。
「ナメるなァァァア――!!!!」
しかし、このβの咆哮に一瞬今鐘の手が怯む。その刹那、βは回し蹴りを今鐘の横腹に叩き込んだ。筋肉で守られぬ横腹、今鐘は怪我もあってか、まともに防げず薙ぎ倒される。
βは、対人、対殲滅用に育てられてきた美代。薬物をいくつも投与され、 ドーピングを重ねた体から放たれた蹴りの威力、手負いの今鐘を再起不能にさせるには十分だった。
「フーッ……フーッ……!」
息も絶え絶えに、額に青筋を浮かばせたβはレッグホルスターから包帯を取り出し、刺された腕の止血を行う。その様子を見て、もう1人のヘルメットの男はこう言った。
「まさか、君と瓜2つの顔を持つ人間が居て、しかも格闘型の子だとは思わなかったよ」
「……やっぱり、その声――!」
「ああ……」
αが正体を察したためか、男はヘルメットを脱いだ。隠された素顔は暗鬱とした表立ちで、目つきは鋭く、口は固く閉ざされている。髪は固くツンツンとしているが、重力によってヘルメットみたいな形を成していた。
美代にとっては馴染み深い、毎日見る顔だった。何故なら、その男は――
「……兄さん」
「やぁ……色々と体の中に隠してるんだね、美代」
いよいよ正体を現したのは彼女の義兄、黒瀬幸矢だったのだ。
◇
矢張りここは信頼できる人間に任せるべきで、今鐘を選出したのは間違いだったと思う。無論、最初から無茶だとわかっていた。爆発を受けたとはいえ、我を失うのは精神が成熟していない証。いついかなる時も冷静さを欠かないことが最もたる成人の証だと、日頃思っていた。
正体をバラすのはリスクが高すぎるし、僕らが犯罪者だと決定付いてしまう。
だから椛にやらせたかったのに、後輩を育てたいだなんて……手間が増える。
「……仕方ないか」
多少の手間は諦めるとしよう。今はこの状況をなんとかすることが先決だ。義妹を説得し、もう1人の義妹を説得したいところだが、今や彼女等からは嫌われ者だろう。
改めて目の前を見る。
僕の義妹が残念そうに眉も口も下げて棒立ちしていた。
僕は今日、この義妹がどれほどの人間かを知った。銃を所持し、さらには音響弾、靴にはフルーツナイフを仕込んでいて、常に護身に備えていた。頭も良く、万事に備えている。隙のなさからして、他の凡人を超越していた。
その完璧超人が、僕の義妹の正体。
なんとなく察しはついていた。競華達と繋がりのある彼女は天才で、運動能力も高く、人と戦う術を持っていると。
ならば、彼女こそが"ペテン師"――。
「……残念だよ、兄さん」
「…………?」
哀れみを帯びた義妹の言葉の意味がわからなかった。むしろ、残念なのはこっちだというのに。
美代は目を細め、僕がわざと落とした二丁の銃を指差す。
「未成年による普通自動車の運転、並びに銃刀法違反。言い逃れもできず、少年院行きだね」
「……君だって拳銃を持っていた。ちゃんとした"実弾"のやつを……。お互い様だろう?」
「……何?」
僕が実弾の部分を強調すると、彼女はすぐに事を理解したようだった。そもそも僕は悪い組織とのパイプを持ってないし、本物の銃を手に入れる手段はほぼほぼ無いのだ。高校生なのだから、尚更。
僕は落とした拳銃の1つを蹴り、美代へと送る。
美代はサッカーボールを止めるように足裏で受け止め、手で拾ってマガジンを抜き、弾を確認する。
中に入っていたのは、BB弾だった。
「…………」
あまりの事に、美代は絶句する。僕の事を買いかぶり過ぎていたようだ。誰でも買える玩具を実弾の銃と勘違いするなんて。
美代は後ろを振り返る。僕が弾丸を放った先の壁は凹みさえ見せず、銃で撃たれた形跡など欠片もなかった。BB弾で鉄を撃ち抜けるはずがないのだから当然のことだった。
「……それと、車の運転手だけど――僕じゃない。別の人だ」
「…………」
「交代したんだよ……。一度、出てったろう?」
僕は運転の知識は一応あるが、運転はできない。だから、代わりの人にやってもらった。
そして、予めここに居た僕と合流し、他人が競華クラスの人間を本気で相手取ったら死ぬかもしれないから、僕が相手をするために交代した。
何はともあれ……
「僕がしたことは、誘拐の加担……。といっても、君と会いたかったから、あえて先にここに居ただけ……。どう思うかは君の自由だけど、どちらにしたって、僕はこの場にいた証拠を1つとして残すつもりはないよ」
「……なら、兄さんをここで倒すだけ」
「その必要も、意味も、どこにある……?」
「…………まだ、"私がここにいる目的"を達成してないから」
「……そう」
その言葉の意味、つまりは"僕と家族で居る"のは理由があるらしい。
父さんは偶然の縁で再婚したのか? いや、違う。誰かが引き合わせたのだろう。僕とこの少女、××美代という少女を引き合わせるために。
しかし、疑問が残る。
義母は自堕落だ。
家事は殆ど僕の仕事になっているし、家でよくテレビを見ている。そんな女が、美代の実母?
それが真なら、何故双子の、もう1人の美代がうちに居ないのを容認している?
わからない。美代について、何も――。
「……君については、わからないことだらけだ。この場でいろいろ吐いてもらうよ」
「やってみなよ……。私に、勝って見せなよ……」
互いに臨戦態勢に入る。そして、話の最中に自身の止血をしていたβもこちらを見てポケットに手を入れる。
2対1、ではない。2人で1人。1対1だ。人間の倍の物を持った、人間。しかも、そのどちらも頭がキレる。
だまし討ちも効かなそうだ。なら……。
僕は得物を決めた。正面切って勝てる相手ではないだろう。なら、得物は意趣返しの音響弾。僕はノイズキャンセリング付きのワイヤレスイヤホンを付けている。今は会話のために音量を下げていたが、すぐに音量を上げ、音響弾を使って撹乱させ、仕留める。
作戦は決めた。あとは先手を打つのみ――
そう思った矢先の出来事だった。
動き出したのは僕でも美代でも、βでもない。
『そこまでです』
そんな機械音声と共に、ソイツは降りてきた。
ゴシックドレスを纏い、天狗の面に顔を隠した、背丈150cmそこらの少女。彼女は突如僕と美代の間に降ってきて、どちらを見るでもなく、その少女は美しい姿勢で立っていた。
それは彼の日に美代が着ていた服と同じで、その手に携えられている鉄の傘は今鐘に聞いたものだった。
その姿でこの場に現れた新たな人物、つまりは――
美代はペテン師ではない、ということ。
『双方、両手を上げ、跪いてください。5秒後、指示に従っていない者は首を刎ねます』
機械的な声、とても本気とは思えない。しかし、僕は彼女――"ペテン師"の正体を探るために動いた。だから、ここで跪くわけには――
『――跪けと言ったのだが?』
その言葉を聞いた刹那、僕は意志に反する行動をとっていた。両手を挙げ、膝を地につけた。それはペテン師が何かしたわけではない、自分から跪いたのだ。
理由はいたってシンプル、純然たる生存本能だ。あのペテン師は間違いなく自分を殺す、そう予感してからの行動だった。
殺意とか殺気とか、そういう漫画や小説の中にしか存在し得ないものを直感的に感じた。そして、それを感じさせるだけのセンスを持つ彼女……。
冷や汗が頬を伝う。他人に恐怖するのなんて久し振りだった。椛にさえ畏怖しなかったのに、この女は――次元が違う。
住んでいる世界が平和を享受する人とは違うんだ。
『……よろしい。この場は私、"ペテン師"が預からせてもらいます』
いつのまにか僕と同じ姿勢をした美代を見ることもなく、ペテン師は傘を杖にしてため息を吐き、首を左右に振った。
『貴公らには困ったものだ。大した用でもあるまいに、2人も負傷者を出している。これ以上の暴行は"粛清者"としてこの私が許さぬ』
「……粛清者?」
ふとした疑問をそのまま口に出すと、ペテン師は仮面の奥から僕を覗き、答える。
『幸矢殿は存じ上げなかったか。"粛清者"とは、理想郷プロトタイプで実装されたシステムです。"粛清者"言わばSWATみたいなもの。特殊警備組織です。但し――"粛清者"は自由に人の罪状、罪科を決めることができ、その場で断罪できる権利を持っているのです。街中で好き勝手逮捕し、罪人を裁けるとお考えください』
「……なるほど」
少数精鋭の特権持ち裁判官というわけか。その内容は納得できるも、少し腑に落ちない点がある。
幸矢殿? 存じ上げなかったか? その部分の敬語だけ、違和感が強い。彼女の素の話し方……?
無駄な詮索も束の間、ペテン師は話を続ける。
『詰まる所、今ここで私は、今日の貴方達の罪過について判決を下します。私の下した決断にはすべからく従ってもらいます。よろしいか?』
「…………」
従わなければ死ぬ。そう思った。僕はコクリと頷き、美代もそれに乗じていた。ペテン師は顎に手を当て、考える。
『ふむ……αは悪しき行為は行なっていない。無罪でよかろう。βは格下相手に重症を負わせるのはやり過ぎだな。意識の外からの攻撃で気絶させることもできたはず。正当な暴力であるとはいえ、少しだけ罰を与えるとしようか。そして、誘拐犯である幸矢殿、またその関係者については――ふむ、1人1本奥歯を頂こうか。幸矢殿の外面を傷つけるは我らが君主も望まなかろう』
「……瑠璃奈、かい?」
『いかにも。貴方はシンボルだ。その黒瀬の体、見てくれを汚すわけにはいきません』
ペテン師はそう言うや否や、袖口を引き、その仕草だけで体が持ち上がっていった。薄く光って見えた線はピアノ線で、リールのように絡め取られているのが伺えた。
正体を晒したくないから上に逃げる、なるほど、正攻法だ。
しかし、これでは僕の奥歯を抜けないじゃないか。
『α、幸矢殿の奥歯を抜け』
「――!」
ペテン師の言葉に、美代が目を見開いた。今にも叫びそうだが、その声は心の奥に押し止められ、かろうじて平静を保っている。
「……何故私が?」
『簡単な話だ。私が其奴に近付く事はリスクが伴う。万一に殺されでもしたら敵わんからな。それに、兄妹のαなら抵抗もなく抜かせてくれるでしょう?』
「……兄妹だからこそ抜きたくないに決まってるでしょう!? アンタ、その言葉全部本気で言っ――」
吠える美代の声がピタリと止まる。
彼女の口、その横にあるまだ幼く柔らかい頰に、一筋の線が入っていた。やがてそこから血が流れ出し、ポタリ、ポタリと落ちていく。
ペテン師は珍しい道具を美代に投げたのだ。地面に突き刺さる漆黒のクナイ、現代では珍しい武器を正確なコントロールで投げるポテンシャル……。
Sランクであり、粛清者と言われるだけの能力があるのだと痛感した。