第105話:誘拐②
私は憂いていたのかもしれない。
この世界に、この茶番に、この自分に。
だから油断や隙があった。捕まったのは自分の責任。
ならば採算を取るのも自分の役目。
ふと窓の外を見る。車の速度に追いつけない街並みがスクロールされていくだけで、特に面白いとは思わず、私は再び下を向く。
正直なところ、手の自由を奪っただけのヘルメットとヘルメットの運転手はこの場で殺せる。でもそれだと目立つから、目立たない所に運んでもらいたい。それだけのこと。
私は誘拐犯が目的地に着くのを待った。待つのは慣れている。頭のいい駒はいつもそうだ。私も、競華先輩も、あの人も――いつも待っている。自分の思想を現実にするためには作らなければいけない。作るには時間が掛かる。
作るというよりも、成長を見守るというのが正しいのかな。私はそれを"待つ"と呼んだ。
でも、今の"待つ"は違う。おそらく、誰かしら理想郷メンバーが助けに来て嘲笑いに来るのを待つとも言えるし、私がこの愚者達を倒す瞬間が来るのを待つとも言える。成長を待つ時の朗らかな精神ではない。怒りを解き放つ瞬間を今か今かと待つ獣のような精神だ。
……いや、或いは――
(兄さん――)
貴方が助けにか来てくれるのかもしれない。
◇
時間にして40分ほどか、私は指先から肘まで両腕一緒にガムテープを巻かれ、腕の自由は全く取れないまま、車の中で過ごしていた。途中で高速道路にも乗り、今ようやく目的地らしき場所で停車した。
海岸近くの倉庫だった。25mプールがすっぽり入るぐらいの、イカニモ反社会勢力の取引現場を連想する場所だが、実際にそうであったならこの状況で笑えるかもしれない。
運転手とヘルメットが外に出ると、私のいる側の車のドアも開く。
《立て。そしてあの倉庫まで歩け》
録音の再生で簡潔に指示を伝えてくる。断ると面倒なので、私は車から出て倉庫に向かって歩き出す。勿論、この状況になるに至った原因――ヘルメット2人の取引相手を探した。
「…………」
倉庫の上に、面白い人を見つけた。なぜこんな所に居るのかわからないほどの人物が。
その男は倉庫にの屋根に乗り、だらしなく足を前に投げ出して座り、膝に肘を置いて頬杖をついている。まるで高みの見物と言わんばかりの素振りだった。無様な姿の私を見下し、笑っているが、その笑顔には侮蔑も嘲笑も無い。
"暇潰し"になるのを期待していた。
その性格だけが、この男の好かない所であり、その性格故に全てを習得した男。
「……瑛晴さん」
神の右腕と呼ばれる理想郷創設委員会の重役だった。なるほど、彼がいるならば話は変わる。この誘拐自体が猿芝居かもしれない。また私が"あの島"に行くための――。
「……どこまでが本当なんだか」
わかったものじゃない。でも、流されるだけ流されてみよう。彼を楽ませられるように。だからもう少し、囚われの姫をやってみるのもいいだろう。
倉庫の中に入ると、私は物陰の奥にある鉄柱の前に立たされ、手錠の片方を鉄柱に、もう片方を私の右腕に掛けられた。既に肘までぐるぐるとガムテープを巻かれているため、わざわざ二の腕に掛けてくれた。私の脱走をそんなに恐れるのなら、両足も無力化した方がいいのに――。
自分の身ながらそう考えてしまう。だって、私を無力化したところで、意味はないのだから。
ヘルメットの2人組はそれからどこかに行ってしまった。足音も途絶え、倉庫は海風で軋む音しか聞こえない。
「はぁ……」
私は右の靴を脱ぎ、靴底にあるフルーツナイフを足の指で持ち上げ、口を使ってその刀身を抜く。そして口を使って器用に腕のガムテープを切っていき、指に残った部分は力ずくで引っこ抜く。それから一応、拘束された風にガムテープを腕にまとわりつかせておいた。
手錠もヘアピンでピッキングできそうなものだけど、まだその段階じゃない。助けも呼んであるし、自力で脱出すると後が面倒で――
なんて思っていると、扉の開く音がする。私はフルーツナイフを入れ直した靴を履き直し、無表情を決め込んだ。
ヘルメットの2人組が戻ってきた。そいつらは戻ってくるなりスマホを取り出した。スマホを交互に操作して見せ合っている。声を出さずにやり取りしているらしい。
それから1人が再び外に向かい、残った1人は立ったまま両手をポケットに突っ込み、じっと私を見ていた。
見張りぐらい付けたっておかしくはない。しかし、今になって? さっき外に出た理由は何?
疑問はいくつもあるが、それを解くのは私の役目ではないだろう。
無駄な思考を繰り返すうち、ふと思う。
そろそろ来てもいい頃だと。
いくらノンビリしてるからって、時間がかかり過ぎなのだ。そうすると、もしかしてこの2人は私――
――ズガァァァァアアン!!!!
ある可能性に、思考が辿り着くことはなかった。
爆発音が、思考を吹き飛ばしたのだ。閉ざされた倉庫の扉がへこみ、爆風が微かに吹く。
突然のことだけど、何が起きたのか理解するのに時間はかからない。
「やっと来た……」
待ち過ぎて嘆きの言葉すら出てしまう、それほど待ち望んだ救援が今現れたのだ。
現れたのならそれはそれで、ヘルメットの2人を制圧してここを脱出する以外に選択肢は無くなった。
「よいしょ」
私は腕に貼った見せかけのガムテープを剥がし、ブレザーの内ポケットからヘアピンを取り出して手錠を外す。
私の見張りをしていたヘルメットの人が何やらたじろいでいたが、私はやっと取り戻した自由な両手で伸びをした。
それから少し考える。
この私を誘拐した人間だ。
もちろんタダでは済まさないし、情報を吐かせて殺すのは確実。
しかし、それにはまず身動きできないようにしなければいけない。
最近色々と溜まってきてたから、ここらで鬱憤も晴らしたい。少女を誘拐するような悪い人を相手にするんだ、そのぐらい構わないよね?
そう思って、私はブレザーの内ポケットに手を入れ――また思考した。
何故私の持ち物を奪わなかった?
ヘルメットの2人は、私の実力を知っての動きをしていた。ならば私が制服や靴、スカートのホックにさえ武器を仕込んでいる――そこまで把握されないだろうが――ことは、容易に想像できるだろう。なのに、何故彼等は何も奪わず、拘束時以外、私に触れなかった?
もしかして私は、この状況から脱出できるかを、試されていた……?
「……そう。なるほど」
頭の中で合点がいった。どうやら、私は勘違いしていたらしい。
誘拐犯の選択肢を"理想郷創造プロジェクト"か、単なる誘拐犯の2択しか考えていなかった。だが、私が試されていて、今日の兄さん達の謎の情報から察した。
トラックを乗り回す? なんでそんなことをしてたのかは知らない。でも、理由の1つとしては――
大型車の方が向いてるものね、誘拐には。
単純すぎる答えではあるし、まだそうだと決まったわけじゃない。だけど、それがもし真実なら、尚更ここに彼女を呼んではいけなかった。
それでも来てしまうのだろう。それは必然とも言える。私が指定区域外に出れば、GPSの情報からアラートが発生し、彼女は私の居場所を捕捉するのだから。
基本的には見つかってはいけない彼女、だがもう遅いだろう。
ガボンと鉄の軋む音と共に半壊した鉄扉が蹴飛ばされ、その少女が姿を現わす。
「おいおいα……捕まってんじゃねーよ」
男みたいな口調の彼女は、身長が170cmを超えたモデル体型で、今の季節に似合う桜色のワンピースを着て、その上から七分袖のジャケットを着た女の子。ロングの私とは違い、髪が肩に付かないぐらいのセミロングの彼女。その顔立ちは――殆ど私と同じだった。
それもそうだろう。
だって私達は――二卵性双生児。
もう1人の私なのだから。
「……β。来ちゃったのね」
「そりゃあ来るさ。潜入担当のお前が捕まったんだ。念の為、アタシもアイツも来てる」
「……アイツって、瑛晴?」
「違う違う。なんでそんな大物がこんな辺鄙なところに来るんだよ。アイツっていうのは――」
もう一人の救援者、その名前を告げる刹那、βが振り返り、右に飛ぶ。その動きに合わせて私も同方向に飛んだ。
一瞬遅れて乾いた炸裂音が響く。それは銃声だった。
続け様に2発、さらにもう1発。私たちに当たることはなく、銃弾は倉庫の鉄壁に穴を開けるばかり。
銃弾は私を見張っていたヘルメットが撃ち出していた。無駄に似合う二丁拳銃は使い慣れたような動きで、トリガーを引いているが、私達に当たることない。
組織の施設で、ゴム弾を避ける訓練は積んでいる。それに、某国にて瑠璃奈様の護衛任務に就いた時は、二丁程度の銃では済まなかったのだ。たった1人が相手ならば……
「2人もいれば、楽勝ね」
私はブレザーの内ポケットから音響弾を取り出し、すかさずヘルメット目掛けて投げた。
ヘルメットは投げた物の正体がわからず後ろに下がるが、音の秒速314mには対処できないだろう。私とβは瞬時に両手で耳を塞ぐ。その動作を見たヘルメットも耳を塞ぎたいだろうが、そのヘルメットが邪魔だった。
キーーーーーーン――
鋭い、金切り声のような高い音が響いた。耳を塞いでいても少し頭が痛い。私達で痛いぐらいなものだ、ヘルメットを被った人物は立ちくらみ、両手をだらりと下げて拳銃を捨てていた。
隙だらけになったその体目掛けて走り込み、勢いのままに私は拳を握りしめ、ボディブローを叩き込む。
ガシッ
「――え?」
だが、拳は奴の腹に届かず、片手で受け止められてしまう。しかも、逆に拳を握られ、ヘルメットの人物は何もなかったかのようにまっすぐ立ち直して私の手を握り潰さんと力を込めた。
何故掴まれた? そこまで単調な動きでも行動でもなかった。音響はちゃんと効いている筈なのに――。
ボスッ
「うはぁっ……」
冷静な思考の傍ら、私は意趣返しのボディーブローを喰らう。鳩尾への一突きで、私は嗚咽を漏らしながら崩れ落ちた。
重い一撃ではあったが、腹に突き刺すように、勢いよく殴られていない。浅い殴打……相手が女故の手加減か、それとも……。
「……αに何してくれんだよ」
その言葉と共にβが短機関銃のvz61をスカートの中に隠したレッグホルスターから抜く。βは戦闘向けに育てられた"私"。軍人のような立ち振る舞いと武器を所持している。だが、このヘルメットの人物には銃の脅しも効かないようだった。
平然と立ち尽くすソイツは、ゆっくりと右手を上げてβを指す。
そして、聞き覚えのある男の声で、一言呟いた。
「後ろ」
その言葉一つで私は痛みも忘れてβの方を見ながら銃を抜き出し、間近に居るヘルメット男に足払いを掛ける。
両足に均等な体重を乗せた立ち方をしており、倒すことは叶わなかったが、こちらを見た瞬間に腹部を蹴り飛ばし、吹っ飛ばす。そして私は立ち上がり、銃をβの方に向けるが、もう遅かった。
ポタリ、ポタリと血が垂れている。
それはβの腕からだった。ナイフが突き刺さり、鮮やかな赤い液体が流れ落ちていく。
苦痛に歪むβの顔、だが、刺した相手の顔も、怒りで歪んでいた。
至る所にすり傷の見られる、スーツの上着を脱いで裾まくりをしたか細い腕がナイフを握っている。
その黒髪と、才子の割に幼い言動の少女。
今鐘悠佳、その人物がさっきを撒き散らしながら、犬歯を剥き出しにそこに立っていた。