第104話:誘拐①
久々更新。
暫くは誘拐編が続きます。
優しい人が悪いことをしようとすると、頭痛と吐き気がするらしい。自分自身に矛盾が生じて、違和感から気持ち悪くなってしまうようだ。
体調が悪い。気分が悪くても、体の調子まで悪くなることはなかった。しかし、それでもやることは変わらないだろう。
「憂鬱そうね。いつものことだけど」
「…………」
5月23日、正午。
ぐったりして屋上のフェンスにもたれかかる僕に、少し曇りがかった椛の声が掛かる。彼女の声が疲れてるのは、僕がダルそうだからというわけじゃないだろう。
僕の顔が不安を助長させたのか、椛は尋ねてくる。
「……どう? 準備の方は」
「……手筈は整えてるよ。あまりにも時間があったから、シナリオさえ書き換えたじゃないか……」
「そうね。でも、それが全て上手くいくとは限らないわ。相手が相手だもの」
「僕達も僕達だろう……」
ため息を1つ吐き、僕はとある鍵を椛に渡す。
彼女は無言でそれを受け取り、ポケットに仕舞った。
「……誰かと一緒にイタズラするのって、初めてなの。ドキドキするわね」
「君のしてきたイタズラに比べたら、程度が知れるものだろう……?」
「構成力が違うわ。例えば、反社会勢力のアジトを爆弾で一網打尽にするだけとは訳が違うわ。人間1人を相手に対し、ここまで引っ掛け回すだけ引っ掛け回す"劇"を起こす……。貴方はやっぱり、役者としての才があり過ぎるわね。それともシナリオライター?」
「……どちらとも違うだろう。僕は、晴子さんのやり方を見て生きてきたから、それを真似てるだけさ……」
きっと、あの人も同じやり方をしただろう。
願わくば誰も傷つくことなく終えたい。悲しみもなく、喜劇として終えられればそれが至上。
それが晴子さんの考えであり、僕も是と言う。
そのためのシナリオと舞台を用意したのだ。
観客の居ない演劇を。
「幸矢くん。私はもっと、貴方が残忍な真似をすると思って居たわ。でもまさか、甘い策を構成力で無理やり深謀に変えた。もっと手っ取り早い手段を使えばいいのに……」
「…………」
目的は"聞きだす"こと。
それだけならとっ捕まえて拷問なりすればいい。椛はそういう考えなのだろう。でもそれじゃあ、なんの知識も知恵もない行為だ……。ならば僕はやり方を変える。
「相手が天才なら、知恵と策略を持って倒してこそ本当の勝利……だろう?」
「そうかしらね。負ければ無意味よ」
「……どうかな」
策の構成は100点満点といえる。その慢心こそ欠点かもしれないが、それ以外に欠点など思いつかない。
まぁ、とりあえず――
「決行しよう。今日だ」
「了解したわ」
交わす言葉はそれで十分。僕と椛はその後の授業をサボり、学校から姿を消した。
◇
誰も居ない放課後の教室で1人、黒瀬美代は前髪をクリクリと捻りながら思考に耽り、短いスカートから伸びる白い足を組んでいた。
目は開いているが、何も見えてはいない。冷静に今の状況を分析していたのだ。しかし、その冷静さも危ういほど、強烈な情報が仲間から入っていた。
それは――
(――兄さんと北野根椛がトラックを乗り回してるって、本当に意味わかんない……)
何かを企んでいる、といえばそうだろう。
なのに、トラックを乗り回しているだけというのはまるで腑に落ちなかった。
そんなことをして何になるのか、若気の至りで不良行為に及ぶような脳でもなく、何か運んでるにしても、入ってきた情報では真澄原をぐるぐる回ってるだけとのこと。
「……誤情報かな。遊びにしても、バカが過ぎるでしょ」
馬鹿らしいと言わんばかりにぶっきらぼうな呟きと共に、美代は立ち上がる。いくつも仮説を立てては逐一仲間から情報を聞いていたせいで時間は下校時刻から1時間が経ち、ため息を吐きながら彼女は廊下に出た。
たまにはこんな日もある、そう思うことで不満をはねのけ、綺麗な立ち振る舞いで階段を降りる。昇降口で下駄箱の靴を履き替える際も、スカートを手で押さえ、お嬢様のように洗練された動作。
家での美代の所作とはまったく別人であるが、それもまた、彼女の姿だった。
外に出れば夕焼け空が出迎え、暖かな5月の世界をゆっくりと歩いていく。校門を出て、まっすぐ駅のホームを目指し、住宅街を歩いた。
「…………」
いくつかの車が彼女の横を通り過ぎる。トラックの情報を聞いていたせいか、彼女は車が通る度にその軌跡を目で追った。それから1度だけ立ち止まり、振り返る。後方からはワゴン車、引越し業者のトラック、ワゴン車と続いた。なんとなくトラックの運転手の顔を見るも、冴えない痩せ型の中年で、その体で引越し用の大荷物を運べるのか心配な具合だった。
そのトラックが彼女の隣を通り過ぎた時、美代はその後ろを見て、1つ唸る。トラックの後ろから来たワゴン車が彼女の横に停車したのだ。
トラックを尾行してた同志か――思考に身を委ねた刹那、美代は腕を引かれた。
「――は?」
思考する暇もなかった。ヘルメットを被った人物が彼女の首に腕を引っ掛け、車の中に引き込んだ。美代はなす術もなく車に入れられるものの、目を細め、怒りを込めた歯をギリッと軋ませる。
右手を掴まれ、背筋を伸ばされている。後部座席には彼女とヘルメットの人物しか居ない。
(――誰を相手にしてると思ってる!)
美代はすかさず左手をレッグホルスターに掛け、腹筋で足を持ち上げて蹴りを放つ。しかし、相手は躱すことなく、ヘルメットで受けた。
ヘルメットはまるで動かない、ダメージになっていなかった。しかし、レッグホルスターからは既に――拳銃が抜かれていた。
無論、普通の女子高生が持っていていい物ではない。だが彼女は"普通"ではないのだ。その証がその銃――露呈した、普通ではない姿。
ヘルメットの人間は抜かれた拳銃に手を伸ばす。しかし、距離が近いとはいえ、拳銃の引き金を引くには十分な時間があった。
拳銃のトリガーガードに指を入れ、クルンと回して銃口を暴漢に向ける。
「くたばれ」
美代が冷たくそう呟いた刹那、事は生じた。
――ブゥゥン!!
「ッ!!」
車が動き出す。まるでタイミングを見計らったかのように。そして少女の銃口は揺れ、ヘルメット姿の人間に腕を掴まれる。両の手を引っ張られ、美代の手はガムテープでぐるぐると巻かれていった。両手を塞がれれば武器も持てず、為す術がないのだった。
《大人しくしていろ》
ヘルメットからそんな声が響く。しかし、声というには無機質であり、雑にミキシングやボイスチェンジャーをさせた録音だとわかる。
美代は叫び声も出す事なく、ただ女か男かわからぬ人物の被るヘルメットを睨みつける。
タイミングを見計らっての行動や用意された音声から、美代は相手がプロの誘拐犯だと察する。ちゃんと頭を使い、無駄な動きもない。なんども誘拐を行い、汚いやり方で金儲けをしていると美代には予想がついていた。
「私を相手にしなければ、もっと生きれましたのに」
「…………」
ポツリと美代が呟く。刹那、拳が飛んだ。
美代の頭が車の後部ドアに叩きつけられる。小さな悲鳴は意味も為さず、美代はゆっくりと起き上がり、呆然としたを見つめた。
《大人しくしていろ》
再び再生されたその機械音に、彼女は反応することはない。ただ後ろ手に縛られたその手で、スカート内側のベルトにある端末のボタンを押し続けていた――。