第103話:煽り
生徒会の選挙は5月26日。それまで少し日があるとはいえ、誰も、何も動きがない。天野川を追っても手掛かりは何1つ無くて、時間だけが過ぎていく。
学校では晴子さんと椛の2人にどうやって時間を割くか考え、下校時間には天野川がどうやって帰るのか見送る。そんな生活が続いてるだけでは、余計なことをし過ぎて疲弊してしまう。でも人間関係は守らなきゃ嫌な思いをするし、天野川に万が一があるのも困る。結論、抜け出せない状況なわけだが、そんな手間の中でも出来ることはあって、椛や晴子さんなんて僕が勉強しながら会話してても気にしないし、天野川の尾行だって英語のリスニングを聞きながらでも出来る。椛も最近になって左右独立型イヤホンを付けて授業中ドイツ語を勉強してるとか言って、この世界の教育はこれで良いのかと思った。
面倒な生活で退屈しないためには、工夫をしなくてはならない。
なるべく悪いことが起こらないように、慎重に、そして自分が楽できるように、得できるように。
それが人間というものだ。
「……今日も収穫なしね」
閉じた扉を見ながら椛が呟く。天野川が帰宅したのを確認すると、僕等はワイヤレスイヤホンを外してお互いの顔を見合わせた。わざわざ電車で往復30分もする場所に寄り道するようになって14日目、特に何かあるわけでもなく、彼も普通に帰宅した。天野川も自宅なら幾らでも罠を張れるだろう。僕等とてそこまでは面倒は見きれず、引き返す。徒歩も含めれば50分ぐらい帰宅が遅れるが、それでも椛は付いてくるし、嫌そうではなかった。
「もう行きましょう。こんな所に止まる理由はないわ」
「……ああ」
住宅街の曲がり角で立ち往生していても無意味で、僕等は家路に着く。近くの駅まで向かい、電車に乗って来た道を折り返していた。
「……もうこんなこと辞めていいんじゃないの? 貴方が天野川の命まで守る必要も義務もないのでしょう?」
「……約束は約束だよ」
「そうね。でも、一高校生にできることなんてたかが知れてるわ。私達は天野川がライフルで狙われても感知なんてできないし、殺されるときはその様を眺めてることしかできない」
「それはそれで、敵を見つけるヒントになるよ……」
電車の中で椛と少し言い合いになる。
なんでもいいから手掛かりが欲しい所、それを狙って何が悪いだろう。
僕の言葉に椛は呆れ、やれやれといった様子で口を開く。
「……よくもまぁ時間の無駄を。貴方は思ったより普通の人だったのかしらね?」
「僕はただの人間さ……優劣で言えば多少優れてるかもしれない……。でも、普通かと言われれば、普通なんだろう……」
「…………」
椛はそれっきり黙ってしまい、イヤホンに耳を傾けていた。それからの会話もなく、僕等は真澄原で別れて僕は重たい足取りで家に戻る。
なんのヒントも得られず、徒労を費やすばかり。確かに自分らしくないことだ。こんな雲を掴むような事、無駄だからやめろと言う椛の気持ちだってわかる。
しかし――わからないものをわからないままにしておくと、恐怖はいつまでも過ぎ去らない。
そして、いろんな人が僕に見つけるよう差し向けている。
僕がその人間の正体を暴かなくちゃいけないんだ。
「――はぁ」
自分の部屋に着くとまず、ため息が出た。部屋に来るまでに、リビングにいた義母も義妹も軽くあしらってきて、それはいつものことだけど、きっと僕自身が少しイラついてるからだと思う。案外自分が感情的で驚きつつも、怒りをぶつける先もない虚構感からため息しか吐けなかった。
だからとて今の時間すら無為にする必要もなく、スクールバッグを置いて荷物を整理していると、背後からこんな声が聞こえた。
「――苦しい?」
僕は顔だけドアの方に向けると、1cmほどドアを開け、瞳を覗かせる美代が居た。煽るだけの義妹からスクールバッグに視線を戻す。不安を助長するだけの人間なんていくらでもいるし一々耳は傾けない。
だけど不思議なのは、僕が歯がゆい思いをしてると美代が知っていること。
彼女は何故僕が面倒で無駄なことをしてると、またはペテン師の正体を掴めていないとわかるのか。
そんなの、情報がリークされてるからに決まっていて――それが誰からなのかも、どういう繋がりなのかも、心ではわかっていた。
でもあえて何も言わず、今の家族の関係も保っている。なのに何故、美代はこの舞台を壊そうとするのだろう――?
「――もしかしたら自分の命すら危ういかもしれない状況なのに、なんで兄さんは今でもお飯事を続けるの?」
真意をついた質問だった。
美代にペテン師の事を聞けばいいだけの話。でも、その結果がどうなるかわからなくて聞けずにいる。
今の舞台を壊したくないから。
「――檻の中に閉じ込められ、牙すら失ってしまったの? 貴方はその程度の人じゃないでしょう?」
嫌な悪魔の声がする。それでも心のどこかで、コイツは普通の人間なんだと欺瞞する自分がいた。
普通に考えれば、どっちだっていい事だ。義妹が変な組織に属していようと、殺されるわけでもあるまいし、別に構わない。
だけど、僕をどうにかしたいと思って行動してるはずで、僕の周りで異変が生じてるのだろう。僕は単純な駒じゃない。思い通りに進めようとしたとて、僕がゴールに行くとは限らない。でも――
「君達みたいに答えもゴールも、行き着く先が見えてる人間はいつもそうやって人を唆す。そしてゴールと、いい具合の落とし所を用意して、僕達を駒にしてすごろくをやる。ゴールがどこかわからない僕達を、君達はサイコロを振って無理やり進める……」
今みたいな唆しも、きっとサイコロを振ってるだけなんだろう。この対話すら何かのヒントで、きっと――
美代本人は、ペテン師じゃない。
「どんなサイコロを振ろうと、君達の勝手だよ……。でも、君達も振られるということを覚えておけ……」
「…………」
返事がなく、僕は振り返る。既に美代の姿はなく、45°以上開いたドアだけが寂しげな軋んだ音を立てていた。
助言にもならない戯論だけを残したわけじゃないだろう。僕に牙を立たせろと言いたかったはず。でもそれは美代を攻撃しろということで――。
――ペテン師。
正体がわからず、顔も姿も変わる人間。
……なるほど、僕にやらせたいことはわかった。しかし……僕は僕なりのやり方でやらせてもらおう。
「道具は……」
僕は立ち上がり、胸ポケットの中にあるキーホルダーを取り出す。月額で借りてるロッカーボックスのキーだ。物は買ってある。
喧嘩を売られたのなら仕方ない。買ってやろう。
「……やるなら」
丁度いいのは、生徒会総選挙の3日前だ。それまでは今の無為な生活を続けよう。上から人を転がすやつを仰天させる道化師になるのも、一興かもしれない。
プランを練るには及ばない。何をどうすればいいかなんて、この頭脳ならわかるから。
だから僕は今日も変わらない。美代の言葉で変わることもなく、勉強をするだけだった。