第102話:根回し
平成最後の更新です。
翌日、僕は平然と学校に行き、休み時間の間と放課後は天野川を遠目に監視していた。そのオマケに、何故か椛が付いてくる。
「……数日はこんな日が続くけど、君はそれでいいの?」
「構わないわ。どうせ貴方が居ないと退屈だもの。それに貴方も、同級生の女の子とお話ししてる方が自然でしょ?」
「……要らない気遣いだよ。相手が競華並みなら、僕の天野川への監視はとっくにバレてる……」
「なら、続ける意味もないんじゃなくって?」
「……天野川に危険がないよう、監視してるだけさ」
天野川は大した情報を持っていなかったけど、知ってる事は話したし――今日は今鐘と下校している。その後を僕らが尾けているわけだけど、ペテン師への裏切り行為には変わりないし、制裁措置を受けても仕方ない立場のはず。だから、しっかり監視しているわけだが……。
周りは住宅街、高層マンションもチラホラ建っている。150m以上離れたビルの屋上からライフルで頭を撃ち抜くなども、常識外れだが不可能ではない。実際に抗争ではあり得る。
しかし、殺すほどに重い内容を話したわけでもないし、手間を掛けて騒ぎを起こすこともない筈。
だから直接、何らかの形で襲うだろうが――現状、何も変化はなかった。
「ペテン師と唯一接触のあった天野川を追う気持ちはわかるけど、こうも得られるものが無いと辛いわね」
「手掛かりが何一つないんだ……彼を追うしかない」
姿も声もわからない相手だからヒントになる人間を追う以外出来ることもなく、こうして天野川を見ているだけになる。歯痒いけれど、仕方がないのだ。
「……本当はヒントになりそうな人、もう1人知ってるんでしょう?」
「…………」
突然の椛の言及に、僕は沈黙した。ヒントになりそうな人、そんなのは知らない。競華はもう吐かないだろうし、アリスもヒントをくれた。理想郷組はこれ以上言わないだろうし、接触するかもしれないが、尾けられるとは思えない。
「……幸矢くん。貴方が今、思い浮かべてる人を当てましょうか?」
「……何さ。何が言いたい?」
「……競華やアリス、ましてや晴子さんもヒントにはならない。でも、怪しい奴は1年生にもう1人居る」
――わかってるんでしょう?
――貴方に一番近い人じゃない
妖艶な眼差しで尋ねる彼女の声に、僕は反応できなかった。
その可能性が大いにあり得るのをわかっていても、陽気で、冗談ばかり言って、まだ幼さの残るあの子を疑うことが――僕にはできなかったから――。
◇
「人間関係というのは、1人がバカするだけで呆気なく崩れてしまう。たった1度の落ち度で、だ。大事な取引を失敗したり、告白に失敗すれば、人生は崩落する。……人生とは、どうしてこうも難しいのだろうな。失敗をすれば、法で罰せられるのか? 否、いっそその方が楽だっただろう」
目の前にあるコーヒーカップをプラスチックのしなるマドラーでクルクルかき混ぜながら、人の失敗について滔々と語る競華。その姿をテーブルの上に両ひじをついて微笑みながら見守る太陽の少女が、ぽつりと感想を漏らした。
「……珍しく饒舌だね。人生が辛いなんて良く知った事だよ。ミスを無くすために大人は、子供達に100点を要求するんじゃないか」
「勉強で100点が取れれば何事もミスなくこなせるのか? 一流大卒なんて我が社にはそこかしこに居るが、ミスする奴はミスをする。生き方、考え方、知識、様々な要素が合わさって素質が生まれ、人間の判断力を構成する。つまり、100点なんて意味はない。それに――1点のミスがために、99点を取っても悔しがり、失敗だと言う輩もいる。人間関係もそうだ。1つのミスで見え方が変わってしまう」
「……確かにね。美しい絵画の端っこに塗り残しがあったなら、それは複雑な思いになる。けど、それが何だと言うんだい?」
検討もつかないと言った晴子に、競華はマドラーを晴子に向けて答えた。
「今の貴様等の事だ、晴子よ」
「…………」
沈黙が訪れる。しかし、それは晴子が絶句したからではない。寧ろ、晴子は心の奥底で理解していたのだ。
曖昧な晴子の心を、競華が理路整然と説明を始める。
「貴様は今、黒瀬美代に人間関係を掻き回されている。幸矢への想いを浮き彫りにされ、北野根や幸矢との関係を筆頭に、生徒会の仕事も疎かだそうじゃないか」
「仕事はしっかり片付けてるよ。少し、ぼんやりする時間ができただけで……」
「呆れるな。貴様の口から聞きたくなかった言葉だ。よもやこのような乙女が我が好敵手なのだから、世の中というのは色即是空という」
「そこまで言わなくてもいいだろう……人間だし、恋もする」
「私はしなかった」
「……キミは比較になる人生を送ってないだろう」
苦笑交じりの晴子の言葉を聞き流し、競華は再びマドラーでコーヒーをかき混ぜる。それが意図するものは、人間関係を搔きまわすというもの。
「悪を滅しなければいけないのはな、1人居るだけで皆が違和感や不快を感じるからだ。邪魔者をずっと視界に置いておく義理も必要もないだろう?」
「私に美代くんを始末しろと?」
「物騒な言い様だな。私達が貴様に求めるものは殺す能力じゃない。人を変える能力だ。その対話の力、人徳、知恵……一体なんのためにある?」
「随分と買われてるねぇ……」
ため息をつくほどに億劫な内容で、晴子はどうしたものかと考える。普通に考えれば、美代に悪い所はない。兄の恋を心配する可愛い少女として見られても不思議ではない。強いて言えば空気をもう少し読めれば――という事だろう。
だから、本当に変わるべき、やるべきなのは――。
「私自身が変わる事が先決なのだろう? 幸矢くんとの関係を明確にするべきだ」
「それができるなら、早くしてほしいものだな。我々が貴様を理想郷組引き入れるために躊躇するのはその点のみだからな」
「入りたいなどと一言も言ってないのだがね」
やんわりと組織の加入を断る晴子だが、競華はそんなことに関心を見せず、話を続けた。
「恋、恋か。数多くの人間たちが裏切りと失望に苛まれてきた行為をそこまで溺愛できるとは、理解に苦しむ」
「キミは、技術は裏切らないと確信して技術を手にした。そのハッキング能力も、仕事の力も、たいしたものだろうね。……でも、絶大なる力を振りかざして他人から傷つけられないようにするのみでは、真に人間とは呼べないよ」
「人間関係でのイライラなんて私でも感じる。私だって傷つくさ。人間が2人以上生きている限りな」
「……そうだね」
人間は不快を感じるセンサーが敏感になり過ぎた。そのために簡単なことで不安を感じ、怒りをあげる。人と関わらないと生きられぬこの社会で、小さな怒りはいくらでも感じてしまうのだ。
競華とて、当然例外ではない。
「まぁ、そういう意味では1人で居ると気楽でいい。私は寂しさも感じないしな」
「……1人と言う割には組織に所属しているし、私たちのような友人もいるじゃないか。そりゃ寂しさもないよ」
「……私の話は置いておけ」
競華は視線を逸らし、かき混ぜ過ぎたコーヒーを一気に飲み干した。砂糖もミルクも無くただ掻き回されたコーヒーは苦いままで、競華はピクリと頰がビクついた。しかし、嫌な気持ちを顔に出さず、彼女は立ち上がる。
「くだらない話で時間を取らせて悪かったな。金は置いておく」
「フフッ、くだらない話なんかじゃないだろう? キミは態々教えてくれたんだ。私も手を打つよ」
「…………」
競華はそのまま動かなくなり、そして晴子に尋ねる。
「どう出る? 奴は尻尾を出さんぞ?」
「私も言葉で引っ掻き回すとするよ。行動は幸矢くんに任せる。これも成長に繋がるだろう」
「そうだといいのだがな」
不安を口にし、競華はそのままファミレスを後にした。残された晴子は軽くテーブルの上を整理し、1つ小さなため息を漏らすと、窓の外を眺め、これからのことを考えながらポツリと呟く。
「それもまた、1つの兄妹の形か……」
思い浮かべるは黒瀬の家の2人、新しく出会った少女と幼馴染の少年。2人のそれぞれの目的も違い、晴子や快晴、その他に誰か巻き込んで賑やかにするだろう。
ならば晴子の方針は決まっている。
せめて仲違いするようなことはなく、可能ならば皆で笑いあえる未来を作る。
心構えを1つ立てると、彼女は微笑み、そっと席を立つのであった。