第94話:目まぐるしい朝
翌日、登校時刻。僕の横には、当たり前のように美代が並んで歩いていた。昨日とは違って曇り空だけど、それは僕の心を表していた。
「ぬおおお、世界が広いいいい」
「……朝からご機嫌だね、美代」
両手を空に広げ、なんの意味もないことを言う妹に皮肉交じりの言葉を呟く。元気なのは結構だが、隣に歩いて欲しくなかった。
「いやー、兄妹で登校とは良いもんだね。兄さん、カバン持ってよ」
「……荷物持ちじゃないんだけど?」
「いいじゃん、どうせ筋肉余ってるんでしょ?」
筋肉が余るって何事だろう。そう思いつつも、美代が無理やり押し付けてくるスクールバッグを、仕方なく持つことにした。はたから見ればシスコンかもしれなくて、やるせ無い気持ちになる。
「……それにしても、まだ7時半だろう? 美代、中学の頃なら、まだ着替えてもない時間じゃないか……」
「新生活だから、その辺は心機一転したよ。環境に対応できないと、置いてけぼりになっちゃう」
「だからって、僕に合わせなくてもいいのに……」
美代は僕の顔を見上げ、数秒黙ってから小首を傾げて呟く。
「……嫌だった?」
「…………」
正直、得体の知れない少女を常に身近に置いておくのは危険でしかない。だけど、家族だし、美代も僕を受け入れようと頑張る気持ちを無碍にしたくないから――
「そうじゃなくて、僕が合わせるよ……。早く行っても、仕方ないだろう?」
「……。ふーん、じゃあ8時に家出ようか」
「それは遅刻ギリギリだから……」
もう少し早く、じゃあ7時50分。
そんな兄妹らしい会話をしながら学校へ向かう、優しい朝だった。
◇
時刻は8時、席は前から2番目の中央付近。席が前過ぎるし、隣に晴子さんが座っているのはどうも居心地が複雑だった。良いのか悪いのかわからなくて。
高校生なのに、朝から席に座って新聞を読む晴子さんは、話しかければ会話に応じてくれる。ただし、新聞から目を離さない。あと5分もすれば速読で読み終わって、顔を見て話せるんだろうけども。
「果たし状を貰った」
だと言うのに、横からは業務連絡みたいな口調でとんでもないことを言われた。
果たし状、昨日一緒にいたから美代ではない。他の1年か、椛か、それとも……。そんな思案を巡らせなくても、横から無機質な声で正解が言われる。
「送り主は1年生だ。ワープロ文書を印刷して、私の下駄箱に入れてた。1年生とは書いてあったから、新1年生なのだろうね」
「……対決の内容は?」
「さぁね。場所は井之川公園だから派手なことはしないと思うけれど、1対1をご所望のようだ。今回君は来なくていい。私1人で対処するさ」
「……遠目から見てるよ」
「ははは、授業参観じゃあるまいに。それなら椛くんも連れてくるんだね。場所についてもおいおい話すとするよ」
バサリと晴子さんが新聞を捲る。昨日は不発だったけど、今日は競華の言ってた1年生と戦うらしい。どうなるか不安だけど、彼女が屈する姿は想像できない。なんだかんだで大丈夫だろう。
「……変な所で有名だね、晴子さん」
「ああ。戦いなんて勘弁して欲しいのだがね。私だって、平和に暮らしたいのだ」
ため息を吐き、晴子さんは読み終えた新聞紙を置いた。綺麗に畳んで机の中に仕舞うと、体ごと僕の方を向いた。
「人は何故戦いたいのだろうね。他人と比較して、優位性を保たなければ生きられないのだろうか。自分の強さを誇示したとして、その先に何があるのだろう。"自分には力があるから他人を支配できる、支配できないなんて許さない"。そう思う輩のいかに多いことか」
悲しい声での呟きに、僕は目を背ける。支配欲なんて誰にでもあるもので、人をコントロールしてないと気が済まないんだ。それこそ晴子さんの得意分野ではあるけれど、彼女は人の顔を踏みつけて歩きたいわけではない。
人と戦ったとして、敗者をことさらなじったり、尻に敷いたりしない。でも普通の人は、弱い人を傷つけて傷つけて、それで平気な顔をして生きている。
「支配とかコントロールって、傲慢さを助長させるだけだと思う。それは支配が人を酔わせるから。私が酔わないのは、蓄えた知識と、君達のように介抱してくれる友人がいるおかげ。それがなく、ただ破壊の知識だけある者なら、破壊と支配を及ぼすのだよ」
そう言って晴子さんはブレザーの内ポケットから、僕の渡したレンタルボックスの鍵の予備を取り出す。
つまんで僕に見せつける黄金色の鍵は、薄くて簡素で、壊れないか心配だったけど、刃こぼれしてる様子を察するに、心配はいらないようだ。
「既に、少し物を借りてある。ふふふ、キミのチョイスはなかなか面白かった。どうせ戦うなら、ユーモアに溢れる戦いが好ましいね」
「……どうだかね」
雷汞の件は晴子さんの耳にも入ってるはずだ。相手は手強い、ラクには勝たせてくれないだろう。
まぁ、死ななければいい。どうせ勝つだろうから、僕は割とどうでも良かった。
「……わかってはいたけれど、あまり心配してくれないのだね」
「……え?」
「どうでも良さそうな顔してたからさ。相手は平気で爆弾を使うだろう? ちょっとは心配してくれてもいいだろうに」
「…………」
急に拗ねた態度をとる晴子さんについて、僕は頭を回して発言の意図を読み取る。なんで心配してもらいたくなるのか、それは美代のせいで僕を意識するようになった、か。だとすれば、わざわざそれを口にするのは良くないだろう。
「……ごめん。本当は心配だよ。危なくなったらすぐ援護するから」
「……気休めの言葉はいらぬよ。すまぬ、私がどうかしてたのだ。信頼があるから心配なんてしないのに……どうも私のペースが崩れてる。少し落ち着く為に散歩してくるよ」
「はぁ……」
そう言うと、晴子さんは立ち上がって教室の外に出て行った。彼女らしくない曲がった背中を見送ると、入れ替わるように美代が現れる。
「……追いかけなくていいの?」
不思議なことに、そんな事を聞いてきた。義妹は居なくなった晴子さんの代わりに隣に座って、僕の顔をずっと見てきた。
僕は一瞬だけ時計を見る。8時2分、そろそろ他の生徒も登校してくるだろう。クラスメイトが来る前に、美代を追い返したい。そのためには、僕が出ていくのが最善、か……。
でもその前に、美代には質問の理由を聞いておく必要があった。
「どうして、キミがそんな事を言うのさ……? 僕と彼女の中を引き裂きたいなら、今の晴子さんに有る事無い事言えばいいのに……」
「そうじゃないんだよ。私がやりたいことは」
「……?」
それはつまり、中を引き裂きたいわけじゃない、ということか。美代が僕に好きと言わなきゃいけないのは義母の後押しもあるだろうが、自分の目的のためでもあるのだろう。でも、僕と結ばれたいなんて美代は思ってないようで、目的が知れなかった。
しかし、美代は僕が質問する前にはぐらかして意地悪な質問をぶつけてくる。
「好きなんじゃないの? あの人のこと」
「…………」
「兄さんの本心はわからない。でも、追いかけないと逃げちゃうよ? それが恋愛でしょ?」
「……愛はそれだけじゃ語れない。恋愛が男女間で最も尊いという幻想は、昨今の風潮が生み出したもの。もっと凄いものがあるから、わざわざ追いかけたりしないよ……」
「……そうだよねぇー」
美代は晴子さんの机に遠慮なく肘を乗せ、頬杖をつく。そんな勝手な事、怖くて誰もしないんだけどな。豪胆さだけなら誰よりもありそうだ。
「あのさぁ、兄さん? 晴子さんとか抜きにして、将来結婚したい?」
「……。……どっちでも」
「黒瀬の血を絶やさないでよねー」
「さぁてね……」
瑠璃奈もあんなだし、血は絶えるかもしれない。この血筋に意味があるかと言われれば無いと思うし、絶えようが構わないけれど。
「私は血の繋がりがないし、ここで途切れさせるには惜しすぎるんだよ。兄さん、頑張ってね」
それだけ言うと、美代は立ち上がってドタバタと廊下に出て行った。昨日から恋愛系の話をしてくるくせに、今日はさらに話が飛躍して結婚話までしにくる義妹。余計なお節介も大概だとため息を吐いていると、またもやクラスに来訪する者があった。
「妹さんね?」
「…………」
椛は教室に入ってくるなりそう言って、僕の前の席に座った。それから僕の方を見て、首を傾げてくる。仕方ないから、僕は答えた。
「……そうだよ。君がすれ違ったのが義妹の美代だ」
「可愛い子ね。あんな妹なら、私も欲しいかも」
「冗談を……。いつ寝首をかかれるか、わかったものじゃない……」
「と言いつつ、もう何年も一緒に住んでるんでしょう?」
「…………」
否定することはできなかった。頭角を現したのは最近のことだし、目的があって力を示し出したんだろうが……。
「……本当、何が狙いなのかわからないな……」
「妹さん? 何か言われてるの?」
「……黒瀬の血を絶やすな、将来誰かと結婚しろ、って」
「…………」
椛は顎に手を当てて考え込む。結婚しろ、という言葉よりも、血を絶やすな、の方で眉が跳ね上がったため、血の方が重要と判断したらしい。晴子さんと付き合うか白黒つけろって話を含めれば、結果は違うのかもしれないが……。
「……家系のまつわる話?」
椛が顔を上げて尋ねてくるも、僕にも検討がつかないので首を横に振るのみだった。
「さぁ……頭の良い血筋なのは察しがつくけど、血を絶やすな、と言われるほどとは思わないね……」
「どうかしらね。優生学でいえば、貴方のような人が子孫を残し、世界を変えていくのが望ましいんじゃないかしら?」
「……僕は、偉い人になりたいと思わないよ。身の回りの人が幸せになる程度に努力する……それができれば、後は適当にやるさ」
「フフッ、その中に私は入ってるのかしらね?」
「……直接言うつもりはないよ。感じ取ってくれ」
「なら、わたしの都合のいいように解釈しておくわ」
ニコリと笑顔を僕に向ける椛。まぁ、その解釈は間違ってないだろうし、僕は否定することもなかった。
やがてクラスに人が集まり始めると、晴子さんも帰ってくる。疲れた様子はなく、笑顔で教室に入ってきた。彼女が現れると、クラスの人は一様に彼女を見て騒つく。同じクラスメイトなのだから、何も気にすることないのに。
目の前にいる椛は、近付いてくる晴子さんの顔をずっと見ていた。微笑んでる晴子さんとは違い、椛は悪役の似合う笑みを浮かべている。なにがそんなに楽しいのか……そう考えていると、晴子さんが僕の机の横で立ち止まる。
……席に座ればいいのに立っているのは衆目を集めるためだろう。人目を引いて僕と話すこととは、なんだろうか?
そうやって晴子さんの顔を見上げるも、彼女は僕を見ていなかった。見ているのは椛で、その顔はw顔なのに僅かにひきつっているようにも見えた。
……なんだろうか、少し威圧的な笑みにも思える。椛を退けたい……いや、何か違う。
「……相変わらず、仲がよさそうだね」
「…………」
「…………」
皮肉のあるその言葉に、僕は少し戸惑った。それは椛も同じようで、僕と目配せをする。
間違いない。
晴子さんは、怒っているようだった。