第91話:恋敵
義母には美代を見つけたこと、夕飯を食べて帰ることを伝え、僕と美代、晴子さんの3人でファミレスに入った。僕が一緒だと晴子さんの印象を傷つけそうだったが、僕が改心した事を前提に話せば問題ないとのこと。
それはさておき――
「晴子さん……どうせ、うちの父さんが再婚したこと、知ってただろう……?」
「まぁね」
向かい側に座る晴子さんに尋ねると、短い答えが帰ってきた。もとより隠し通せるとは思ってなかったし、それ自体は構わない。しかし、隣に座る義妹は先程から僕の腕にしがみついており、コレの存在がバレるのは恥さらしの他に形容しがたい。
「それで……2人で何を話してたのさ? 誰も居ない体育館で……」
「幸矢くんの側から離れろ、と言われてね。それから少し言い合いになったのさ」
「…………」
僕は、腕に寄り添う義妹に目をやる。普段はこんなにベッタリとしたスキンシップを取らないのに、今日はこんなに近くに居る。つまるところ演技なんだろうが、その真意を考えると、矢張り義母の言いなりだから、かな……。
「言い合いじゃないですぅーっ。お願いしただけですぅ〜っ。可愛い可愛い後輩からのお願いデェース」
「……美代、もういいから」
「何がいいんだよ兄さん! 私は許せないんだよ! この泥棒猫!!」
「……生まれて初めて言われたけど、不思議と笑いがこみ上げてくるね」
表情にはいつもの笑みを浮かべているが、晴子さんの肩が笑っている。何が泥棒猫だ、美代より何年も前から好いてくれているのに。
「……入学早々、生徒会長に迷惑かけるんじゃないよ」
僕は美代を腕から引き剥がしながら言うも、美代は頬を膨らませながら正論で返してきた。
「むむーっ。恋に人の肩書きなんて関係ないでしょ。新入生だろうと、生徒会長だろうと」
「……そもそも君の話は、いろいろと不自然なんだよ……。家での態度と今の態度、全然違うし、なぜ急に豹変したのか……。それに――」
僕は家で、一切晴子さんの名を口にしなかった――。
僕がそう言い切ると、美代の口元が三日月のように歪む。いつの間に僕の交友関係を調べた? 勿論、僕のスマホのSNSを盗み見ればすぐにわかることだ。だけど、そうならないように常に部屋に置いたり、持ち運んでいた。使いはしないが、風呂場にも毎回持って行ってる。パスコードだってかけてあるのに――。
「……中学の頃、兄さんがよく話してたからだよ。たまーに、こっそり教室へ見に行ったから」
「……そう」
真偽は怪しいが、一応納得できる理由が出た。今はそういうことにしておこう。晴子さんも無言で頷いていたから、それでいい。
「……兄さん。私は純粋に兄さんが好きだよ。それの何がいけないの?」
「…………」
「……無言で居ても、辛いだけだよ?」
「……辛いのは、どっちだろうね」
ビシッと、美代のおでこにデコピンする。彼女は僕の鈍い腕を避けようともせず、デコピンを食らって少し仰け反った。痛くないだろうに、何故か奇声を発する。
「むぉ〜っ」
「家族関係がただでさえ複雑なんだ……。君の気持ちがどうであれ、僕は家族を演じるのが、精一杯だよ……」
「むぅむぅ。別に、兄妹の仲が良くて悪いことはないでしょ?」
「行き過ぎた愛は、世間体的に悪いんだよ……」
「そういうものですかねぇ。深夜アニメでは"お兄ちゃん大好き!"な妹キャラいっぱいいるよ?」
「知らないよ……。それとこれとは、別問題だろう……」
どこまでも食い下がる義妹に、僕はため息を吐いた。いつもは気楽に、何も考えてなさそうな顔で話しかけてくる美代が、今日は視線が熱く、目もよく開いている。――頭をフル回転して会話をしている。晴子さん相手に、何故……?
それに対して、晴子さんは微笑を浮かべて僕達を見ていた。大樹の側で木漏れ日に当たりながら耳元に手をかける時みたいな、そんな優しい笑み。
何が微笑ましいのだろう。美代に裏があるのは明白、それを知ってなお、彼女はこの問題を微笑で済ませられるのだろうか?
「こっちを見る!」
両手で顔を掴まれ、美代の方に視線を戻される。ムキになる彼女だが、それとは関係なく痛かったので、僕も彼女の顔面を鷲掴みにして少し力を込めた。
「痛いです、痛いです! 児童虐待反対!!」
僕の手をどかすために彼女の両手が離れると、僕も手を離した。高校生のくせに児童とか口にするとんでもない妹だが、話を思いっきり逸らされてしまった。これで良いのだろうか? そう思って再度彼女の顔を見ると、視線が合う。そらす暇もなく、彼女は口を開いた。
「あまり暴れるんじゃないよ。ここは人の目もあるからね」
「……それ、美代に言って欲しいんだけど」
「妹の不祥事は兄の不祥事、責任を持つのはキミだよ」
「……と言っても、僕じゃ美代をコントロールできないよ」
「はは。年下や弟妹だからコントロールできるなんて考えはおこがましいのさ。人間は反抗心があるからロボットにならずにいられるんだ」
「……まぁ、そうだね」
反抗しなければ、人間はイエスマン、ただ言われた通りのことを行うだけ。それは機械と変わらない。でも、今は反抗心を出して欲しくないんだ。周りの目もあるし、話の内容が内容だし……。
「……美代くん」
改めて美代の名を呼ぶ晴子さん。そこで美代は坐り直し、言葉を返す。
「……なんですか?」
敬語だけど生意気な声、晴子さんは気にする素振りも見せず、優しい瞳と優しい声を美代に向けた。
「――キミには、悪いと思う。だけど、それでも、私は幸矢くんの側を離れたくない。彼は私にとって、本当に大切なモノの1つなのだ。長い時間、一緒に居た。もはや私の体の一部と言っても良い。そしてそれはきっと――彼にとっても同じこと」
「…………」
チラリと美代が僕の顔を覗く。否定する謂れもないので、僕は静かに頷いた。美代の顔が、この世の終わりみたいになった。
「……私と彼は離れられないよ。自分の体を切断するわけにはいかないからね。……だけど私は、キミと幸矢くんが恋仲になったとしても、それを止めないよ。キミと幸矢くんが付き合って、結婚したって、私の幸矢くんに対する想いが変わることはない。――悔しいけどね」
「……ッ!!」
大きな物音が、近くで響いた。美代がテーブルを叩きつけて、立ち上がった音だった。
「……帰ります」
「…………」
「美代……」
美代は僕が止める間もなくカバンを持ち、ファミレスから出て行った。僕達は足が速い、追い掛ければすぐ追いつくだろうけど、そんなことはしない。
彼女が怒った理由は、僕にはわからない。だけど、晴子さんはわかっているんだろう。怒らせなければいけなかった理由も――。
「…………」
「しかめっ面ばっかりしてないで、落ち着きたまえよ。せっかく2人になれたんだ、話そうじゃないか」
「……ああ」
何を話されるのか不安だけれど、僕は晴子さんの言葉を聞くことにしよう。体の一部とまで言われたんだ。今ここで、僕が逃げ出す理由はない。
僕は座り直すと、追加注文を頼んでから、晴子さんとの対話を始めた。