森の仲間
昼過ぎて、千春は雪登に連れられ、山の中へと入っていく。
「……平気か?」
前を歩いている雪登が顔だけ、こちらに向けて尋ねてくる。
「はい、大丈夫です。元気だけが取り柄なので」
「そうか」
そんな心配でさえも、千春にとっては貴重だった。心配してくれる人間なんて、今まで居たあの場所には殆どなかった。
……それにしても、何所に行くんだろう。
社まで登ってきた道のりとは別の獣道のような山道だ。所々、足場が悪いので、足を取られそうになる。
そんな時だ。
目の前に居る、背中に何となく見とれていた瞬間、千春の右足がずるっと土と一緒に滑った。
「あっ……」
だが、滑って転んではいなかった。何か空を掴むように宙に出した左手が、雪登の右手にしっかりと握られていたからだ。
「……大丈夫か」
そのまま片手で引き上げられ、立たされる。
「汚れてはいないようだな」
雪登は千春の足元辺りを見る。どうやら、雪登のおかげで、着物を汚さなくて済んだようだ。
それどころか、怪我さえもしなかった。
「え、あっ、すいませんっ。お手を煩わせてしまって……」
「いや。怪我が無いようなら、いい」
そう告げ、雪登は手を離す。
まるで、何事もなかったかのように。
「あ、ありがとうございました」
「目的の場所はもうすぐだ。あと少し頑張ってくれ」
「はい」
返事しつつも、千春は先ほど握られた左手をそっと、触れる。そこには熱があった。自分のものではない。彼の熱がそこにはまだ残っていた。
「…………」
何だろう。
少し、心の中に霞みがかったように、複雑で。
でも、なぜだか嫌ではなかった。
「着いたぞ」
斜面を登りきったその先には、少し開けた場所だった。背の高い木々が重なり合い、その隙間から木漏れ日が溢れている。
そして、小さな泉には、動物達が水を飲み、休んでいるようだ。
心が穏やかな場所にも関わらず、遮るように明るい声が響いた。
「狗神さまだーっ!」
子どものような高い声。
それにつられるように、他にも様々な声が上がる。
「おう、おかえりなされたか」
「みてみてっ! さっき大きな魚を捕ったのー!」
「ん? そっちにいらっしゃるのは、どちらさんですかい?」
その声の主達を雪登は無言で宥めている。
「人間?」
「あっ、もしかして、この前言ってた嫁さんじゃねぇの?」
「狗神さまのお嫁さん? じゃあ、お祝いだっ!」
「わーいっ!」
声の正体は泉で水を飲んでいた動物達だった。
その場に居るのは猿に狸、兎に鹿だった。
「ど……動物が……」
千春はあまりの事に驚いて上手く喋れない。
動物が言葉を話す。通常なら有り得ない事だからだ。
「この山の存在は神域に近い。そのため、動物にも少なからず、その影響があるようだ。理由ははっきりとしていないが」
雪登は平然と答えながら、その場に片足を着けて、一匹の狸の頭を撫でる。狸は気持ち良さそうに小さく鳴いた。
「ただいま、ぽん吉」
「おかえりなさっーい! ねぇねぇ、狗神さま。その人がお嫁さんなの?」
ぽん吉と呼ばれた狸は雪登の手から離れ、千春へと近づいてくる。一瞬だけ、雪登は黙る。
だが、何もなかったように答えた。
「そうだ。だからあまり、からかったりしてはいけないぞ?」
「もう、分かってるよー。ねぇねぇ、お嫁さん! ぼく、ぽん吉! お嫁さんは何て名前なの?」
無邪気に、だが、まだ子狸なのか、どこか愛らしさも備えた表情で尋ねてくる。
それに少し戸惑ってしまったが、千春もぽん吉の目線に合わせるように座り、微笑んだ。
「え、えと……千春、です。まだ何も知らない不束者ですが、どうぞ宜しくお願いします」
丁寧に答えて頭を下げると、さすがの動物達も驚いた様子だ。
「こりゃ、人間さまに頭下げられるたぁ、滅多にねぇぞ」
ぽん吉よりも少しだけ体の大きい猿が呟く。
「あぁ、人間さま……いえ、千春さま、どうか我らみてぇな獣相手に頭なんて垂れないで下せぇ」
いつの間にか、鹿さえも近づいてきていた。
鹿の頭に乗っている子兎も小さくつぶらな瞳をぱちくりさせている。
「え? あ、あの、でも……挨拶くらいは……」
千春は困り顔で雪登の方を見るも、彼は小さく肩を竦めただけだった。
「……中々図太いお方のようだな。我らが話せばそこらの人間の大人だって、目ん玉飛び出るようにして、ひっくり返るってのに……」
感心しているのか、呆れられているのか、だが何故だが千春は気恥ずかしい感じがした。




