山の社
普段、山に入る者は限られている。薬草や野草などを採取しに来る者しか、この場所には訪れない。
別に入ってはいけないと決まりがあるわけではないが、「神」が居る事に気が引けて、中々山へと足が向かないだけだ。
その山を今、自分は登っている。それほど険しい道のりではないが、山登りは足が慣れていないためか、上手く歩く事が出来ないでいた。
だが、足が遅くなる自分を雪登は決して無理はさせずに、ゆっくりと登ってくれた。
しかも、度々振り返っては自分を気にかけてくれる。そこに、言葉や行動がなくても、彼なりの優しさがあった。
暫く歩き、平坦な道の続く先に雪登が住んでいる社は佇んでいた。社自体は普通の民家と変わりなく、建てられてから、月日が経ってはいるが、とても大切にされているのは見て分かった。
恐らく、丁寧に使われているのだろう。
「荷物は奥の方に置いていて構わない」
社の中もやはり、どこにでもあるような民家と同じだ。千春が興味深そうに色んな所を眺めていると、雪登は少し眉を寄せてこっちを見ていた。
「どうした?」
「へっ?あ、いえ!……その、社と聞いていたので、思っていたよりも人間らしい物が多いなと思いまして……」
「……狗神と言えど、半分以上は人間だ」
雪登はふいっと向こう側へ顔を向けてしまう。
「あっ、もしかして……嫌、でしたか?その、ご気分を悪くしてしまったのなら、謝ります」
「いや、良い。気にするほどではないし、慣れている。それより、早く上がれ」
「はい……」
言ったとおりに気にしていないのか、彼は湯のみを取り出す。
それに何か壺から匙で掬い取ったものを入れて、水瓶から水を注いでから囲炉裏に敷かれた座布団の目の前へと置いた。
「飲むといい。体の疲れに良く効く」
「あ、ありがとうございます」
急いで床へと上がり、荷物を端に置いてから座布団に座り、何かが注がれた湯のみへと手を伸ばす。
「……怪しまないのか」
「え?」
「何が入っているのか分からないのに、躊躇わないんだな」
「それは……わたしを気遣って淹れてくださったのですから、頂かないと失礼ですし……」
「……そうか」
小さく呟くと、雪登はまた顔を逸らし、自分の湯のみへと口を付ける。
彼は上手く態度に表せないだけのようだ。それでも、優しい事には間違いない。
口元を緩ませながら、千春は自分に出されたものに手を付けた。
「……甘い。あ……あの、甘くてとても美味しいです」
「蜜と薬草を煮込んで作った。病気の時の滋養にも効く」
「そうなんですか」
「……あぁ」
お互いを知らない間柄だと、やはり会話は上手く成り立たないものなのだろうか。
千春は元々、おしゃべりが得意ではないので、話題を出す事が苦手だ。しかも、相手が神という立場があるため、余計に気を張らねばならないのかもしれない。
「……良かったら作り方を教えるが」
目の前の雪登は相変わらず、違う方向を向いたままだ。
それでもはっきりと聞こえた。
「おっ……教えて欲しい、です!」
身を乗り出すように千春が答えると、雪登は少し驚いたような瞳でこちらを見た。
「っ、すいません。急に大声出して……」
途端に恥ずかしくなった千春は肩を竦める。
だが、雪登はそれほど気にしていないらしい。
「……昼から、山に行くか」
「山、ですか?」
「どこにどんな野草や薬草、毒草が生えているのか教えよう。……それに、紹介したい奴らも居るからな」
山で紹介したい人とは一体誰なのだろうと一瞬考えてしまったが、千春はすぐに返事する。
「分かりました」
とりあえず、足を休ませて、昼食を摂ってから行くらしい。
「あの、雪登さん。お昼はいつも食べていらっしゃいますか?」
「あぁ」
倉野屋に居た時は、朝と夕の二食というのが普通だったが、彼は毎日三食食べているらしい。
「お昼、何に致しましょうか?」
「そうだな……」
何にしようか悩んでいると言う事は、普段から自炊をしているのだろうか。
神ならば、誰かが食事を運んできてくれるという訳ではないらしい。
「もし決まっていなければ、わたしに作らせて頂けませんか?」
千春の言葉に雪登は少しだけ目を見開く。
だが、次にはすぐに無表情へと戻り、頷いた。
「……分かった。食材はそこにあるから好きに使って構わない。ただ、私の食べるものには肉を使わないでほしい」
「魚は良いんですか?」
「あぁ。但し、今は無い。……後ほど私が捕りに行こう」
やはり神は神聖な存在であるため、血という穢れを持つ食べ物は食べる事が出来ないのだろう。
ということは、人も食べないということか。
それを聞いて、千春は少しだけ気付かれないように安堵の溜息を吐く。
「では、雪登さんはそこに座っていてください」
「……待つのか?」
「はい。……えっと、あの、駄目……ですか?」
早速、腕を捲くろうとしていたが、止められた気がして、千春は雪登の方へ振り返る。
彼の目には少しの戸惑いがあるように見えた。
「いや……。では、頼む」
嫁いで来たばかりの自分が突然、料理を作らせて欲しいなんて、図々しかっただろうか。
「あの……食べ物で好きなもの、とか嫌いなもの……ってありますか?」
「特には無い」
「そう、ですか……」
素っ気無く答えられてしまった。
いや、彼もきっと、自分が居る事に慣れていないのだろう。
突然、赤の他人が我が家へと来て、料理を作るだけではなく、これから一生を共に過ごす「夫婦」となってしまったのだから。
とりあえず、竹籠に入っている野菜を覗いて見る。
大根、痩せた人参、泥の付いた芋、菜っ葉が入っていた。隣に置いてある壺は微かな匂いから醤油と味噌だと思われる。
また、軒下に干してあるのは魚の干物のようだ。出汁をとるために使うのだろう。棚の下にある壺はどうやら粟と米が混じったものである。
……まずは釜でご飯を炊いて、それから汁物を作ろう。
せめて、美味しく作れるようにと、千春は意気込みはじめた。




