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襲撃


 だが、それはその日の夕方に起きた。

 夕食の準備を二人でしていたところに、鹿のかの助が急いだ様子で訪ねてきたのだ。


「どうしたんだ、かの助……そんなに急いで」

「た……助けてくだせぇ、狗神様っ……」

 そう必死に伝えながら、彼は荒い息を何とか抑えようとしている。

「あ、お水……」

 千春はすぐに、椀に瓶から水を注いで、かの助の前へと置いた。それを慌しく飲みほして、かの助は一息ついてから、ゆっくり喋る。

「で、どうしたんだ。お前が慌てるなんて珍しいな」

「じ、実は……山の南の方で、うちの仲間が人間の仕掛けた罠に掛かっちまいまして……」

「何だと? この山の獣を捕ってはいけないと掟があるのは村人たちも知っているはずだが……」

 狗神の居るこの山は神のものとされており、人間はそこに住んでいる動物を捕まえたり、木々を伐採してはいけないことになっている。

 そのため、動物を狩るのはこの山の境目になっている大きな川を超えた先の山からしか、捕ることが出来ない決まりになっていた。

「とにかく、来てくれませんか? 捕まってねぇ俺達は何とか逃げ出したんですが、他にも罠が仕掛けてあるみたいなんで……。それに、捕まった奴を早く助けて手当てしてやらねぇと……」

 そう言って、かの助は目を強く瞑る。

 仲間を残して逃げてきた事を悔やんでいるのだろう。

「……お前が自分を責める必要はない。その捕まった仲間のもとまで道を案内してくれ。全ての罠を取り払ってやる」

「へ、へぇ……ありがとうございやす……」

 かの助は何度も何度も頭を下げる。よく見ると彼の体は傷だらけだった。必死の思いでここまで来たのだろう。

「千春。行ってくるから、あとは頼む」

「はい、分かりました。ひと段落着いたら、私も薬草を取りに行きますね。……今、手元にあるだけでは、きっと手当てには足りませんから」

「あぁ、ありがとう。―――では、かの助、案内してくれ」

 雪登が外に出ると、一瞬で犬の姿へと変化する。人間の姿で走るより、犬の姿の方が早く走れるのだと、この前話していた。

 だが、罠を仕掛けてはいけないのは、この村人なら子どもの頃から言い聞かされてきたはずだ。


 ―――山のものを侵してはいけない。侵せば、神は怒り、災いが降り注ぐ。


 その災いが本当かどうかは分からない。

 それを決めるのは雪登自身だ。


 ……でもきっと、雪登さんの事だから、そんな事しないに決まっているわ。


 小さく笑みを浮かべて、再び作業に取り掛かる。

 今日の夕飯は大豆の煮物に、雪登が捕ってきた魚を焼こう。ご飯は今、雪登が炊く準備だけはしてくれている。

 その火の番をしながら、豆の下ごしらえをしようとした時だ。


 誰かに見られているような気配がして、千春は後ろを振り返る。

 入口は先ほど、雪登が出て、開けっ放しの状態のままだ。その方が社の中は明るいからだ。

 何だったんだろうと、首を傾けて、再び作業に取り掛かろうと、豆の入った袋を手にした瞬間、うなじ辺りに突然の激痛が走った。


「っ―――」


 ばたり、とその体が倒れると共に、持っていた袋の豆がそこら中に撒き散らされる。

 気を失う直前に見えたのは、ただ、真っ黒い影だった。

 

  



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