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温もりの朝


 訪れる朝に、千春はいつもと違うことに気がついた。


 ……体が動かない。


 しかも、お腹辺りが窮屈に感じられ、そこへと触れてみる。あるのは柔らかい感触。

 自分の足の上に重なるように、あるのはもう一本の自分以外の足。

 もしや、と思ったが自分の予想は見事に当たっていた。雪登が自分を後ろから抱きしめる形で寝ているのだ。


 ……ど、どうしよう。


 こういう状況は初めてだ。隣で寝ているとはいえ、いつもは別々の布団で寝ている。昨日の夜はお互いに自分の布団で寝ていたのは確かだ。

 だが、今はどうだ。彼は自分の布団に潜り込み、自分を抱きしめている。

 しかも、かなり密着した状態で。

 あまりの事に思考が回転しないが、とりあえず、その状況だけは把握出来た。


 ……あ、でも雪登さんの匂いがする。

 

 それだけで安心する。布越しであるが、彼の体温も伝わってくる。そういえば、寝る時にちょっと寒い気がした。雪登も寒かったのだろう。


 だから、きっと暖を求めて―――


 そう想像しただけで、千春の顔は真っ赤に染まる。お互いに、こんな事は初めてだ。触れ合ったりする事の方が少ないのだから。

「……ん……」

 雪登が起きたのか身じろぎするも、千春を抱きしめる腕は離さない。

「あ、の……雪登さん……」

 恐る恐るだが声をかけてみる。それに反応するかのように、雪登は返事した。

「ん、あぁ……もう、朝か……」

「はい……その、朝なので……お放し下さいませ……」

 だんだんと小さくなる声は、恥ずかしさでいっぱいだった。

「え……」

 千春の頭の後ろから、雪登にしては珍しい間抜けな声が聞こえたそのすぐ後―――

「なっ……」

 絶句しているようだ。彼も無意識だったのだろう。

 今、振り返れば、顔を赤くした雪登が見られるかもしれない。そう思って何気なく、顔だけ彼の方へと向けた。

「…………」

「…………」

一寸先にあるのは、目を見開いて真っ赤になっている雪登の顔。お互いの息を感じてしまうほどの距離だった。

「す、まないっ……」

 だが、すぐに雪登は自分を抱くその手を離し、起き上がる。

「い、いえ……。昨日の夜は寒かったですからね……」

「……寒かったからと言って、了承も無くそなたに触れてしまってはいけないだろう」

 決まり悪そうに片手で顔を覆いながら、雪登は早口で答える。

「そう、なんですか?」

 自由になった千春も起き上がり、少し肌蹴てしまっている襟を直す。

「……そなたも相当、鈍いな」

 深く溜息を吐きつつも、まだ彼の顔は赤い。

「あ、雪登さん。背中の具合はどうですか?」

「まだ、痛みはあるが、この前ほどではない」

「良かった……では、背中の薬草を新しいものに換えましょうか」

 布団を畳み、千春は夜着から普段着へと着替え始める。

「それなら、自分で……」

「いいえっ! 今日はわたしがします! ちょっと待っていて下さいね」

 千春は桶に水を入れて、手ぬぐいを用意し、摘んでいた新しい薬草を持ってきて、雪登の後ろへと座る。

「着物、上だけ脱がせますよー」

「あ、あぁ……」

 雪登は細身であるが、意外と引き締まっている体をしている。そして、改めて見るその背中は、傷だらけだ。

 その傷を指先で確かめるように一つ一つ触れていく。小さい傷も有れば大きい傷もある。

「千春?」

 雪登が顔だけ振り返る。


 ……この人は、本当に優しい人だわ。


 傷を作っても、その傷を作った相手を憎んではいない。

 ただ、過ぎた事とし、諦めているだけで。

「……すいません。今、お換え致しますね」

 腰に巻かれた布をゆっくりと外していく。

「そういえば……狼が襲ってきた時は黒い犬のお姿でしたよね。どうやって変化なさっていたんですか?」

「それが、狗神と呼ばれる所以の一つでもあるが……。っ……」

「あっ、すいませんっ。痛かったですか?」

「いや、大丈夫だ」

 千春は注意しながら、背中に張り付いている薬草の葉を一枚一枚丁寧に剥がしていく。背中の血は治まったのか、少し滲んでいるだけだった。

「狗神には、色々と力があるんだ。この前のように『犬』として変化出来る力や、自然を操る力とかな」

「自然を……ですか?」

「あぁ」

 手ぬぐいを絞り、水気を切ってから、雪登の背中をゆっくりと拭いていく。やはり、まだ沁みるのか、彼は小さく呻いた。

「例えば……山にある木々の小枝を伐採するのには、風の力……。魚を捕るには水の力を自然から借りる事が出来るんだ」

「そうだったんですね」

 通りで、魚を捕まえてくるのが早いと思っていたが、そういうわけだったのか。

「……と言っても、そなたはあまり驚かないな」

「いえ、驚いてはいますよ? でも、本当に凄いですよね。自然の力が使えるなんて」

「……普通の人間はこういう力を欲しがるらしいから、この事を知っているのはそなたと神主……あとは山のもの達や、他の知り合いぐらいだな」

「あ、伊鷹さんですか」

「そうだな。……あいつとも、もう長い付き合いだ」

 千春は薬草の葉を背中へと貼っていく。

 そして、新しい布を彼の腰に巻いていった。

「では、ご親友というわけですね。あ、もう終わりましたよ」

 雪登の腕に着物に袖を通し、襟元を揃える。

「ありがとう。……親友か。どちらかと言うと腐れ縁だな。私が八つくらいの時に、愛宕山の大天狗殿が伊鷹を連れてここへやって来た。あいつは……人間と天狗の子でな」

 その言葉に、千春はつい、「えっ」と声を上げる。

「だが、両親に先だたれ、人間の中で生きていくには辛いだろうと言う事で、大天狗殿が引き取って育てる事にしたらしい」

「そう、だったんですね……」

「今はあんなに軽そうな男になっているが、根は悪くない奴だ。……そういえば、修行で飛べるようになったと、わざわざ私の元まで自慢しに来た時は、ここの山の木が風の影響で沢山倒されてな……大天狗殿に目玉を食らっていたな」

 懐かしむように、雪登は語る。

 その様子が、少し楽しそうで千春はほっとした。

「伊鷹は唐突に、ここへ訪れるから気をつけた方がいい。昼頃ならまだいいが、明朝に訪ねてくる時もある。……夜に酒を持ってここへ来たときは、酔っ払いすぎて追い返すのが大変だったくらいだ」

 苦い表情で雪登は告げる。

 相当、面倒だったのだろう。

「あの、天狗様って一体、どのような事をしていらっしゃるのでしょう? わたし、良く知らないので……」

「あぁ、まだ言っていなかったか。愛宕山の天狗しか私は知らないが、彼らは山を守り、日々修行しているらしい」

「修行、ですか」

「その個人で修行する目的は違うらしいけどな」

 そうなんですか、と千春が答えようとした瞬間、社を大きな風が揺らす。木々がざわつく音も聞こえてくる。

「……来やがったか」

 仕方ないと言わんばかりの顔で、雪登は首を振る。

「え? あ、伊鷹さんなんですか、この風……」

「そうだ。すまないが、そこの着物を取ってくれ。着替えるから」

「はい」

 布団の傍に置いておいた着替えを彼の肩に掛けて、袖を通す。帯を簡単に締めてから、雪登は外へと出た。


    

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