整理
その日の夕方は、折角上がっていた雨が再び降り出し、社の中は暗かったが、火を点していた囲炉裏のおかげで明るかった。
だが、夕食の片付けを二人で終えたはいいが、寝るにはまだ早い。
「そういえば、雪登さんは雨の日っていつも何しているんですか?」
「そうだな……大体、書物を読んだり、外を見回りに行ったりするが……。あとは雨宿りに来た動物と話したりしているな。または、漬物を漬けたり、薬草を煮たりして薬を作ったりもしている」
「えっ、漬物も漬けていらっしゃるんですか」
「あぁ。梅干とか、大根とかな」
漬物を漬ける神は彼しかいないと思うが、本当に器用な人だ。
「そういえば、隣のお部屋には沢山の書物がいっぱい積んでありますよね」
千春がそう告げると雪登は苦い顔をした。
この社には二つの部屋があり、奥にある部屋には、古い書物が天井に届く程積まれているのである。
「……整理しようとは思っているんだが……。以前、整理していたら、書物が雪崩れて、その下敷きになった事があるんだ」
「それは……」
彼の意外な思い出に千春は笑わないように表情を作る。
「結構、古いものばかりだから、捨てるに捨てられなくてな……」
「因みに、どれくらいの時代のものがあるんですか?」
「私が読んだ中では、平安の世に書かれたものもあったな」
「そんな昔の書物まで……」
あの書物の山には貴重なものも含まれているらしい。
「殆どが貰い物なんだ。たまに、伊鷹や神主に借りたり、市で買ったりしているけどな」
「それで、あの山になってしまった、と……」
千春は隣の部屋をこっそりと覗いてみる。書物は上へ、上へ積んであり、床上を侵食している。
「でも、これはさすがに片付けないと……」
「……分かっている」
雪登は自身の生活はきっちりしているが、このような片付けは苦手らしい。
「では、わたしもお手伝い致しますので、一緒に片付けましょう」
「え……」
「梅雨の時期が来る前に、整理しなければ、湿気で紙が歪んで読めなくなってしまいますよ」
「うっ……。……分かった」
片付けは苦手だが、書物は好きということか。雪登は渋々、立ち上がり一緒に隣の部屋へと入ってくる。
部屋の中に行灯を置く場所さえないため、囲炉裏の火を頼りに片付けなければならない。
今日中に片付ける事は出来ないと思うが、とりあえずこの床上に無造作に置かれた書物だけでも綺麗に整理したい。
「よーし、それでは頑張りますよっ」
「……あぁ」
二人は襷を袖から出して、袖が邪魔にならないように襷掛けする。
「それでは、まずは入口に近い所から整理しましょうか」
「……あぁ」
入口を塞ぐように重ねてある書物を一度、その部屋から出して、足場を作らなければ部屋の奥には入れそうにない。
それほどの書物をよく集めたものだ。
だが、千春はそこでふと思った。これらの全てを雪登が一人で集めたわけではなく、今までこの社で暮らしてきた者が少しずつ集めてきたのだろう。
……長い時間を、書物を読む事で過ごしてきたのね。
重なり合う書物がその年月を静かに語っていた。
「雪登さん」
「なんだ」
隣で同じく、床に散らばった書物を片付けていた雪登が振り返る。
「もし、宜しかったら……片付けが終わった後でいいので、どれか書物を読んでくれませんか?」
「それは……私がそなたに読み聞かせる、ということか?」
「はい。何でもいいです。雪登さんのお気に入りでも、思い出のある書物でも」
少しずつ、近づきたい。
少しずつ、彼の好きなものを覚えていきたい。
「……終わったらな」
部屋は灯りがなく薄暗いため、彼の表情はよく見えないが、それでもどこかしら嬉しそうだということは伝わってきた。
「宜しくお願いしますね」
微笑を浮かべて、千春は作業へ戻る。
狭い場所なので、お互いに背中合わせで作業せねばならない。それさえ、千春には贅沢な時間だ。
一緒に居る事、そしてその時間を過ごす事がいかに贅沢なのかを昼間に出会った稲女の事を思い出し、そう感じた。
……最期の時まで、ずっと一緒に居られれば、それでいい。
言葉には出さずに、千春は静かに胸のうちに秘めた。
「あ、この書物……こんな所にあったのか」
「探していたもの、ですか?」
「あぁ。伊鷹が持っているなら貸して欲しいと言って来たんだが、どこに置いていたか分からなくなっていたんだ」
「まぁ……」
「丁度いいから、今度貸すか」
そう言って、その書物を懐へと仕舞う。
「……ついでにあれも探しておくか」
ぼそり、と雪登は呟く。
「え? どんな書物です?」
「……いや、それはちょっと……」
彼が言葉を濁すのは初めてだ。
逆にどのような書物か気になってしまうではないか。
「あの、わたしもその書物を探すのお手伝いしますよ?」
「だっ、大丈夫だ……一人で出来る」
そして、どこかしら焦っているようだ。
「とりあえず、探してみましょう。その本の特徴とかあれば教えてください」
「うっ……」
「どこら辺に置いていたか覚えていますか?」
「恐らく、その辺りなんだが……いや、千春。私と場所を交代しよう」
「え? どうして……」
と、そこで千春が振り返ろうとしたところ、不注意でつい、自分の右手が書物の塔へと当たる。
綺麗に、とは言い難い程、天井近くまで無造作に積まれていた書物が、それによって体勢を崩し、千春の方へとそのまま、ゆらりと傾き始める。
「あ……」
「っ、おい!」
目の前が書物の山で覆われ、千春はぎゅっと目を瞑った。
しかし、身体というより背中に痛みを感じる。
そして、何故か重い。痛いのではなく重かった。
千春がゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた雪登の顔がすぐ目の前にあった。
「ゆ、雪登さん……」
「……大丈夫か」
「は、はい。あの、もしかして、庇って……」
どうやら、自分を庇った事で、書物の山に巻き込まれたらしい。
彼の背中には崩れた沢山の書物が載っており、重そうだったが、千春に負担をかけないようにと、包み込むように守ってくれていた。
「庇うと言えるほど、上手く庇えていないけどな……。どこか痛みを感じる所はないか?」
「だ、大丈夫です。雪登さんは……」
「私も平気だ。少々、書物の角がぶつかったくらいだからな。怪我はしていない」
二人の身体は殆ど密着した状態で、重なり合っている。
書物に埋もれて暗くて見えないとは言え、こんなに近いと緊張してしまう。
すでに千春の心臓は高鳴り始めていた。
「あ、あの……ありがとうございます」
「いや……」
無言が、続く。
お互いの息が混じる程、近い。
でも、この静けさは嫌いではない。
「――千春」
名前が呼ばれ、千春は小さく震えた。返事をしたはずなのに、上手く言葉に出来ていない。
見えないが彼の顔がどんな風な表情をしているか、想像は出来た。自分の方へ顔を近づけてくるのも、息で感じられた。
彼もまた、緊張している。雪登の身体の熱さが着物越しに伝わってくる。




