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「あの、雪登さん」
周りには聞こえないような小声で、話しかける。
「何だ?」
「ここの方々って、この虹が出ている今日だけ、ここにいらっしゃるんですよね?」
丁度、真上にある虹は、最初に見た時よりも少し薄くなっているように見えた。
「あぁ」
「では、虹が出ない日などはどこにいらっしゃるんですか? わたし、山の中でお見かけした事がない方ばかりで……」
稲女のように人間に近い姿の者も居れば、先程の玉吉のように動物に近い姿の者も居たり、ちゃんとした形を持っていない者も居たりと、様々だ。
それでも怖くないのは、隣に雪登が居るからだろう。
「彼らの殆どは旅をしている者が多いからな。または私のように山に篭っている者も居れば、人間に扮して町中で商いをしている者もいる」
確かにここに居る者は人間とは外見が違うものが多い。
それでも、彼らは生きているのだ。
人間達と同じように、働いて、笑って、楽しんで。
そして、彼らが自分達の隣に居る事を知らずに、人間も生きている。
「こうして、市を開くと物だけが行き来するんじゃない。人と言葉と色んな思いが、入れ替わり、交差していくんだ」
そう話す雪登の表情はいつもよりか緩んでおり、嬉しそうだった。
「……良かった」
「え?」
千春の呟きに雪登は聞き返す。
「わたし、実は雪登さんがずっとあの社で一人ぼっちだったんじゃないかって、心配していたんです」
「……まぁ、否定はしないが」
「でも、山の動物達や、伊鷹さん、神主さんや市の方々と楽しそうにお喋りしているのを見て、ほっとしました」
「……楽しげに話しているように見えたのか」
「えぇ、とても」
あの小さな社で、ずっと一人ぼっち。
そして、ずっとその寂しさに耐えてきたのだ。
そう考えるだけで、胸の奥が痛む。
「それに、これからはわたしも一緒なので、雪登さんがもうお一人になる事はないですね」
柔らかな笑顔に雪登は一瞬固まる。
そして、片手で顔を隠しながら、長い溜息を吐いた。
「……そうだな」
その言葉が、とても嬉しそうに聞こえたのは聞き間違いではないだろう。
彼の表情が少しずつ増えれば良いと思う。
まだ、不器用で、上手く出来ないかもしれない。
それでも、彼の本当の笑顔がいつか見る事が出来れば良いと思う。
「……千春」
「はい?」
「やはり、稲女殿の店に寄って来ていいだろうか。すぐに戻るから」
雪登は何気なく空を見る。つられる様に千春も見上げて見ると、虹は霞んできていた。
やはり、虹が消えてしまったら、市は閉まるという事だろう。
「分かりました」
「あと、そなたはここで待っていてくれ」
「え?」
そう言うと、雪登は足早に少し離れた場所に再び稲女の露店へと向かった。
「あ……」
待て、と言われたのだから、待つしかない。少し寂しいのも我慢だ。
……それにしても雪登さん、楽しそうで良かった。
千春は他の客の邪魔にならないように、大きい木の下で雪登を待つ事にした。
周りを見渡すと、もうそろそろお開きしようか、最後の売れ残りを安くするから買わないか、などの声が飛び交っている。
今日は本当にこの市に来る事が出来て良かったと思う。
今まで生きて来た世界では、きっとこんな場所があるという事を知らず、勿体無い事をしていたと思うほど、楽しかった。
だが、心に何か残るものがある。
雪登はもう独りではない。
それでも、心に靄がかかったように、すっきりしないのは何故だろうか。
「千春」
自分の名前が呼ばれて、千春は顔を上げる。
だが、いつの間にか自分のもとへ戻って来ていた雪登は少し、息を荒げていた。
走って来たのかと、問いかけようとしたら、彼が自分の左耳の上辺りに何かを挿してきたのだ。
「え?」
何が何だか分からない千春は戸惑った表情で、雪登を見ると、彼は腕を組んで満足そうに言った。
「やはり、千春には桜が似合うと思った」
「え、桜?」
恐れながら自らの左手をそれに触れて見る。
「あ……」
触っても分かる。
硬いこの感触、何か花びらを模った形、そして髪に飾るもの。
先ほど、稲女の店にあったものだ。
「どうして……」
欲しいとは思っても、言ってはいけないという気持ちが勝ってしまい、言うことなど出来なかった。
今まで、物をねだるなんて事、したことなかったからだ。
千春の言葉に雪登は頷く。あまり、視線を合わせようとはしないが、それでも自分を見ていた。
「欲しかったのだろう」
「でも、わたしは……」
一言も言ってはいないのに、彼は何故分かってしまったのだろうか。
本当は羨ましかった。
村の年頃の娘達が着飾っている姿を見ては、憧れはしたものの、自分には到底叶わない事だと思っていたからだ。
「最初に会ったあの時から千春は桜が、ずっと似合うと思っていた」
「え……あっ、え?に、似合う、って……」
「似合っている」
真剣な眼差しで答えられ、千春の頬は朱に染まっていく。
今まで、そのような事を言われた事がない上に、着飾るという事自体した事がないため、どう答えればいいのか分からず、千春は真っ赤になった顔で雪登を見る。
「貰ってくれないか」
低く、よく通る声で告げられ、千春は小さく肩を震わせる。
「っ、でも……」
「貰ってほしいんだ」
彼の訴えかけるような表情に、千春は何と言っていいのか分からなかった。
戸惑っているようにも、困惑しているようにも見える。
だが、彼の頬が自分と同じように染まっているのを見て、緊張しているのだと分かった。
「……い、いいんですか?」
「構わない」
素っ気無く答えるように努めているのかもしれないが、その態度さえも胸が締め付けられる。
どうして、自分に簪などを贈るのか、分からない。
それでも、彼と過ごすようになって、空っぽの心に少しずつだが、嬉しさや楽しさ、幸せの気持ちが詰っていくのだけは感じられた。
今もそんな気分だった。
ただ、嬉しくて、仕方なかったのだ。
「……ありがとうございます」
左耳の上に飾られた簪をもう一度、触れてみる。
雪登が選んでくれた。
千春は抑えきれずに、つい笑みを零してしまう。
「……やはり、気に入っていたんだな」
「……はい。あの、素敵なものを下さって、ありがとうございます」
「いや……喜んでくれるなら、それでいいんだ」
照れているのだろう。
こちらに顔を向けずに、小さく聞こえるように呟く。
「……そろそろ市も閉まる。日が落ちる前に帰ろう」
雪登は決してこちらを見ない。
そして、差し出されるその左手。
「…………」
まるで、吸い込まれるように千春はその手を取った。小さく震えているのが、雪登に知られていないだろうか。
一度握られたら離されないのではと思う程、その力は強かった。
「帰るぞ」
雪登の言葉に千春は顔を上げられないまま頭を立てに振る。今、顔を上げてしまえば、恥ずかしさと嬉しさで気絶してしまうかもしれない。
別に夫婦なのだから、遠慮はいらないはずだが、これはそれ以前の問題だろう。
自分はこんなに緊張しているというのに、どうして雪登は平気でいられるのかと、引っ張られるその手の先を見てみる。
しかし、彼もまだ、先程とは変わらず頬を染めたままだった。
正確には、千春に覚られないように、顔を下に向いたままだが、それでも分かる程、赤かったのだ。
握られた手を、千春は握り返す。
それに反応したのか、雪登の黒い耳が少しぴくっと動いた。
雪登も意識しているのだ。自分と手を繋いでいるということを。
……もう少し、このままで。
ぎゅっと、強く握られるその手とずっと繋がっていたいと思った。




