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揺らすもの


 道を進むたびに雪登は露店の店主や客達から声をかけられる。余程、知り合いが多いらしい。

 その中の一人が雪登へと声をかけた。

「おーいっ、狗神の旦那ぁ~!」

 呼ぶ声の方を見て、千春はぎょっとした。見た目は普通の人間だ。

 しかし女性だった。

 おいでおいでと彼女は手を振ってくるその姿は優雅という言葉が似合うし、その女性は美人というより、妖艶だった。

「お久しぶりっ~」

 目の前の艶やかな女性は露店を開いている者の中では珍しく質の良さそうな白の着物に赤い帯を締めており、髪の色も稲穂のように明るく美しい色だ。

「……稲女殿か」

 雪登は少し、疲れたような表情で溜息を吐く。知り合いという事が気になるが、千春は黙って雪登の後ろで彼女を見ていた。

「本当にお久しぶりねっ。無愛想な顔も相変わらずのようだけれど」

 口元を着物で隠し、にっこりと笑みを浮かべるその仕草に、思わずこちらがどきっ、としてしまう。

「稲女殿も相変わらずのようだな」

 無表情のまま雪登は腕を組む。

「えぇ。あら……やだ、可愛いわ。そちらのお嬢さんは一体どうしたの?」

 千春の姿を見つけた稲女は目を輝かせる。

「私の妻だ」

 千春が前に出て挨拶する前に、雪登がはっきりとした声で答える。

 あまりの躊躇のない答えに、驚いた千春は目を丸くして、びしっと固まった。

「まぁ、この無愛想朴念仁がついにお嫁さんを……っ! お姉さん、嬉しくて涙が出そうだわ~」

 着物の袖で涙を拭う仕草をする稲女を前に、雪登はもう一度溜息を吐いて、千春の方を振り返る。

「こちら、稲女殿だ。元々は京の伏見にある神社に仕えていた狐らしい」

「えっ、狐さん……なんですか?」

 目の前の彼女には耳を尻尾もないようだが。

「そうよ。初めまして、お嬢さん。稲女と申しますの」

 にこり、と笑う姿が艶やかで、女性でここまで美しい人を見た事がなかった千春は顔を赤くして、頭を下げる。

「はっ、初めまして……。わたし、千春と申しますっ」

「あら、可愛いわ。おいくつ? まぁ、十六歳? 若いわぁ~」

 稲女の周りに花が咲いたように明るい感じがしたが、気のせいではないと思える程、彼女は華やかな女性だと思えた。

「ふふっ。でも、この朴念仁のもとへ嫁いでくるのは大変だったでしょう? 何せ、愛想もなくて、不器用さんだから」

「おい……」

 渋い顔で雪登は嗜める。

 だが、千春は心配だった事が一つあった。別に雪登の事を疑っているわけではないが、稲女と雪登の関係が何となく気になってしまったのだ。

 しかし、千春の不安が表情に出てしまっていたのか、それに気付いた稲女は小さく微笑みかけてきた。

「あらあら。もしかして、わたくしと狗神の旦那との仲が心配なのかしら?」

「へっ? いっ、いえっ……! ちがっ……」

 手と頭を横に振り、必死に否定しようとするが、千春の慌てぶりから、もう取り繕えないだろう。

「大丈夫よ。わたくし、年下に興味ないもの」

 口元を隠して笑う稲女は真っ赤になって顔を下げている千春を、目を細めて見る。

「千春。彼女はこう見えて、百年は生きている妖狐だ」

「え?」

「あら、嫌だ。女性の年齢を明かすなんて、嫌われますわよ」

 稲女は頬を膨らませて軽く雪登を睨む。

「ひゃっ……百年……」

 その年月に驚きを隠せない千春は口をぽっかりと開けて目の前の美女を改めて見た。美しさに老いなどは感じられない。

「えぇ。それに、わたくしには心に決めた方が居るから心配なさらないで」

 ゆったりと彼女は笑うがその笑顔にどこか寂しげなものが浮かんでいた。

「でも、本当に良かったわ。わたくし、狗神の旦那はきっと一生独り身だと思っていたの」

「余計なお世話だ……」

 ぼそり、と雪登は呟く。

 もしかすると、稲女にとって雪登は弟のような存在なのかもしれないと思い、千春はそっと胸を撫で下ろしていた。

「千春さんは人間なのよね?」

 稲女の言葉に千春は頭を縦に振る。

 それを聞いて、彼女はまた微笑を浮かべた。

「そう……どうか、お幸せに、ね?」

「あっ……ありがとうございますっ……」

 千春は頭を下げる。

「ふふっ。あ、それより、いい品があるんだけれど買ってくださらない?」

 改めて、彼女の露店の商品を眺める。

 台の上に置かれたのは、女性好みの小物ばかりで、簪や櫛、手鏡、帯紐、根付、扇、紅など、素人の目から見ても良い品だと分かるものばかり並べられていた。

「全部、京の都の職人が作ったものよ。一つ一つ丁寧に作られたものだから、どれも逸品なの」

「また、人間に化けて商売していたのか」

 仕方なさそうな表情で雪登は肩を下ろす。

 また、という事は何度も人間に化けて、京の町を歩いているらしい。

 この姿も人間に化けている状態という事か。

「勿論。これが案外ばれないのよねぇ」

 やはり、狐というだけあって、化けるのは得意ということなのだろう。

「ねぇ、千春さん。あなた、欲しいものはない? 折角だから、狗神の旦那に贈って貰ったら?」

「ふぇっ!?」

 予想していなかった言葉に、先ほどよりも変な声が出てしまった。

「いえ、いえっ……こんなに綺麗なもの、わたしにはとても……似合わないですし……」

「そんな事ないわ。ほら、この簪だってきっとあなたに似合うと思うわ」

 並べられた簪は鼈甲、珊瑚、翡翠などが装飾されたもので、可愛らしい玉簪となっている。

「あと、お薦めなのはこれかしら……何でも西の大国から取り寄せた材料を加工して作ってあるの。綺麗でしょう」

 稲女が手にとったのは、桜の花を模った細工が付いている簪だった。

「桜……ですか」

 その色も形も桜だった。

 それを見て、千春は何か思い出しかけるが、頭に引っ掛かったままで全てを思い出せそうにはない。

「そうよ。気に入ったかしら?」

「あっ、はいっ……って、いえ、あの……」

 狼狽する千春の横で雪登も頷く。

「欲しいのならば、買うぞ?」

「そ、それは恐れ多いです! ……わたし、今まで簪なんて挿した事ないですし、こんな綺麗な簪をわたしみたいな人間が飾るのは勿体ないですから」

 大きく手を振って必死に遠慮する。

 こんなにも綺麗な簪を挿して動こうものなら、傷付けたり、壊したりしないか心配し過ぎて、何も出来なくなってしまいそうだ。

「そんなに遠慮しなくてもいいと思うが……」

「だ、大丈夫ですっ! わたしより、雪登さんが必要なものをお買い下さいっ」

「って、ここには男ものは無いけどねぇ」

 千春と雪登の遣り取りと稲女は楽しそうに見ている。

「まぁ、気が変わったら、声かけて下さいな。虹が出ている間はここに居ますから」

「は、はい……」

「稲女殿、次はどこに行くんだ? また京に戻るのか?」

「ここには、江戸に向かう途中で寄っただけですの。丁度、虹が出ていたから露店を出していただけで、虹が消えたら近江に寄って、ちょっと江戸へ行って来ますわ」

「そうか。道中気を付けて行くといい。……近江の方にも宜しく頼む」

「えぇ」

 稲女のもとから少し離れ、他の露店の前を通っていると、隣の雪登は周りを気にしながら、静かに話す。

「……稲女殿が元は京の伏見の神社で仕えていたのは話したな」

「え? あ、はい」

「随分と昔の事だがその頃、彼女には想い人が居た。……人間の男だった」

「人間……ですが、稲女さんは……」

 雪登は千春の言葉に軽く頷く。

「あぁ。だが、相手の男は稲女殿を狐だと知った上で慕っていた。彼女は伏見の神に自分に願いを告げて、眷属から外してもらったらしい」

「眷属……あっ、ではその神様のお使いだったのですね」

「そうだ。その後、稲女殿はその男と所帯を持ち、近江の国で彼の商売を手伝いながら、生活していたんだ」

 そう話す雪登の表情は暗かった。

「だが、稲女殿の夫は若くして病を患い、亡くなった」

「…………」

「夫を亡くした彼女は、伏見の神のもとに戻る事は許されず、ずっと独りで長い年月を過ごしてきたらしい」

 だから、先ほど「お幸せに」と彼女は告げたのだ。

 その真の意味を知った千春は唇を噛み締めて下を向く。あの時の彼女の寂しそうな表情が思い出されて、胸が締め付けられる。

 笑顔だったとしても、彼女は決してその悲しみを表には出さず、毅然としていた。

「今は旅商人をしているらしい。たまに虹が出て、市が開く時にお会いするが、旅先の話を楽しそうにしてくれたり、土産をくれたりする。……私の姉のような方だ」

「……また、お会いしたいですね」

 千春の言葉に賛同するように、雪登は頷いた。

 自分の知らない世界で、知らないうちにその人に何かが起こっている。

 今までの自分なら、それをただの他人事だと思って流していた事が、これ程、心を揺らすものだとは知らなかった。

 

 きっと、これからもそうなのだろう。

 そして、自分もその世界の中の一人なのだ。


   

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