狗神神社
同じ店で働いていた下男や下女に軽く挨拶をし、少ない荷を持って神社へと向かうと、大きな鳥居の下で待っていたのはこの神社の神主だった。
人当たりの良さそうな笑顔で神主は迎えてくれた。
「こんにちは、神主様」
目の前に居る老人は代々、「狗神神社」を守ってきた宮森家の二十三代目の当主で、名を宮森正照という。
村の人からは「神主様」と呼ばれ、親しまれていた。
「いやぁ、随分見ない間にすっかり、美人さんになったねぇ」
明るい声音で、神主は目を細める。
「あら、神主様ってば……」
まだ、母が健在だった頃はよく、一緒にここへとお参りに来ていたため、神主には孫のように接してもらっていた。
最近は中々、参りに来る事が出来なかったが、神主も見ないうちに白髪交じりの頭になっている。
「……急に千春ちゃんに決まってしまって、悪かったね……」
先程の笑顔とは一変し、神主は申し訳無さそうに寂しい表情をする。
「やはり、旦那様が私を推薦したんですね?」
探るように聞くわけではなかったが、どうしても本当の事が知りたかった。
自分が何故、選ばれたのかを。
一度、狗神の配偶者と決められてしまうと、それを変える事が出来ないのも、この村の掟だった。
「……あぁ。言い伝えでは、狗神様に捧げものをした家は栄えると言われているからね……。恐らく、大治郎は……」
そこで、神主は言葉を続けることを止める。
きっと、彼も分かっていたのだろう。どうして、自分が選ばれたのかを。
やはり、自分は「選ばれた」のではなく、大治郎の思惑によって、捨てられたも同然に生け贄にされたのだ。
彼自身の欲のために。
「……それを聞いて、すっきりしました」
千春は精一杯の笑顔を作る。
悟られない様に、慰められないように。
「これで……いいんです。いつか、奉公を勤め上げたら、出て行きたいと思っていましたから」
気付かれないように、そっと心の中でだけ、叫びを上げる。
自分が居なくてもあの店には代わりは沢山居る。むしろ、あの場所から出られた事を喜ぶべきだ。
後悔なんて無い。
それでも、心の中では必要ないと切り捨てられた事が悔しくて、悲しくて、寂しかった。
「千春ちゃん……」
話題を変えるように千春は顔を上げて、突然問いかけてみる。
「……神主様は狗神様にお会いした事あるんですよね?」
「え?あぁ、五日に一度は供物としての食料を奉納しに行っているからねぇ」
「どのような方ですか?」
わざとなくらいに明るく振舞う千春を神主はきっと気付いていないだろう。
「……これはわしの感じた印象だが……」
「それでも良いです。聞かせてください」
もう、過去は捨てて、先へ進むしかないのだ。
狗神様に飽きられて食べられても良い。
だから、自分の新しい居場所だけを考えよう。
「そうだなぁ……あの方はとても聡明で、優しく……繊細な方だ。きっと千春ちゃんも親しくなれるよ。このわしが保障しよう」
何かを懐かしむように神主は目を細める。
「それに、中々の二枚目だぞ。まぁ、わしの若い頃には負けるかもしれんがな!」
「まぁ……神主様ったら」
声を上げて笑う千春を見て、神主は少しほっとしたように安堵の表情を浮かべる。
「……神婚の儀は明晩だ。それまで、潔斎してからここの斎部屋で充分に休むといい」
神主の言葉に千春は黙って頷き、頭を下げる。
婚儀は明日。
それだけが頭の中に響いていた。




