思い出の花
覚えている。
自分が山で道に迷って、茂みから出てきた彼の姿を。最初は人が居ると思わず、驚いた。
しかし、彼が人間ではないと分かった。それでも、千春はただ、その姿を驚いた表情で見つめているだけだった。
そして、自分の姿を見つけた彼は今も変わらないその黒い瞳で自分を見つめ、こう言ったのだ。
――どうしたの、大丈夫?――
それだけで、千春は嬉しかった。この頃はすでに母は病で臥しており、自分を守る人は居らず、誰も自分の心配をする人は居なかった。
この言葉だけで、千春は泣いてしまった。それを困ったように、おろおろとした様子で少年は見ていた。
自分が泣き止むまで、彼は隣に座って、手を握ってくれていた。怖くないように、怖がらせないように。
暫くして、千春が落ち着くと彼は何かの実をくれた。それが何だったのかは、はっきりと思い出せないが、甘くてとても美味しかった。
彼は聞いた。
どうして幼い自分がこんな場所に一人で居るのかと。
だから、答えた。
主の命で、山菜を取りに来たが、道に迷って困っていたと。
彼はその主は子どもを一人で山へ行かせるのかと尋ねた。
千春は主の言う事をちゃんと聞かないと怒られて、殴られるのだと答えると、彼は驚き、とても切なそうな表情をした。
他にも、色々と話をしながら、彼は千春の手を引き、山の出口へと連れて行ってくれた。
出口へと着くと、少年は立ち止まり、ここの道を真っ直ぐに行けば村が見えるよ、と言って手を離した。
その時の、少し寂しげな表情が、子ども心ながらに、悲しいと思った。
だから、笑って欲しくて、千春は母にお見舞いとして持って返ろうとしていた桜の花びらいくつかを渡した。
どこからか舞ってきた桜が綺麗で、夢中で拾い集めた桜の花びら。
ありがとう、と言葉を添えて。
すると彼は目を丸くし驚いていた。
そして、ふわっと笑ったのだ。
優しい笑顔だと思った。
心が、温かくなったのが分かった。
―――気をつけて、帰るんだよ―――
そう言って手を振ったので、振り返した。彼は自分の姿が見えなくなるまで、そこで手を振り続けていた。
とても、嬉しそうな表情で。
ずっと、ずっと、手を振っていた。




