生贄の娘
ここは華やかな都から少しだけ北東の位置にある小さな村、「見坂村」。
周りは山々に囲まれ、ここの土地での主な産業は農業だが、山を越えるために一晩泊まる宿場町としても栄えていた。
だが、その栄えの裏には、この地を守る「狗神様」が守ってくださっているおかげだと、村人達は日々安堵し、何気ない毎日を過ごしていた。
それでも、村で一番大きい旅籠屋「倉野屋」で、日夜休まる暇もない程、働く千春にとっては、その日を無事に生きられるかが、それが一番重要だったのだ。
その時までは―――
「というわけで、千春。お前に白羽の矢が立った」
「……はぁ」
何とも言い難い顔で千春は曖昧に返事をするのは、自分がこの地を守っていると言われている「狗神様の嫁」に選ばれたからである。
つまりは、生贄と同じだ。
だが、目の前に踏ん反りがえって座っているこの店の主人、倉野大治郎は喜びを隠しきれない態度を先程からとっている。
「この村で、狗神様と年も近く、結婚していない娘の中で身寄りが無く、結婚の当ても無いお前が妥当だと村の寄合で決まった。嫁に行くのは明後日だ。今日と明日は神社で御祓いを受け、身を清めろ」
どうやら決定事項のため、自分の意見は言う事も出来ないらしい。
どちらにせよ、意見なんて言える立場では無いのだが。
「……つまり、今日でこの店の奉公を辞めろって、ことですか?」
「あぁ、そうだ。精々、神のご機嫌でもとって、この店を……いや、この村を豊かにするように身と心を尽くすのがお前の役目だ」
そう言うと、大治郎は千春の目の前に懐から取り出した薄汚い袋を投げ捨てるように置いた。
見た目はずっしりとしていて、とても重そうに見えるが全て銅銭だろう。彼はそういう人だ。
「賃金だ。まぁ、女だから半人前分しか渡せんがな」
「……お心遣い、ありがとうございます」
三つ指を着きつつ、千春は深く頭を下げる。
座敷を出て、廊下を歩く大治郎の足音が聞こえなくなってから、千春は盛大に溜息を吐いた。
「はぁ――……」
ずっと、この店の下女として働いてきた千春だったが、まさかこのような条件で自由になるとは思わなかった。
「狗神の嫁」というのは何十年かに一度、村の若者を、狗神の年が十六歳になったならば捧げなければならない、という昔からの掟である。
なんとこの狗神、人間と同じように生まれ、同じように年を取って死ぬのである。その神は男であったり、女であったりと様々だが、確か何十年か前の生け贄は男だったと聞いていた。
そして今度は自分がその番なのである。
「……どうしよう」
狗神はこの村、山を守ってきた生き神だ。
だが、人前には滅多に現れず、村の山の北東にある社に住んでいるとだけ聞かされていた。狗神のおかげでこの村は厄神や疫神を寄せ付けず、ずっと豊かでいられたらしい。
但し、この村を守ってもらう条件として、生贄を出さなければならなかった。
千春は賃金の入った袋を大切そうに抱き上げる。
ここから、出られる。
それは夢に見ていた事だ。だが、待っているのは「生贄」という役割一つ。
それだけだった。
「……食べられちゃったりするのかな」
狗という程だから、きっと肉を食らうのだろう。
「っ……」
想像しただけで心に小さな恐怖が浮かぶ。怖い。
それでも、この場所から出られるのなら、食べられる方がましだと思ってしまう自分を嘲笑した。
……とりあえず荷物をまとめなきゃ。
そして、お世話になった方々に挨拶回りをしてから、神社へと向かおう。
千春は重くなった体を何とか起こして立ち上がり、逃げるようにその部屋から出て行った。




