100mlの遺産
ヴィンセントは朝になって普通に眠くなったし、サイラスも集中力の鬼と言えど、徹夜ではさすがに疲れて、二人は眠ってしまった。サイラスの魔法を考えると日中に訓練した方が効果的なのだが、体を壊しては元も子もない。
二人がいなくなった部屋で、マーリンとエレインが向かい合って腰かけ、目の前にあるビーカーを見つめていた。
「エレインが同じ修行をした時は、どうだったかな?」
「私がコレを成功させたのは、3日目でしたわ。あの時、マーリン様に最短だとお言葉を頂いて、私は飛び上がって喜んだものです」
「そうだったね。懐かしい」
遥か昔の事を思い出して、マーリンは懐かしそうに目を細めて笑う。だが、エレインは少し拗ねたようにマーリンを見た。
「サイラス殿に最短記録を抜かれてしまいましたわ」
拗ねるエレインにマーリンは愉快そうに笑って、エレインの水色の髪を撫でた。その感触に目を閉じたエレインが、そのまま続けた。
「彼は、立派な魔術師になり得るでしょうか?」
「どうかな。それは彼次第だ」
「そうなってもらわなければ、マーリン様が魔法をお教えする意味がございませんわ」
本当は、魔法なんてホイホイ教えるべきものではない。仮に魔力があったとしても、簡単に習得を目指してよいものではない。魔法と言うのは、あくまで道具であり手段だ。使うのは術者、その価値観や考え方に魔法は常に左右される。
マーリンやエレインは自分が魔術師・魔法使いであることを誇りに思っているし、魔法と言う手段を我が子のように思っている。だから、妙な人物が魔法を妙な事に使って、魔法や魔法使いの品位が貶められるような事は避けたい。
その点サイラスは善良で、臆病で、冷静な青年だ。彼には魔法を教えてもいいだろう。どうせなら、立派な魔術師になってほしいと思うのは、マーリンとエレインには共通した願いだ。
そして、マーリンは魔法を復興したいとは考えていないが、途絶えさせたいとも思っていない。マーリンにとって魔法は手段であるが、崇高な芸術であり学問でもある。良識のある者に、魔法の継承と保存を託したいと思うのは、一つの文化を持つ者としては当然の発想だろう。
「私も君も、いつまでもこの世に留まっているわけにはいかないからね」
エレインが頷いた。
「ええ、私達は十分に生きました。もうこの世界に、私達の居場所が作られることはないでしょう」
マーリンがサイラスの寝ている寝室の扉を見て、笑いながら瞳を伏せた。
「私達の遺産を、彼が受け取ってくれるといいがね」
「そうですね。心から、そう願いますわ」
エレインがおもむろにビーカーに掌を向けると、水がらせんを描いて上昇し、空中に霧散する。日の光に照らされた霧は煌めいて、小さな虹を二人の間に架けた。




