魔術師による魔術講座 1
イギリスの連合国、ウェールズ公国の首都カーディフ。近代的な都市ではなく、歴史的な街並みを残した、風光明媚な街並みがサイラス達を出迎えた。
尖塔の残る修道院、中世の面影を残す貴族屋敷、石造りの住宅に、郊外には未だに森や平原が広がっていて、森の中には太古の王が築いた城が苔むしている。
そんな街並みを眺めながらヴィンセントに連れてこられた、史上最強の魔術師が住まう屋敷。その屋敷を見て、サイラスは全力で首を捻った。
「この立地はおかしいよ。行政はどんな仕事したんだよ」
目の前には図書館がある。修道院を改修して造られたらしい図書館だ。それだけではない。その図書館の玄関のド真ん前に、図書館を覆い隠す様に一軒の貴族屋敷が建っている。この立地はおかしい。どう考えてもおかしい。
この土地の権利と、建築を考えた人間の頭は、一体どうなっているのだとサイラスは首を捻るが、さらにおかしなことに気が付く。こんなに妙な立地なのに、周りをとおりすがる人たちは、全く気にしていないのだ。地元の人には見慣れているのだろうか。
ひたすら首を捻るサイラスだったが、ヴィセントもそんなサイラスを見て考え込んだ。
普通の人間には、この妙な立地に気付く事は出来ない。常に妖精エレインが結界を張っているので、図書館しか見えないし触れることもできない。マーリンの屋敷を、人間が目視できるはずがないのだ。屋敷を見ることが出来るのは、強力な魔力を持ち、尚且つマーリンに危害を加えない人物である場合のみだ。
では、何故サイラスには見えるのか。サイラスはギフテッドを持っているし、神の加護もあるし、その影響だろうか。勿論マーリンに危害を加える気はないのだし、そう考えると辻褄はあう。
ヴィンセントはそこで一旦納得する事にして、サイラスを促して屋敷に近づいた。
ヴィンセントが促してサイラスも歩を進める。図書館のド真ん前に建てられた不思議な屋敷の門前には、年若い甲冑を着た門番が2人立っている。その門番は二人を見ると居すまいを正して、二人を誘う様にそれぞれが片手を中に向けた。
門を通って薔薇を基調としたイングリッシュガーデンを抜け、屋敷の扉の前に立つと、扉が勝手に開かれた。それに驚きつつも、おずおずと中に歩みを進めた。
おかしなことに、外からの見た目は屋敷にしか見えないのに、中の構造はどう見ても塔だった。ただただ長い階段が上に続いていて、ところどころ松明が灯されている。こんな階段を車椅子で登れるわけがないと、サイラスは白目を剥いていたが、ヴィンセントが後ろから車椅子を押し始めた。
ヴィンセントの剛腕なら無理やり怪談も登れそうだが、タイヤがパンクしそうだし、きっと酷い揺れに襲われる。そう思って身構えていたが、不思議と坂道を上るように車椅子は階段を上っていく。
ひたすら長い上り階段を上っていくと、ようやく最上階に到着した。その最上階の扉を、ヴィンセントがノックする。
「どうぞ」
中から老人の声で返事が来て、ヴィンセントがドアを開けた瞬間、なんとも言えない薬っぽい匂いが鼻腔をくすぐった。
ドアを開けたヴィンセントに促され入室すると、そこには大柄で濃い紫色のガウンを纏った、顔中に長いひげを生やした老人が揺り椅子に腰かけて、暖炉の前で本を読んでいた。そばの長机では、水色の長い髪をした美しい女性が、何やら薬を作っているようだ。フラスコの中で緑色の液体がぐつぐつと沸き立っている。
見た事もない器械や、薬草が天井から吊るされているのを見渡していると、ヴィンセントがその老人に話しかけた。
「マーリン、久しぶりだ」
「ヴィンセント、久しぶりだな。第10次十字軍の話は聞いたよ」
「引きこもりのくせに、誰から聞いたと言うのだ」
ヴィンセントの言葉に、老魔術師マーリンは、愉快そうに笑って肩を揺らした。水色の髪の女性、エレインが二人を促して、サイラスもヴィンセントの横に車椅子をつけた。
挨拶や自己紹介もそこそこに、早速ヴィンセントは本題に入って、状況を説明し始めた。
「それで、メリッサは出産と同時に死亡してしまう可能性がある。そうならないよう、この小僧も色々と医学の研究はしているが、吸血鬼の掟は魔力や呪いによるものだ。非科学的な事に関しては、小僧にも打つ手がない。マーリン、力を貸してもらえるか」
「メリッサは何と?」
「出来る事なら、生きたいと」
ヴィンセントの返事を聞いて、マーリンは考え込み顎鬚を撫でた。
「言い難いが、メリッサは出産で死ぬ運命だ」
「運命は変えられないの?」
思わず尋ねたサイラスに、マーリンはむふぅと鼻から息を吐きながら、やはり考え込むようにして答える。
「変えられない、ということはない。ただ、運命が変われば未来が変わる」
「それって悪い事?」
「悪くはない」
「その変えられた未来が、貴方にとって好ましくないの? 」
「それは違う。変わった先の未来はまだ不確定だからな」
「じゃぁ、なんで?」
「メリッサにとって最も幸福な死に場所がなくなる」
それを聞いて、サイラスも考え込んだ。確かに子どもを産んで死ぬと言うのは、メリッサの人生の中ではかなり幸福な死に方だ。何しろメリッサは吸血鬼なのだから、彼女の死に様はどう考えても、他殺意外にあり得ないからだ。それを考えると、子どもを産んで死ぬと言うのは、メリッサにとって最も幸福な死に場所と言える。
でも、とサイラスは顔を上げた。
「死ぬ事を考えたいわけじゃない。生きることを考えたいんだ。これからも生き続ければ、死ぬときの事なんか考える必要ない」
サイラスの言葉を聞いて、マーリンは笑った。
「確かにその通りだね。若者らしい考えで、初々しい」
「バカにしてる?」
マーリンは片眉を上げて口の端で笑う。どうやらこのジーサン、中々の皮肉屋だ。
サイラスがムッとしていると、ヴィンセントも笑いながら会話に入った。
「確かにコイツは無鉄砲なところはあるが、ただメリッサを失いたくないだけだ。それは私も同じだ」
「そうだろうね」
「マーリンもそうだろう?」
「そうだね。私の友人はもう、数少ない。時の流れの中で死んでしまった」
「ならば力を貸してくれるか」
「知恵ならば貸そう」
マーリンの返事に満足した様に、ヴィンセントが頷く。そしてヴィンセントとマーリンが揃って、サイラスに視線を注ぐ。
「え、なに?」
「エレイン、教材だ」
「はい、マーリン様」
「サイラス、心して聞けよ」
「え?」
サイラス的には唐突に、マーリンによる魔術講座スタートである。




