吸血鬼の旅の始まり
メリッサの出産まで、残された時間は短い。あと1か月程度になっていた。その時の為にサイラスはあらゆる方策を考えていたのだが、ある時ヴィンセントに、メリッサの生死に関して重要な人物に話を聞くべきだから出かけようと言われた。
どういう事か尋ねると、メリッサとヴィンセントが出会った頃まで話は遡る。
約150年前。ロンドンから逃亡して、ヴィンセントはウェールズ公国のカーディフというコミューンへたどり着いた。産業革命の主軸となっている街並み、先進的な工場と歴史的な作りの家が立ち並ぶ街路をふらふらと歩いていると、川沿いの屋敷の前で、月明かりに照らされた美しい女がこちらを見て佇んでいた。
とりあえず、腹が減っていた。ヴィンセントは重傷だったし、修復のためのエネルギーを必要とした。この女を喰おうと考え、そ知らぬふりをしてゆっくりと女に近づくと、女の方から声をかけてきた。
「あなた、吸血鬼よね?」
予想もしなかった言葉に驚いて女の顔を見ると、その女は美しい顔を綻ばせて微笑んだ。
「心配しないで、私もあなたと同類よ。うちにいらっしゃい。食料なら山ほどあるわ」
それだけ言うとさっさと屋敷の中に女は入って行ってしまった。どの道他に行く当てもないので、ヴィンセントも渋々女に着いて屋敷の中に入ると、屋敷の中は血の匂いが充満していた。
サルーンを抜けて「ティールーム」と呼ばれた部屋に入ると、そこには面白い光景が広がっていた。天井からくさびを打たれて、吊るされたたくさんの若い男達。見たこともない器具を装着されて泣き叫ぶ若い女達。そのいずれもが、血を流し、それでも生きていた。
「うふふ。ちょっと驚かせてしまったかしら? 気にしないで。お好きなのをどうぞ」
そう言うと女は天井からつるされた男の一人の肩にナイフを突き立て、切り裂いて流れ出た血をグラスにとって、ゆっくり味わうように飲んでいた。
ヴィンセントにはこの女のような趣味はなかったので、適当にその辺の奴を食べることにした。
しばらくして少しは渇きが収まってくると、女は微笑みながら口を開いた。
「私はメリッサ。メリッサ・カルンシュタイン」
どこかで聞いた名だ。
「あぁ、血の伯爵夫人か」
「よくご存じね。そうよ」
言い当てられた女は嬉しそうに微笑んで、それであなたは? と尋ねてきた。
「私はヴィンセント・ドラクレスティ」
自己紹介すると、メリッサは大きく目を見開いて急に大喜びし始めた。
「本当に!? あなたがあの不死の王ヴィンセント!? 最強の吸血鬼ヴィンセント!?」
どうやらメリッサもヴィンセントの事を知っていたようだ。
「まぁ、そうだが。そんな二つ名がついていたとは知らなったな」
「私はなんて幸運なのかしら! まさか伝説の吸血鬼に会えるなんて嬉しいわ!」
余程嬉しかったのか、メリッサはヴィンセントの隣に腰かけて目を輝かせて手を握ってきて、部屋で行っている所業からは想像もつかない程明るい笑顔に、思わず苦笑してしまった。
「伝説になるほど長生きも大層なこともした覚えはないがな」
「そんなことないわ! 少なくとも私みたいに作られた吸血鬼からしてみれば、あなたのような真祖が存在するだけでも伝説よ!」
興奮して握った手をブンブン振ってくるメリッサに再び苦笑してしまう。ふと、疑問が浮かんだ。
「何故私が真祖だと?」
そう尋ねると、メリッサは少し興奮が収まったようで、ニコッと微笑んで答えた。
「私、人より少しだけ探知能力が高いのよ。それで、さっき強烈な瘴気を感じたものだから屋敷の外に出てみたらあなたが立ってるじゃない? あなたは本当に、最強という名は伊達ではないわね。本当に強いわ。でも、それは後天的に得た力もあるでしょうけど、先天的なものでもあるわね。だから、真祖だって思ったのよ」
なるほど、それでヴィンセントが吸血鬼だという事もすぐに分かったのだ。しかし、探知能力。吸血鬼の力にも色々あるものだ。
ふぅん、と呟きながら考え込んでいると、再びメリッサが口を開いた。
「でも、ヴィンセント。あなた今のままじゃかえって危険ね。力を制御した方がいいわ」
危険? 何故? 不思議に思ってメリッサを覗き込むと、やっぱりわかってないと言う顔をして溜息を吐いた。
「あなたは今まで闘争に闘争を重ねてきたのでしょうね。だから必要なかったかもしれないけど、これから徐々に戦争は減っていくわ。もう、戦いに生きることは難しくなるでしょう。それよりも、人に紛れて生きる術を身に着けるべきよ。その為にはあなたのその強力な魔力を放出し続けるのは、仇になるわ。必要な時にだけ使えるようにしておいた方が効率的だし、エクソシストだとかヴァンパイアハンターに探知される確率も低くなるわ」
確かに彼女の言う通りかもしれない。産業革命において発展したのは生活だけではなく武器や兵器も新しく高性能なものがどんどん製造されている。
今後戦争が起ころうとも、これまでのような兵力と戦術の戦争ではない。兵器と戦略の戦いになる。昔ほど、戦地で人が戦う事はなくなる。
「確かに言う通りかもしれないが、私は制御などしたこともないし……」
「それなら心配ないわ!」
メリッサはヴィンセントの言葉を遮って立ち上がると、出かけましょうと急に手を引いて歩き出した。
屋敷を出て、そのまま馬車に乗り、ある一軒の古い屋敷の前で馬車を停めると、さぁ行きましょう、と馬車を下りる彼女の後を着いて屋敷に向かった。
年若い門番に招き入れられて入った屋敷は薄暗く、ろうそくのほの明かりだけが揺らめいていた。
しばらく歩くとある部屋の前でメリッサは立ち止まりドアをノックする。中から老人の声でどうぞ、と返事が返ってきた。
「やぁ、メリッサ。いらっしゃい。久しぶりだね」
「久しぶりね、マーリン、それとエレインも。相変わらず元気そうで何よりよ」
部屋には奥のデスクに老人が一人と、若い女性がその傍に一人控えていた。マーリンと呼ばれた老人はヴィンセントに目を向けると、驚きながらもにこっと微笑んだ。
「メリッサ、そのお連れさんは吸血鬼かい? また大層強い人だね」
どうやら、この老人もただの人間ではないようだ。顔中に長いひげを生やし、年老いているにも拘らず大柄なためか強い生命力を感じる男。
メリッサはヴィンセントの手を取ると、自慢げにヴィンセントの事をマーリンに紹介し始めた。それを聞いたマーリンはとても驚いて、立ち上がりヴィンセントの前まで来ると、ようこそと歓迎してくれた。
「いやぁ、まさか噂の不死の王に会えるとはね。長生きと言うのはするものだね」
「うふふ、本当ね。それでね、マーリンに今日は頼みごとがあるのよ。ヴィンセントの魔力を制御できるようにしてほしいの。あなたにならできると思って連れて来たのだけど」
「あぁ、なんとかやってみるさ」
そう言うと、マーリンはエレインに何かを指示して本棚から何冊か本を取って、パラパラとページをめくり出した。
「メリッサ、彼は……?」
正体不明のマーリンの事を尋ねると、メリッサは思い出したようにこちらに振り向いた。
「彼はマーリン・アンブロジウス。至上最強の魔術師であり、錬金術師よ。彼は人間だけど、その呪術で1400年近く延命している、正真正銘の魔術師」
魔術師、本物に会うのは初めてだ。それにしても人間と言うのは本当に素晴らしい。元々才能もあったのだろうが、それに努力を重ねてここまでになるとは大したものだ。本当に、人間の探究心、叡智と言う物は素晴らしい。
血のにじむような努力、諦めの悪さと言ってもいい。それこそが人間の強みか。
感心しているヴィンセントをよそに、マーリンはエレインに手渡された羊皮紙に水銀のようなものでさらさらと魔方陣を書いていく。描き終わると、何かを呟いた瞬間その羊皮紙の魔方陣が紅く輝いた。
「さて、そろそろ始めるとしようか。ヴィンセント、上着を脱ぎなさい。それと、ちょいと血をおくれよ」
立ち上がったマーリンはヴィンセントの手を取ると、ナイフで掌を切り裂き、その血を羊皮紙に乗せた。上着を脱ぐと、ヴィンセントの背中にもどうやら魔方陣をヴィンセントの血で書いているようだ。
「さぁ、これで準備は整った。ヴィンセント、心の準備はいいかね?」
「あぁ」
ヴィンセントの返事を聞くとマーリンはにっこりと笑い、ヴィンセントの前に羊皮紙を差し出し、その上に掌をかざして口上を唱え出した。
「偉大なる3つのヘルメスの御名において、我マーリン・アンブロジウスが命じる。龍王の名を継ぐ者よ、滅びの民よ、血の契約の元、紅き龍と白き龍のエリクシールを凍結せよ」
そう唱えた瞬間、今度は羊皮紙の魔方陣は白く光り出す。ヴィンセントの身を包んでいた瘴気が薄れて、背中の魔方陣に吸収されていくような感覚がした。
「あぁ、成功したようだね」
ヴィンセントの背中まで回り込んで見回していたマーリンは満足そうに微笑んだ。
「ヴィンセント、君は大きな使い魔がいるね。その使い魔を封じる術式をかけた。その使い魔を出したいときは、自傷行為で血を出した後に、血の契約を解除せよ、そう言えばいい。あぁ、ラテン語でね」
「そうか、わかった」
「ただ、君のあの最大の術はあまり使わない方がいいと思うね。だから、そこには特別強い魔力で封印を施しておいたよ」
「構わない。何もなければ使う事はないだろう」
「もし、どうしても使う場合は、あぁ、この羊皮紙に書いておいたから、これを詠唱しなさい。それはなくさないように。それと、その術に関しては2つの制限と言う形で対価をもらったからね」
「2つの制限?」
「その術を発動した時には、君の全ての血と力を解放する。そうなれば発動時はただの一人の吸血鬼だ。今の様に不死身に近い状態ではいられないから気を付けるのだよ。それと、君の睡眠時間を以前の3倍に延長した。正確には、そうせざるを得なかったわけだがね。君のその不死身に近い体と力は呪いだ。何と言っても君は自ら魔に身を窶した真祖だからね。その呪いを抑える為には、君の睡眠時間で均衡を図らなければならない。君が強くなればなるほど、時間を必要とする。いいかね?」
「あぁ、わかった。この礼は何をすれば?」
「いや、君から貰った「リスク」と「時間」。これが対価としては十分だ」
「そうか、ありがとう」
マーリンに礼を述べて屋敷を出ようとすると、玄関先までエレインが見送ってくれた。
「ヴィンセント様、メリッサ様、マーリン様は今日、あなた方に会えてとても喜んでおられました。また、遊びに来てくださいね」
「えぇ、勿論よ。100年くらいしたらまた来るわ」
「さすがに100年は待ち遠しいです」
「何を言っているのよ。あなたもマーリンも私達より長生きじゃない。しかもあなたの方が随分と年上みたいだし」
「まぁ、それはそうですが。メリッサ様はお友達も大勢いいらっしゃるようですし、今度はお友達もご一緒にいらしてくださいね」
「嬉しいわ。そうさせていただくわね。じゃぁエレインもマーリンもお達者でね」
「お二人もお元気で」
「改めてマーリンにお礼を伝えておいてくれ」
「かしこまりました。では、お気をつけて」
エレインと別れて再びアブヴィルの屋敷へと戻った。
「メリッサ、あのエレインと言う女性も魔術師なのか?」
正直、エレインの方がマーリンよりも年上だという事に驚いた。マーリンが史上最強の魔術師だと言うのに、それ以前から延命術を使用した者がいたという事かと疑問に思った。
ヴィンセントの質問に、メリッサはふふっと笑いながら答えた。
「エレインは人間じゃないわよ」
「あぁ、そうなのか。では彼女は?」
「彼女は“湖の乙女”いわば妖精よ」
「妖精か。なぜ妖精が人間につき従っているんだ?」
「彼女はマーリンの弟子であり、愛人だからよ」
「なるほど。妖精が弟子入りするほどとは、本当にマーリンは大した男だな」
「彼だって純粋な人間じゃないわ」
エレインの正体だけでも5本の指に入るほどに驚いていたが、その返答に更に驚いた。
「では、彼はなんだ?」
「マーリンは人間の女と|ロイヤルドラゴネス(至高の竜人)のハーフよ。だから生まれつき強大な魔力を有しているの。国家の存亡にかかわるほどのね」
「それであれ程の魔術師になったわけか。まさか竜と人間の合いの子とは、驚いたな」
「世の中にはもっと面白い人がいっぱいいるわよ。それこそ吸血鬼と人間の子もね。この探知能力のお陰でいろんなタイプの人に出会えて楽しいわよ」
「マーリンと出会ったのもその能力で引き合わされたわけか」
「そうよ。おかげで私もお世話になったわ」
ヴィンセントが戦いに明け暮れている間に、メリッサはいろんな人物と会って見分を広めていた。同じ化け物でも生き方というのはやはり人間同様に違う物なのだ。
「ヴィンセント、あなたあの怪我どうしたの?」
急に声をかけられハッとした。怪我は未だ治っていなかった。マーリンの屋敷で上着を脱いだ時に見られたようだ。
「別に。ただヴァンパイアハンターにやられただけだ」
「あなたにあれほどの怪我を負わせるなんて大した手練れね。なんていう人?」
「ヘルシング教授と言う男だ」
「ヘルシング教授……なんだか聞いたことがあるような……そうだわ! 確か、英国貴族でアムステルダムの精神医学の教授よ! 新聞で彼の記事を読んだ覚えがあるわ」
「精神医学? なぜ精神医学の教授が化け物狩りなどを……」
「精神病患者に吸血鬼がいたとかかしら?」
「わからん、が、ヘルシング教授の本拠がイギリスとアムステルダムとなればヨーロッパに長居する事は出来ない。これほど世話になって申し訳ないが、私は早々に移動する」
「そうね。どこか異国に移りましょう。あなたも休養が必要でしょうし、その間のことは私に任せて頂戴」
そう言ってメリッサは即座に立ち上がった。
「いや、何もメリッサまで随行することはない。これは私の都合なのだから」
「何を言うのよ。ここで会ったのも何かの縁よ。旅は道連れっていうじゃない」
「しかし、そこまで世話になるつもりはない」
「言っておくけど、私だってただであなたのお世話する気はないわよ。あなた昼間は起きていられるんでしょ? 昼間の私の護衛、お願いね」
「等価交換か、わかった」
「じゃ、まとまったところで早速準備しましょ!」
それからメリッサはティールームの男女を処分しに足を向けるも、すぐに戻ってきた。
「どうした?」
「このまま放置していた方が面白いわ」
「……」
というのが、ヴィンセントとメリッサが出会い、一緒に旅をし始めたきっかけだった。
ヴィンセントの休眠期が、魔術によって三倍に延長されていると言う事は、シャンティから聞いて知っていた。どうやらその魔術師マーリンにメリッサもお世話になったらしいので、彼にも意見を聞く必要があるとの事だ。
「もしかすると、魔術によってメリッサを救済する方法が見つかるかもしれないしな」
「うん、そうだね!」
そうして、ヴィンセントとサイラスはイギリスへと渡った。




